第7話
 過酷な、されど無限の未来へ

 第二次C.E大戦の終結から五ヵ月。オーブ共和国は穏やかな空気に包まれていた。
 オーブは前大戦でザフトのオペレーション・フューリーによって国土を焼かれたが、国民はこの
過酷な試練を乗り越え、平和の国を再建した。臨時大統領カガリ・ユラ・アスハの下、人々は平
和な日々を過ごしていた。
 前大戦で活躍したディプレクターの面々も、主要メンバーの大半はこの国で暮らしていた。ダ
ン・ツルギもその一人である。戦後、彼は父の旧友であるマルキオ導師に保護され、恋人である
ステファニー・ケリオンと共に暮らしていた。ディプレクターからは幹部待遇として迎えるという誘
いがあったが、ダンはそれを断り、静かな時を過ごしていた。
 傍から見れば、ダンは世捨て人になったかのようだった。マルキオの元で保護されている孤児
たちの遊び相手をしたり、本を読んだりするだけの日々。そんなダンを冷たい眼で見、影で罵る
者もいた。それでもダンは動かなかった。
 ステファニーはダンに何も言わず、彼の好きなようにさせていた。今の彼は羽を休めているだ
け。時が来れば必ず動く。そう信じていたのだ。
 そして、ついにその時が来た。
 早朝、孤児院にディプレクターのオーブ本部から電話が掛かってきた。連絡をしてきたのはラ
クスに代わりディプレクターの新代表になったバルトフェルドだった。
「ダン・ツルギか。久しぶりだな。ちょっと困った事になった。お前さんとステファニーの意見も訊
きたいんでな。一緒に本部まで来てくれ」
 ダンはその申し出を受けた。すぐに支度を整え、ステファニーを連れて、ディプレクターの本
部ビルを訪れた。
 二人は本部ビルの会議室に通された。会議室にはバルトフェルドと彼の秘書になったダコスタ
だけでなく、懐かしい顔が揃っていた。
 プラントからは、ディプレクター代表の座を退いた後、プラント最高評議会の招きに応じて議会
の一員となったラクスと、その護衛役としてやって来たシンとルナマリア。そしてディプレクター北
米支部からプラント支部に移ったキラ・ヤマト(ラクスの側にいられるよう、バルトフェルドが計らっ
たのである)。
 オーブからはカガリとその婚約者であるアスラン・ザラ。他にもキラと入れ替わる形でディプレク
ターの北米支部長になったニコルと、地球軍に復帰したマリュー、ムウ、ナタル、オルガ。傭兵
部隊カラミティ・カルテットのスティング、ギアボルト、ステラ、アヤセもいる。
 よく見ると、初めて顔を見る者もいる。バルトフェルドの隣に立つ二人の男性。どちらも若い。一
人はシルバーブルーの髪を腰まで伸ばした赤い眼の少年。厳しい目付きをしている。もう一人
は褐色の肌をした短い金髪の青年。表情は穏やかだが、油断のならない雰囲気を漂わせてい
る。
「これで役者は揃ったな。では話を始めよう。」
 バルトフェルドは話を始めた。彼は自分の隣に立つ二人の人物に眼を向け、
「一週間前、DSSDの宇宙ステーションをテロリストが占拠しているとの情報を得て、プラント支部
の部隊が調査に向かった。情報はガセだったが、ステーションの奥に閉じ込められていたこの二
人を発見した。一ヶ月前にDSSDの連中に捕まり、監禁されていたそうだ」
 DSSDとは、火星軌道よりも更に先の宙域の探査および開発を目的に設立された特別機関で
ある(DSSDという名前はDeep Space Survey and Development Organization(深宇宙探査開発
機構)の略称)。地球連合、プラント、オーブなどの中立国家群が共同で設立した組織で、地球
連合にもプラントに対しても中立かつ特別の権限を持っている。
 DSSDはあらゆる国家・体制・宗教・民族を超越し、人類という「種」をより遠くの宇宙に送り出
すことを基本理念としている組織……と思われていたのだが、戦後の調査によって彼らがサード
ユニオン(THE END)の支援を受けていた事、そしてDSSDの上層部のほとんどが組織のメ
ンバーであった事が判明し、人々に衝撃を与えた。
 THE ENDの大総裁は、木星で発見された神秘の物質『イオの輝き』を独占しようとしてい
た。その為、彼は人類がこれ以上宇宙へ進出する事を拒んでいた。しかし、フロンティアの開拓
を目指し、前進を続ける者への妨害工作は彼らの反骨精神を煽り、逆効果になりかねない。そこ
で大総裁は開拓者達の組織を掌握し、開拓計画そのものをコントロール下に置いたのだ。この
試みは成功し、DSSDの事業はそのほとんどが頓挫、もしくは停滞していた(スターゲイザーと
名付けられた深宇宙探査用MSの開発も滞っていた)。
 戦後、自分たちの熱意が空回りしていた事を知ったDSSDの職員たちは、ある者は失望して
組織を去り、またある者は世界への不信を募らせテロリストに協力するようになった。バルトフェ
ルドの側に立つ二人を捕まえたのも、そういう輩だった。
「この二人の首には、かなりの懸賞金がかけられていた。キラ達が助けるのが遅かったら、二人
の命は金と引き換えにされ、この世から消えていただろうな。さて、では賞金首のお二人さん、み
んなに自己紹介をしてくれないか?」
 バルトフェルドに促され、二人はダン達の方に眼を向ける。シルバーブルーの長髪をした少年
は、
「アグニス・ブラーエだ」
 とぶっきらぼうに名乗り、褐色の肌をした青年は、
「ナーエ・ハーシェル。我々はマーシャンです」
 と名乗った。



 マーシャン。
 それは、火星開発を行なっている人々の総称である。彼らは火星の衛星軌道上に多数のコロ
ニーを作り、そこで生活している。資源的にも経済的にも自立しており、地球圏から独立した勢
力を築き上げている。
 地球との関係は悪くはなく、両星の間には年に一度の定期便が行き来しており、火星開発を
支援しているプラントやオーブ、DSSDとは友好的な関係にある。それでもマーシャンが地球を
訪れるのは珍しく、地球の人々にとっては宇宙人のような存在と言ってもいい。だから、
「あの、あなた方は本当にマーシャンなんですか?」
 と、ニコルのような疑問を抱くのも無理はない。この質問にナーエはニッコリ微笑んで、
「ええ、そうですよ。我々は木星人や土星人に見えるんですか?」
 とジョークを交えて返答した。
「でも、火星との定期便が地球を訪れたのは、もう随分前ですよ。定期便はもう火星に引き上げ
たはずです。それなのに、どうして火星の方が地球にいるんですか?」
 ニコルの言うとおり、定期便が地球に来たのは今から一年近くも前、正確にはブレイク・ザ・ワ
ールド事件の直後である。火星の人間が長期的に地球に留まる為には、複雑な手続きが必要
になる。しかしこの一年、各国政府は戦争で混乱状態にあり、彼らを受け入れる手続きをしたと
は思えない。
「お察しのとおり、私もアグニスも正規の手続きは踏んでいません。不法滞在者という事になりま
すかね?」
 ナーエは自分たちの危うい立場をあっさり認めた。アグニスも否定はせず、
「俺達が地球と火星のルールを侵しているのは分かっている。言い訳ではないが、俺達はもっと
早く火星に戻るつもりだった。俺達には時間が無いのだからな。だが、トラブルが重なり、長期的
な滞在を余儀なくされたのだ。まったく、地球人(テラナー)は俺達の邪魔ばかりする!」
 と怒りを露にしている。どうやら感情的になりやすい人物らしい。
 ナーエの話によると、二人はある任務を果たす為に火星からやって来た。そしてプラント政府
や地球軍、オーブ政府の代表に面会を求めたが、彼らが地球に到着して間もなく第二次C.E
大戦が勃発。プラントも地球も彼らに構っていられなくなり、オーブもアグニス達が訪れる直前に
クーデターが発生。カガリに代わってオーブの統治者となったセイラン親子はアグニス達を受け
入れず、追い返してしまった。
「あの頃は大変でしたよ。どこへ行っても話を聞いてもらえず、厄介者扱いされましたからね。ア
グニスも四六時中怒っていましたね?」
「四六時中ではない。だが、不愉快だったのは確かだ」
 行き場を失ったアグニス達は、ディプレクターに接触しようとした。アグニス達を派遣した火星
コロニー・オーストレールの政府は、民間組織であるディプレクターへの接触は慎重に行なうべ
しと考え、接触は極力は避けるように命令していたが、背に腹は変えられない。アグニスはディ
プレクターと連絡を取ろうとした。しかし、
「正体不明の無人MS部隊が現れ、こちらを攻撃してきたんです。何とか撃退しましたが、それか
らもしつこく追いかけてきました。ディプレクターと連絡を取ろうとすると、その電波を探知して襲
って来るんです。本当にしつこかったですね?」
「ああ。強くはなかったが、何度も何度も襲ってきた。助けを求めれば敵が現れるという状況は最
悪に近いものだった」
 淡々と言うアグニスだが、その表情は暗い。本当に苦しかったのだろう。無理も無い。見知らぬ
場所で多数の敵に襲われ、しかし誰からも助けてもらえない。並の人間なら戦死するか、精神が
壊れてしまったかもしれない。
「それでもDSSDだけは私たちを支援してくれました。だからこちらも信頼して、彼らの招きに応
じて宇宙に上がったのですが…」
 その信頼は簡単に裏切られた。油断していたアグニス達はあっさり捕まり、宇宙ステーションに
閉じ込められたのだ。しかし間一髪でキラ達に助けられ、ここに連れて来られたのだ。
 二人の話が一区切りついたところで、ムウが質問した。
「なるほど、君達がとんでもなく苦労したのは分かった。けど、まだ肝心なことを話してもらってな
いぜ。君達はなぜ地球に来たんだ? 何度も殺されかけて、それでもまだ地球に留まっている
のはなぜだ?」
 ムウの疑問は、この場にいるほとんどの者が抱いている疑問である。疑問を抱いていないのは
ただ一人、事前にアグニス達から話を聞いているバルトフェルドだけだ。彼がアグニス達に代わ
って答える。
「命をかけても伝えなければならない事があるから、だそうだ。地球と火星の未来の為にもな」
 バルトフェルドの言うとおりだった。アグニス達は二つの星の未来に関わる重要な、そして見過
ごせない事実を伝えに来たのだ。
「今、火星では異変が起きている。このままだと地球と火星は戦争になる。それを避ける為に俺
達は地球に来た。火星と地球の未来を守る為に」



 ユア・フレンド(Your friend)。
 今からおよそ五年前、『あなたの友人』と名乗る団体が火星に現れた。それは科学技術の発展
と共に力を失ったはずの過去の遺物、『宗教』だった。
 火星の人々は最初は誰も彼らを相手にしなかった。開拓精神に溢れる彼らは、神や悪魔など
といういるかどうかも分からない存在を信じるほど後ろ向きではないし、コロニーでの過酷な生活
はそんなものを信じさせる余裕も与えない。火星の各コロニー政府もそう考え、この教団を無視
していた。
 しかしユア・フレンドは地道に活動を続け、少しずつ信徒を増やしていった。確かにマーシャン
は開拓心旺盛で、自分の能力に強い自信を持っている者が多い。だが、彼らも人間だ。恐怖や
不安を感じないわけではない。先の見えない火星開拓への不安、死と隣り合わせの世界に住ん
でいる事への恐怖、地球との薄氷な外交関係……。不安の種はあり過ぎるほどあった。しかし政
府も大半のマーシャンも、それに気づかない振りをした。世界に対する不安や恐怖を受け入れ
てしまったら人々は混乱を起こし、火星開拓は頓挫してしまうからだ。恐怖や不安を忘れたふり
をする事によって成り立つ世界。それが火星だった。
「ユア・フレンドはそんな火星の隙を突いてきたんです。彼らの手段は古典的ですが効果的でし
たよ。アグニスもそう思いませんか?」
 ナーエの問いに、アグニスは鼻を鳴らしただけだった。
 ユア・フレンドの教祖は優しい笑みを宿した老婆だった。名前はミランダ・レアー。この老婆は
優しい声による説法と、手をかざすだけで傷を治すという不思議な力でマーシャンの心を掴ん
だ。彼女は科学を否定せず、火星開拓に励む人々を『最も勇敢で優秀な人類』と褒め称える一
方、地球やプラントに住む人々を『母なる大地を蝕み、無用な戦乱を起こし、辛い事はマーシャ
ンに押し付けている愚者』と罵った。
「神秘的な力で人々の関心を集め、その生き方を褒め称え、不満の捌け口として分かり易い対
象を作る。本当に古典的ですが効果的な方法ですよね?」
 ナーエの言うとおり、この方法は最高の結果を産んだ。不安を抱えていたマーシャンはミラン
ダの説法によって心を癒され、教団に入信。その数は日を追うごとに増え、各コロニー政府が気
づいた頃には、全マーシャンの三割がユア・フレンドの信者となっていた。その中には政府の重
職やその家族も含まれていた。
「私とアグニスが火星を出る頃には、信者の数は更に増えていました。政府の代表まで信者にな
ったコロニーもあります。これは火星にとっても、地球にとっても歓迎すべき事ではありませんよ
ね?」
 ナーエの言うとおりだ。ユア・フレンドの教えは必要以上に地球を敵視している。『国内の不安
や不満を逸らすために外国を敵とする』という方法は古来からよく使われているが、それは諸刃
の剣でもある。他国への反感をあおり過ぎた結果、政府が国民感情を制御できなくなり、本当に
戦争になってしまった事も少なくない。
「俺たちを派遣したオーストレール・コロニーの政府も同じ不安を抱いた。実際、奴らの勢力化に
置かれたコロニーでは反地球運動が高まり、軍備も増強されている」
 オーストレール政府はオーストレール・コロニーでのユア・フレンド教団の活動を禁止した。他
のコロニーにも教団の活動を制限してくれるように頼んだのだが、
「逆にオーストレールが非難された。『信仰の自由は旧世紀から保障されている人類の基本的人
権の一つ、それを否定するとは何事だ!』とな」
「もちろんそれは建前です。調査したら、各コロニーのお偉方に大金がばら撒かれたのが分かり
ました。ユア・フレンド教団はお金持ちのようで。羨ましいですね、アグニス?」
「なぜ俺に訊く」
「いえ、この一年、物資や資金不足に泣かされた身としては、ね?」
 冗談交じりに言うナーエだが、火星の事態は深刻なものになっていた。このままでは火星圏は
ユア・フレンド教団の勢力下に置かれる。オーストレール・コロニーは孤立し、教団の勢力拡大を
止める術は無い。
 ついにオーストレール政府は苦渋の決断を下した。地球に使節を送り、極秘裏に地球各国の
政府代表と接触させ、ユア・フレンド教団の危険性を訴える。これはマーシャンの開拓精神に反
する行為であり、地球と火星の間に戦端を生む切っ掛けに成りかねない。しかし教団の脅威を
止めるには他に方法が無い。
「そして私とアグニスが使節として派遣されたんです。本当はもっと早くこの事を報せたかったの
ですが……」
 ため息をつくナーエ。アグニスの表情も暗い。まさか一年近くも時間を浪費してしまうとは思わ
なかったのだろう。
「私たちを邪魔したのは、恐らくユア・フレンド教団の手下でしょう。彼らは地球から来ましたから
ね。地球にも拠点があるとは思っていましたが、DSSDにまで入り込んでいるとは思いませんで
したよ。いや、DSSDを疑わなかった私がバカなんでしょうか?」
「お前一人のせいじゃない。俺も奴らを疑わなかった。全てはリーダーである俺の責任だ」
 アグニスは自分を戒めた。唇をかみ締め、本当に悔しそうな表情を浮かべている。
 二人の話が一段落したのを見て、バルトフェルドが口を挟んだ。彼は懐から一枚のディスクを
取り出した。
「このディスクはアグニス君が火星から持ってきた物だ。俺は既に見たが、これにはユア・フレン
ドの教祖の姿と声が入っている。話はこいつを見てからにしてくれ」
 バルトフェルドはディスクをダコスタに渡した。ダコスタはディスクを再生機にセットし、テレビモ
ニターのスイッチを入れる。
 モニターに映像が映し出された。場所は劇場らしい。観客席は満員。彼らの視線は舞台の上
に集中していた。舞台の上にはオレンジ色の服を着た老婆が立っており、彼女はマイクも使わ
ず、よく通る声で観客たちに話をしている。
「……このように、地球の人々は無益な争いを繰り返し、自然を破壊しています。火星では百億
の富にも匹敵するほどに貴重な木々や草花の命が、地球の人々のエゴによって失われているの
です。彼らのエゴは、この火星にも及んでいます。開拓という戦争以上に過酷な仕事を押し付け
て、火星の貴重な資源を奪おうとしている。これは許されることなのでしょうか? 火星の皆さん
が苦しんでいるのに、地球に住む人々は火星を半ば無視している。開拓者である皆さんを、自
分から地獄に飛び込んだ愚か者だと嘲笑っているのです」
「ふん。見た目は普通の婆さんなのに、言う事は過激だな」
 オルガの言うとおりである。
「でも、そんなに間違ったことは言ってませんね。地球の自然が戦争で破壊されているのは事実
だし、私、火星の事なんて全然気にもしてなかったし」
 アヤセの意見は、大半の地球人の意見でもあるだろう。素直な彼女にスティングが苦笑する。
「アヤセ、お前、詐欺とかに引っかかりやすいタイプだな。ギアに連戦連敗なのも分かる気がする
ぜ。ギア、お前はこの婆さんの言ってる事を正しいと思うか?」
「この場合、正しいか間違っているかという基準は適当ではありません。このミランダという人物が
信用に値するかどうかというのなら、NOと答えます。この人の言動は、典型的な詐欺師のもので
すから」
 一流の詐欺師は、人を騙す時にあまり嘘はつかない。99の真実を語り、相手を信じさせた上
で、ただ一つだけの嘘をつき、相手を騙す。
「彼女の言っている事には確かに真実が含まれています。しかし地球の人々は火星を敵視して
いませんし、火星が地球を敵視する必要もありません。彼女は真実を利用して、人々の関心をコ
ントロール下に置いています」
 ギアボルトの分析に、スティングは口笛を鳴らして賞賛した。そしてオルガの方を見て、
「大した女だな。これもあんたの教育の賜物かよ?」
「俺は特に何も教えていない。そいつが勝手に成長したんだ。もうそいつは立派な戦士だ。だか
ら俺も先生役は卒業させてもらったんだよ」
 オルガのその言葉に、ギアボルトはわずかに表情を曇らせた。その表情の変化を見たのは、
アヤセだけだった。
 映像の中では、教祖ミランダの話が続けられていた。言っている事は先程までと同じで、地球
への敵愾心を煽る一方、マーシャンを地球人(テラナー)より精神的にも肉体的にも優れた種族
だと褒め称えている。
 映像を見ていたルナマリアがため息をついた。そして、隣にいるシンに声をかける。
「アカデミーの教官を思い出すわね。ほら、コーディネイターはナチュラルよりも優秀だ、なんて
事ばかり言ってた奴」
「ああ、あいつか。レイやヴィーノ達も呆れていたよな。俺もあいつは好きじゃなかった」
 シンはあの教官とミランダを重ねてみた。姿はまったく違うが、言っている事はよく似ている。い
や、多くの人々を熱狂させている分、この老婆の方が役者としての力量も、そして危険度も上だ
ろう。
 ミランダの集会は佳境に入っていた。舞台の上に、子供に連れられて頭に包帯を巻いた男が
上がって来た。ミランダが包帯を取ると、痛々しく大きな傷跡が現れた。見ているだけで痛みが
伝わってくるほど深い傷だ。
 老婆ミランダは傷に手をかざす。途端に傷が見る見るうちに塞がっていく。手をかざしてわずか
一分、傷は完璧に塞がった。沸きあがる人々。傷を治してもらった男は涙を流し、ミランダに感
謝している。男を連れてきた子供はミランダに抱きつき、ミランダも優しい笑みを見せている。
 この映像を見た一同は、一瞬言葉を失った。数秒後、ようやくナタルが、
「信じられん……」
「な、何、これ? 新手の特撮技術?」
 とルナマリアも驚くが、ギアボルトは冷静に分析していた。
「特撮ではありません。映像資料だけなので断言は出来ませんが、何らかの手段で傷が塞がっ
たのは事実だと思います」
「そのとおりです」
 それまで黙っていたナーエが口を挟んだ。
「ミランダ教祖がどんな方法を使っているのかは分かりません。しかし、彼女が傷を治しているの
は事実です。オーストレール政府がトリックを暴くために諜報員を送り込み、わざとケガをさせて
彼女に見せたのですが、あっさり治しました。どうやってやったのかは不明ですけどね。本当に
超能力でも使っているのでしょうか?」
 ナーエの質問に、キラやアスラン、ラクスやカガリでさえ返答を躊躇った。ミランダが起こした奇
跡は、彼らの常識を遥かに超えていたからだ。
 しかし、この中でただ一人、ミランダの奇跡を否定した者がいた。
「確かにこの女は傷を治している。だが、これは超能力なんかじゃない」
 そう言ったのはダン・ツルギだった。彼は映像に眼を向けたまま語り出す。
「ああ、そうだ。これは医療用のナノマシンによる治療。あの男が仕掛けたトリックだ」
 あの男。ダンはミランダを見て、そう言った。そしてバルトフェルドに眼を向け、
「あんたが俺を呼んだのは、この映像を俺に見せる為か?」
「そうだ。俺もこいつを見た時は驚いたよ。だから君に確認してほしかった。この映像に映ってい
る奴は本物なのか? 他人の空似じゃないのかね?」
「残念ながら、こいつは本物だ。だが、そんなに驚く事じゃない。俺はあの戦争が終わった時、違
和感を感じていた。あの戦いは何かがおかしかった。不自然だった。何もかもがあの男らしくな
かった」
 二人の奇妙なやり取りを聞いて、キラ達も改めて映像を見る。そして驚愕した。
「そ、そんな……」
「まさか、そんな、バカな……!」
 驚くキラとアスラン。ラクス達も同様だ。ダンとバルトフェルドを除く全員が画面に釘付けになる
中、ダンは話を続ける。
「ああ、あの時のあいつはあいつらしくなかった。いくら計画に必要だからといって、あいつが自ら
前線に立つなんて。世界の黒幕を気取り、他人を操り、常に何かに隠れて、生きる事に執着して
いたあの男が戦場に出るなんてな。もっと早く気付くべきだった。あいつの事は俺が一番よく知
っているのに!」
 ダンはモニターを睨む。その視線の先にいたのはミランダ、ではない。ミランダに抱きかかえら
れた白髪の少年。無邪気な笑みを浮かべたその顔は、ダンの仇敵にして唯一の肉親の顔だっ
た。
「そんな所で何をしている。そしてこれから何をしようとしているんだ、メレア・アルストル!」
 ダンの叫びを無視して、映像は進む。老教祖ミランダの声が響く。
「さあさあ、皆さんも祈りましょう。この火星に永遠の繁栄を。そして、この騒がしく救いがたき世に
静かなる福音を……」



 日が落ち始め、オーブの大地が夕焼けに染まる。
 朝から行なわれた会議も一段落し、ダンはディプレクターの本部ビルを後にした。彼はキラとア
スラン、そしてシンとニコルを連れて、ある場所に向かう。
 そこは、ダンとステファニーが住んでいる孤児院の近くにある海岸だった。花が咲き乱れるそ
の地には慰霊碑が建てられており、第一次C.E大戦のオーブでの戦いの際に亡くなった人た
ちを弔っている。
 ダンは街で買ってきた花束を慰霊碑に捧げる。そしてしばし祈った後、
「俺は火星に行く」
 と宣言した。
「……そう言うと思っていたよ」
 キラが少し寂しげに言った。シンも頷く。
「ああ。お前があいつを放って置けるはずないもんな」
「それにしても驚きました。まさかメレア・アルストルが生きていたなんて」
 ニコルはため息混じりに言う。アスランも、
「ダン、あいつは本当にメレアなのか? 整形した別人で、お前が倒したメレアが本物で、火星
にいるのは偽者じゃないのか?」
「いや、あの男の性格から推測すると、火星にいる方が本物だと考えるべきだ。その方があの男
らしいからな」
 メレア・アルストルは生きる事に異常なまでに執着している。自分が生きる事が世界にとっての
必然であり、自分こそがこの世界そのものだと考えている。自分の死は世界の死だと考え、それ
故に死を拒み、常に身の安全を確保している。とてつもなく傲慢な男なのだ。
「パーフェクトクローンの技術も、『イオの輝き』を利用した知識の複製も、全ては奴が自分を生か
す為に行なっていた事だ。G.O.Dプロジェクトもその目的を突き詰めれば、奴が快適に生きる
為の世界、自分が最も安全な世界を作る為の作業だ」
 それ程までに生きる事に執着していた男が、前の大戦では自らMSに乗り、前線に出て来た。
いくら多数のモビルピースに護衛されていたとはいえ、あまりにも軽率な行動だ。事実、メレアが
乗っていたグランドクロスは敗北し、操縦者であるメレアも死亡した。
「奴は万が一の危険も侵さない。奴が死地に飛び込む時は、絶対の安全を確保した時だけだ。
パーフェクトクローンを身代わりにした時とか、な」
 ダンが知るメレア・アルストルとは、そういう人間だった。その事実を知ったシンが悔しがる。
「俺達と戦ったメレア・アルストルは、パーフェクトクローンだったのか……。くそっ!」
 不快な空気が流れる中、ニコルが質問する。
「でも、おかしくありませんか? パーフェクトクローンは複数作ると精神崩壊を起こすソウルシン
クロ現象が発生するから、二体以上のクローンは作れないはずです。でも、グランドクロスに乗っ
ていたメレアと、グランドクロスに搭載されていたメレアの脳と、火星にいるメレア、合わせて三人
のメレアが存在することになりませんか?」
「地球にいたクローンが死んだと同時に、火星のクローンが行動を開始したんじゃないのか?」
「アスラン、それは違うよ。アグニスさん達の話だと、火星のメレアは二年ぐらい前からミランダ教
祖の従者として姿を見せているんだよ」
「そうか。じゃあグランドクロスに搭載されていたのはメレアの脳じゃなかったのか?」
 アスランのその推理にはダンが反論する。
「それはあり得ない。人間の限界を超えるほどに進化したメレアの脳を使ったからこそ、グランド
クロスはあれだけの力を発揮したんだ。他の人間の脳では、グランドクロスの機能を発動させる
のは不可能だ」
「それじゃあ、一体……」
「簡単だ。地球にいたメレアは『端末』に過ぎなかったのさ」
「端末?」
「脳の前頭葉をいじくって精神を破壊して、人形にしたんだ。何も考えず、自分の思い通りに動く
人形にな」
 これは前世紀に行なわれたロボトミー手術の技術を応用したものだ。ソウルシンクロ現象は、
同一の肉体と同一の記憶を持った精神が複数存在する事によって発生する。逆に言えば、精
神と肉体のどちらか一方が存在しなければ発生しない。肉体を破壊してはクローンを作る意味
が無いので、メレアはクローンの精神を破壊したのだ。
 精神を壊されたクローンは、メレアの意志によって動く人形と化した。本物のメレアが言いたい
事だけを喋り、動きたい時だけ動く、極めて忠実な人形に。
「恐らく奴はずっと前から火星に行っていたんだ。地球には端末だけを残して、安全な火星から
人形を操っていた。ゼノンが城ごと押し潰したメレアも、俺が倒したメレアも、単なる端末だったん
だ。端末が壊れても奴には何の影響も無い。最高の身代わり役だよ」
 しかし、それは人として正しい行為とは言えないだろう。現にこの話を聞かされた四人はいずれ
も絶句している。特にシンの驚きは大きかった。
「そこまでやるのかよ……。クローンとはいえ、自分の体だろ? 自分の血とか細胞から作ったん
だろ? もう一人の自分みたいなものじゃないか! それなのに…」
 クローン人間であるレイ・ザ・バレルを友人とするシンにとって、自分自身のクローンさえも道具
として扱うメレアの行為は衝撃的で、許せないものだった。シンの体は怒りに震えていた。
「メレア・アルストルならやる。あいつは自分が生きる事が、この世界にとっての正義であり幸福で
あると思っている。奴ほど生きる事に対して貪欲で、純粋に取り組んでいる人間はいない。だか
ら恐ろしいんだ」
 ダンは改めて、自分の父親に恐怖した。これからそんな相手と戦わなければならないのだ。そ
の不安を感じ取ったキラが尋ねる。
「ダン、君はメレアと、お父さんと戦えるの?」
「…………」
「厳しい事を言うけど、中途半端な気持ちなら止めた方がいい。僕は君にこれ以上罪を背負って
ほしくない。どんな理由があっても、子供が親を殺すなんて…」
「ありがとう、キラ。けど、これは俺がやらなきゃ駄目なんだよ」
「ダン……」
「俺は妻と子を死に追いやった馬鹿な男だ。お前達やゼノンが許してくれたが、それでも俺の罪
は消えないんだ」
 ダンは昔の自分を恥じていた。戻れるものならば昔に戻りたい。そして冷酷だった昔の自分を
殴りたい。死なせてしまった妻と子を愛し、幸せにしたい。でも、それは出来ない。
「ならばせめて、これから作られる未来を守る。新しく生まれる命を、世界を、可能性を守る。そ
の為に俺は俺の命を使う。そして戦う。未来を奪おうとしている奴が俺の親父なら、尚更だ。奴が
人間を信じなくなったのは、俺が裏切った事も原因の一つだからな。俺があいつを止めなきゃな
らない」
 ダンの決意は固かった。もう誰も彼を止められないだろう。一度決めた事はとことんまでやり通
す、そういうところはメレアと良く似ている。さすがは親子と言うべきか。
「分かった、もう止めない。君を信じるよ、ダン・ツルギ」
 キラはダンの名を呼び、その手を握り締めた。ダンもキラの手を握り返す。
「地球の事は僕達に任せて。たとえ何があってもこの世界を、未来を守り抜いてみせるから」
「ああ、頼むぞ、キラ」
 握り合う両者の手の上に、新たな手が重なる。それはアスランの手だった。
「ダン、俺もお前を信じる。必ず勝って、そして帰って来い。お前を信じる人がいるこの地球へ」
 励ましの言葉を送るアスラン。そして、ニコルとシンも手を重ねる。
「勝利と貴方の無事を祈っています。きっとガーネットさんも同じ気持ちです。貴方が地球に戻っ
て来たら、家族揃って出迎えますよ」
「俺も一緒に行きたいけど、でも、俺はこっちでみんなと一緒に戦う。そしてお前が帰って来る場
所を守るから、だから!」
 熱い言葉と心がダンに伝わる。ダンは眼に涙を浮かべたが、涙は流さなかった。その代わり、
魂を込めてこう言った。
「ああ、俺は必ず帰って来る。必ず……!」
 それは誓いの言葉。そして、決意の言葉だった。ダンはこの時、勝利と再会を友に、そして自
分自身に誓ったのである。



 アグニス達のメッセージは、各国政府やプラント評議会にも伝えられたが、いずれも反応は鈍
かった。火星が何らかの軍事的アクションを起こしたのならともかく、今は何も起きていない。この
状況で地球から軍を送れば、火星側に戦端を開かせる口実を与えてしまう。火星で何かが起き
ているにせよ、慎重に対応すべし。各国政府はそう判断し、ディプレクターも同意見だった。
 しかし、現在の火星の情勢については調査する必要がある。アグニス達が火星を後にして一
年以上が経過しており、DSSDが強制的に解散された今となっては、火星がどうなっているの
か、まったく分からないのだ。
 オーブを中心とした各国政府は協議を重ね、その結果、火星に使節を送る事にした。『無断で
地球に滞在していた二名の火星人の強制送還』を口実として、特別使節に偽装した調査部隊を
火星に派遣。謎に満ちたユア・フレンド教団を調査する。一歩間違えば火星と地球の関係に致
命的な亀裂を生みかねない方法だが、地球と火星の戦争を避ける為には、火星の詳しい情報
が必要なのだ。
 使節のメンバーはディプレクターから選抜された。国家に属さない民間組織であるディプレク
ターのメンバーならば、万が一事が露見した時も『ディプレクターが独断でやった事』と責任を押
し付ける事が出来る。損な役回りだが、バルトフェルドを始め、ディプレクターの面々は誰も気に
しなかった。
「貧乏くじを引くのには慣れているさ。それに、こんなバカな仕事をやるのは我々ぐらいしかいな
いだろう」
 バルトフェルドは苦笑交じりにそう言った。それはディプレクターの組織としての判断でもあっ
た。
 使節団の団長にはダン・ツルギが任命された。副団長にはステファニー・ケリオンが自ら志願
した。ダンは彼女に地球に残るように言ったのだが、
「入院しているガーネットから電話でアドバイスしてもらったの。『ダン・ツルギに惚れたのなら地
獄の底まで付いて行きなさい。そうしないと、あいつは本当に地獄に落ちるわ。あいつを不幸に
したくなかったら絶対に離れないように』って。もっとも、言われなくても離れるつもりなんて無かっ
たけど」
 そう言いながらステファニーは、ガーネットから貰ったもう一つの言葉を思い出した。ちょっと恥
ずかしいのでダンには言えないが、とても嬉しい言葉。
「地球に帰ってきたら、私とニコルと子供たちで出迎えてあげる。だからそっちも家族揃って帰っ
てきなさい。『家族』でね」
 家族。それはかつてステファニーが求め、一度は諦めたもの。愛する人と結ばれ、その人の子
供を産み、育てる。それが彼女の望む未来。その未来を掴むため、ステファニーはダンと共に
戦う道を選んだのだ。それがたとえ地獄の底へ続く道でも。
 そして、この二人の護衛として、地球軍にもザフトにもディプレクターにも属さないフリーの傭兵
達が雇われた。
「火星か。きな臭い匂いがするが、面白そうだな」
 スティング・オークレーは、まだ見ぬ戦場を想像して微笑んでいた。
「火星……。シンとルナへのお土産、何にしよう?」
 ステラ・ルーシェは、火星から帰る時の事を考えている。スティングやシンからは地球に残るよう
に言われたが、彼女は引き下がらなかった。命の恩人であるステファニーの力になりたい。その
思いが彼女を強く動かしたのだ。
「火星ってどんな所かしら? アグニスさんやナーエさんの話だと、結構住みやすそうな場所み
たいだけど、ギア、あんたはどう思う?」
「分かりませんし興味もありません。行ってみれば分かるでしょう」
 アヤセ・シイナの質問に、ギアボルトは面倒臭そうに答える。
「随分と無愛想ね。失恋の痛手は思ったより大きいみたいね」
「失恋? 何を言っているんですか、あなたは」
「隠さなくてもいいわよ。オルガさんとナタルさん、結構仲良さそうだったじゃない。オルガさんの
軍への復帰ってナタルさんの側にいたいからでしょ? ナタルさんも満更でもなさそうだったし」
「…………」
「今度の仕事を引き受けたのも、あの二人を見たくないからでしょ? 失恋旅行にしてはちょっと
問題ありだけど」
「勝手な事を言わないでください。確かに私はオルガ先生を尊敬していますが、恋愛感情はあり
ません。そもそも恋愛というのがどういうものかも分かりません。まったく、ルーヴェ・エクトンといい
あなたといい、どうして私に……」
「ルーヴェさんがどうかしたの? あ、そういえばこの前、月にいるルーヴェさんから手紙が届い
ていたわね。あれってもしかしてラブレター? 返事は出したの? あんたの事はあまり好きじゃ
ないけど、相談ぐらいなら乗ってあげるわよ」
「結構です。眼を輝かせながら近づかないでください」
 未知の戦場に行くのに、この二人は普段どおりだった。大物なのか鈍感なのか。
 火星への宇宙船はアグニス達が乗ってきた大型船『アキダリア』が修復され、使われる事にな
った。MSも搭載された。アグニス達が火星から持ってきたMS(デルタアストレイとガードシェル)
の他に、修復されたギャラクシード(G・U・I・L・T・Y(ギルティ)は機能を停止しており、《ソード・
オブ・ジ・アース》も無い)とムーンライト。そしてシュトゥルムにガイア、バンダースナッチ、チェシャ
キャット。少し数は多いが、『不法滞在者の護送と監視』という名目がある。表向きには納得させ
られるだろう。
 アグニス達との出会いから一ヵ月後。旅立ちの日が来た。場所はオーブ近海にまでやって来
た第二ギガフロート・ビフレスト。選ばれた面々はアキダリアに乗り込み、発進の時を待つ。
 アキダリアの艦橋、座席に座るダンは、窓の外の景色に眼を移す。青い空と白い雲。地球の空
だった。これからしばらくはこの空を見る事は出来ないだろう。いや、もしかしたらもう二度と、
『いや、そんな事はない。俺は必ず帰って来る。ステファニー達と一緒に、必ず!』
 ダンの誓いを乗せて、アキダリアは飛翔した。それを見送るキラやアスラン、シン達も心に誓っ
た。友との再会と、この世界の平和を。



 火星のとあるコロニーの政庁。その最高議長室では老婆と少年が寛いでいた。少年は大胆に
も議長席に座り、老婆は来客用のソファーに腰を下ろしている。
 二人ともこの部屋の主である最高議長ではないが、この部屋を使う許可を与えられていた。最
高議長は彼らの忠実な部下、いや信徒だった。このコロニーの支配者は議長ではなく、この少
年と老婆だった。
「ふん」
 議長席に座っていた少年が鼻を鳴らした。
「どうかなさいましたか?」
 と老婆が尋ねる。少年は不機嫌そうに、
「地球の端末を保管していた倉庫が潰された。百体も作っておいたのに、あいつら、やってくれ
るよ」
「それは、困ったものですな。地球の様子が分からなくなると、こちらの戦略も……」
「端末はまだ残っている。それにあいつらが知らない秘密の工場もある。それでも不愉快だよ。
あの二人、よくもやってくれたな」
「ノーフェイスとレヴァスト・キルナイト、でしたか。たった二人で頑張っているようですね」
「飼い犬が狂犬になったか。早く始末しないとね。こっちも忙しくなりそうだし」
「来ますか、貴方様のご子息が」
「ああ、来るよ。アグニス達はもう少し閉じ込めておく予定だったんだけど、まあいいさ。歓迎の準
備は整いつつある。奴らが来る頃までには完璧に整うだろう。楽しみだよ」
「私も楽しみですよ。貴方様のご子息がどんな人間なのか、この眼で見られるのですから」
 老婆はニヤリと笑った。それは彼女を神のように崇める信徒の前では絶対に見せない表情だ
った。
「あいつは面白い奴だよ。ちょっと生意気だけど、最高のオモチャだ。最高すぎて、時々本気で
殺したくなる」
 メレアは椅子から降りた。そして天井に眼を向け、息子の顔を思い浮かべる。
「さあ、早く来いよ、デューク・アルストル。そして僕を楽しませろ。それが究極の親不孝者である
お前に出来る唯一の親孝行だ。お前の屍を踏み台にして、僕は再び舞い上がる。今度こそ、こ
の救いがたき世界に静かなる福音を!」
 メレアは誓う。二百年の間、抱き続けた夢の実現を。そして、愛しくも憎き息子の死を。



 ムーン・キングダムのパレスの一室では、女王が大きなお腹を抱えて休んでいた。
「はあ……。見送りに行きたかったなあ」
 ミナの呟きを聞いて、彼女の側に立つ男は呆れた。
「お前は自分の体の状態を理解しているのか? そんな体で地球にまで行けると思っているの
か?」
「分かっていますよ。ちょっと言ってみただけです。イザークさんは厳しいですね」
「当然の事を言っただけだ。まったく、ただでさえ疲れているのに……」
「あの三人の訓練、そんなに疲れるんですか? 凄腕だって聞いたんですけど」
「ああ、確かに腕は立つ。だが、あいつら、人を殺す戦いに慣れすぎている。人を守る戦いはシ
ロウト以下だ。護衛対象をほっぽり出して敵を倒そうとするなど、言語道断だ。それでもスウェン
はマシになってきたがな」
「そうなんですか。この子を守る立派な護衛役になってくれそうですね」
「任せろ。徹底的に鍛えてやる。そして守ってやるさ。この国も、お前の子も、俺の子も、そして、
お前もな」
 イザーク・ジュールの誓いの言葉。彼はこの誓いを死ぬまで守り続けた。そして、未来に希望を
託したのである。



 同時刻、プラントのとある病院では、
「はあ……。退屈だわ」
 一人の妊婦が暇を持て余していた。
 彼女の名はガーネット・バーネット。言葉どおり彼女は退屈していた。いつも見舞いに来てくれ
る夫は今日は来なかった。火星に旅立つ友人を見送りに地球に行ってしまったのだ。
「火星かあ。私もこんな体じゃなかったら行ってたんだけど」
 ガーネットは大きく膨らんだ自分のお腹に眼をやる。こんな体になってしまった為に戦場には
立てなくなり、職場も辞め、友人の見送りにも行けなかった。だが、後悔はしていない。今、自分
の体の中には新しい命が宿っているのだ。それも二つも。男の子と女の子だ。名前も既に決めて
いる。
「ダン・ツルギ、ステファニー・ケリオン、スティング・オークレー、ステラ・ルーシェ、ギアボルト、ア
ヤセ・シイナ……。あいつらはきっと帰って来る。その時は家族四人で一緒に迎えてあげましょう
ね、ディアン、エメラ」
 まだ見ぬ我が子の名を呼びながら、ガーネットは願った。戦友達の帰還を。そして、彼らと子供
たちが生きる未来が、少し厳しくて、それでも無限の可能性に溢れた世界である事を。

(2006・11/25掲載。ディアンとエメラの名前は聖魔鳳旬さんが考えてくださいました。ありがとうご
ざいました)
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