第2話
 氷と炎と優しい歌

 コズミック・イラ73、9月末日。ブレイク・ザ・ワールド事件を切っ掛けとして始まった戦争は激化
の一途をたどり、地球軍とザフトは各地で戦闘を繰り広げていた。また、裏の世界ではサードユ
ニオンとブルーコスモスが手を組んだり、サードユニオンの大総裁メレア・アルストルがゼノンに
殺されたりするなど、表の世界に劣らない嵐が吹き荒れていた。
 そしてここディプレクター・プラント支部でもバカバカしい、されど壮絶な戦いが繰り広げられて
いた。
 戦場となったのはプラント支部の大食堂。昼食時という事で多くの人が入り、ほとんどの席が埋
まっている。そんな中、赤い髪の少女と青い髪の少女が偶然同じテーブルに着席した瞬間、戦
闘開始のゴングが鳴った。
「随分と仕事熱心ね。けど、食事の時間にまで付きまとわないでほしいわね、ギアボルトさん」
 赤い髪の少女が嫌味たっぷりにそう言うと、青い髪の少女は、
「偶然です。そちらこそ食事の時間にまで私の前に現れるなんて、嫌がらせですか? アヤセ・
シイナ」
 と、こちらも不愉快さを隠さずに話した。
「…………」
「…………」
 沈黙する二人の少女。そしてお互いのトレイの上に載っている食べ物を見る。
 ギアボルトのメニューはハチミツがたっぷり塗られたトースト二枚とフルーツサラダ、そしてブル
ーベリーヨーグルトとミックスジュース。
「相変わらずの甘党ね。トーストなんてハチミツを塗りすぎてふやけてるじゃない。ヨーグルトだっ
て砂糖をたっぷり入れているみたいだし、甘党もそこまでいくと病気ね。お医者さんに見てもらっ
たら?」
 そう言うアヤセのメニューは坦々麺と麻婆豆腐。ちなみにドリンクはミネラルウォーター。
「あなたこそ、病気レベルの辛党じゃないですか。坦々麺も麻婆豆腐もスープは真っ赤で、湯気
を浴びたら眼が潰れそうです。もう凶器のレベルですね。そんな物を食べるなんて、あなた本当
に人間ですか?」
 ギアボルトも負けてはいない。しかし彼女がそう言った途端、食堂の温度が数度下がった。異
常な緊張感が食堂を包み込む。
「甘い物しか食べない味覚障害者に言われたくないわね。甘い物を食べると頭が良くなる、なん
て迷信を信じているの? おバカさんにしては努力しているみたいだけど、そんなの無駄よ。そ
の前に虫歯になって総入れ歯ね。お気の毒」
「歯は毎日磨いています。それに私は食事で知能の向上を図る程、追い詰められていません。
暴飲暴食の末に体重が大幅に増加して、『辛い物を食べれば痩せる』という迷信に頼っているあ
なたと違って」
「! わ、私の体重はディプレクターに来る前と変わってないわよ! いい加減な事は言わない
で!」
「それは失礼。ですが、いずれそうなるのではないですか? 遅くても数日中には」
 食堂の温度が更に下がる。緊張感も更に高まる。巻き込まれるのはゴメンだ。そう思った人々
は次々と食堂から出て行った。
 数分後、食堂にはアヤセとギアボルトの二人だけが残った。しかし二人とも周りの状況には気
付かず、口論を繰り広げていた。
「いい加減にしなさいよ、この盗み食い女! あんた、私が冷蔵庫に入れていたチーズケーキを
食べたでしょ! 三時間待ちの行列を並んで、やっと手に入れたのに! 私の監視役だからっ
て、何をしても許される訳じゃないのよ! ううん、絶対に許さない!」
「許さないのは勝手ですが、私は盗み食いなんてしてません。私は甘さ控えめのチーズケーキな
んて食べません。自分で食べたのを忘れたのでは? 覚えてないのですか? どうやら辛い物
を食べ過ぎて脳細胞の一部が破壊されたようですね。お気の毒です」
「な……!」
「小腹が空いたのなら、唐辛子でもかじったらどうですか? 辛党の貴方には最適のお菓子だと
思いますが」
「何ですって、この砂糖女!」
「では、貴方は唐辛子女ですね。いえ、ハバネロ女と呼ぶべきでしょうか?」
 互いに一歩も引かない、壮絶な口喧嘩。アヤセがプラント支部に来てから数日が経つが、ギア
ボルトとは毎日この調子だ。二人の喧嘩は、ディプレクター・プラント支部の名物になりつつあっ
た。



 ダン・ツルギがゼノン・マグナルドとの戦いに敗れてステファニー・ケリオンと共に行方不明にな
った後、エクシード・フォースの主だった面々は地球に帰還した。だが、一人だけ宇宙に残った
者がいた。
 ギアボルト。そう名乗っている少女は己の未熟さを恥じ、より強くなる事を望んだ。そこで彼女
が知る限りで最も強い戦士に鍛えてもらおうと思ったのだ。
 その戦士の名はガーネット・バーネット。ディプレクターのプラント支部長であり、『漆黒のヴァ
ルキュリア』と呼ばれるエースパイロット。キラ・ヤマト、アスラン・ザラと並ぶディプレクター三英雄
の一人である。
 しかしガーネットは多忙な日々を送っていた。地球とプラントの間に戦端が開かれて以来、彼
女は各プラントや月に出向き、戦争の早期終結の為に各方面に働きかけていた。とてもギアボ
ルトの相手をしている時間は無い。
 それはガーネットの恋人であるニコル・アマルフィも同じだった。プラント支部の副支部長として
ガーネットを支え、彼女以上に働いていた。
 ギアボルトは困った。プラント支部でギアボルト以上の実力を持つパイロットは、ガーネットとニ
コルだけ。自分より強い相手と戦わなければ強くなれない。これではプラント支部に留まっている
意味が無い。
 地球に帰ろうかと考え始めたある日、ギアボルトはガーネットに呼び出された。
 支部長室に入ると、椅子に座っているガーネットの前に、一人の女性が立っていた。炎のよう
な真紅の髪と鋭い目をした少女。
 見知らぬ相手を警戒するギアボルト。赤い髪の少女もギアボルトを見て、顔をしかめている。少
し緊張感が漂う中、ガーネットが、
「ギアボルト。彼女はアヤセ・シイナ。元リ・ザフトのデスフレイム隊の副隊長よ。アヤセ、この子は
ギアボルト。元ゴールド・ゴーストの一員で、私を殺そうとした女の子。ちょっと変わり者だけど、
根はいい子よ」
 と簡単な紹介する。そして、
「今日からあんた達にはいつも一緒にいてもらうわ。仲良くしなさい」
 と言い放ったのである。



 コロニー・ホーエンハイムの戦いでリ・ザフトが壊滅した後、アヤセを始めとするリ・ザフトの生き
残りはザフトに拘束された。
 デュランダル議長は降伏した兵たちを丁重に扱い、罪の軽い者にはイザークのように別の名
を与えて、一般人として生きる事を許した。この寛大な処置にリ・ザフトの面々は感謝し、「デュラ
ンダル議長とプラントの為に働きたい」と願う者が続出。デュランダルは彼らの申し出を承知し、
彼らを特別に解放して、ザフトの兵士もしくは技術者として受け入れた。
 もちろん罪人をすんなり解放する訳ではない。解放された者全員に監視役が付けられ、その
行動は規制されている。
 アヤセもそうやって解放された者の一人である。しかし、彼女については少し問題があった。
 アヤセ・シイナ。この赤い髪と赤い瞳の美少女は、リ・ザフトの精鋭デスフレイム隊の副隊長を
勤めていた。優れたMSパイロットでもあり、ギアボルトやガーネットと戦った事もある。彼女は降
伏したリ・ザフト兵の中で最も地位の高い人物だった。逮捕後は殊勝な態度をとり、『再犯の可能
性は低い』と判断されたが、それでもテログループの幹部をすんなりとザフトに迎える訳にはいか
ない。
 そして本人は、ザフトではなくディプレクターへの配属を志願した。ディプレクターに入れない
のならば一生刑務所で過ごす覚悟だ、とまで言ったのだ。
「で、うちで面倒を見てくれないか?って言ってきたのよ。まったく、あのタヌキは寛大なんだか、
面倒なのを押し付けたつもりなんだか」
 グチるガーネット。『タヌキ』とはデュランダルの事だ。彼女はデュランダルを高く評価していた
が、同時に油断のならない男とも思っていた。
「アヤセを正式にうちに入れるかどうかは後日決めるわ。それまではウチで面倒を見るから、ギア
ちゃん、アヤセの監視役、よろしくね♪」
「よろしくね♪じゃありません。どうして私がそんな事をしなければならないんですか?」
 ギアボルトは不満だった。自分がこのプラント支部にいるのは『より強くなる為』だ。監視役など
というつまらない仕事をやる為ではない。
 冷たい目で睨むギアボルトに対し、ガーネットはニッコリ微笑む。
「このプラント支部にいる面々でアヤセと互角に戦えるのは、私とニコルとギアちゃんだけ。他の
奴らに任せたら、アヤセにボコられて逃げられるかもしれない。私がやってもいいけど、私もニコ
ルもすっごく忙しいのよ。ギアちゃんは暇を持て余しているみたいだし」
 ガーネットの言うとおり、ギアボルトは退屈していた。つまらない仕事ではあるが、退屈しのぎと
考えればいいのかもしれない。それに、何もせずに三食食べさせてもらっている身の上だ。拒む
のは難しいだろう。そう考えたギアボルトは、非常に不満ではあるが、
「分かりました。監視役の任務、お引き受けします」
 と言った。そしてアヤセに手を差し出して、
「よろしくお願いします、アヤセ・シイナ」
「………………」
 アヤセは黙って、ギアボルトの手を握った。その瞬間、アヤセとギアボルトは背筋に寒気が走
るのを感じた。そして、確信した。
『この女とは気が合わない』
 と。



 『馬が合わない』。
 昔の人の言葉だが、アヤセとギアボルトの関係を表すのに、これ程的確な言葉は無かった。
 アヤセとギアボルト。直接顔を合わせたのはガーネットに紹介された時が初めてだったが、知
らない仲ではない。パリでは共闘し、北海沖に停泊していたビフレストやコロニー・ホーエンハイ
ムでは殺し合っている。
 知らない仲ではないが、決して仲良しではない。そんな複雑な関係の二人は、初対面から相
手に敵意を抱いた。かつての敵だから、というのも理由だろうが、本能的に気に入らなかったの
だ。
 どうして気が合わないのか、それは本人達にも分からない。だが初対面の時からギアボルトは
アヤセが嫌いになったし、アヤセもギアボルトを不快に感じた。二人は最悪の相性だった。
 それでもギアボルトは監視役としての職務は果たした。アヤセの行動を見張り、後を付けたりし
て、四六時中彼アヤセに付きまとう。それが更にアヤセを不快にさせた。
「あー、もう! いい加減にしなさいよ、このストーカー女!」
「ストーカーではありません。私は仕事をしているだけです。仕事でなければあなたのようなハバ
ネロ女の後を付けたりしません」
 そして口論、衝突、大喧嘩。この二人のせいでプラント支部全体の雰囲気が悪くなっていた。
上層部としても見過ごせない、と副支部長のニコルがガーネットに相談する。
「……という訳です。あの二人は水と油、いいえ氷と炎のようなものですね。お互いに相手を傷付
けるだけです。ギアボルトさんの監視役を解任した方がいいと思うんですけど」
「うーん、でも私はあの二人はいいコンビになると思うのよね。切っ掛けさえあれば仲良くなってく
れるだろうし」
「そうかもしれませんけど、そんな切っ掛けが来る前にあの二人が大喧嘩するんしゃないです
か?」
「そうね。もう少し待ってあげても良かったんだけど、しょうがないわね。切っ掛けは私達で作りま
しょう。ちょうどいい『仕事』があるのよ。あの二人に力を合わせてやってもらうわ。アヤセを正式に
ディプレクターに迎えるかどうかを決める為の試験としてね」
「最終試験ですか? でも、アヤセさんを仲間にするのにギアボルトさんが協力するとは思えま
せんけど」
「それは大丈夫。私が言いくるめるから。ニコル、あの二人を呼んできて」
 そう言ってガーネットは微笑んだ。まるでイタズラ好きの子供のような微笑みだった。ニコルも
微笑みを返したが、同時に嫌な予感がした。



 こうしてアヤセのディプレクター入りを賭けた最終試験が開始された。試験の内容は、ガーネッ
トの友人である女性の護衛。彼女は最近、暴力的なストーカーにつきまとわれているのだが、警
察は事件にならないと動いてくれない。しかし何か起きてからでは遅い。困った彼女はガーネット
に「何とかしてほしい」と相談してきたのだ。
「でも私もニコルも無茶苦茶忙しいのよね。私の代わりにあの子を守ってあげて。この事件を解
決したらアヤセ、あなたをディプレクターの一員として正式に迎え入れるわ」
 ガーネットははっきりと約束した。張り切るアヤセ。一方ギアボルトはアヤセに協力するように命
令されたが、
「私の任務はアヤセ・シイナの監視です。彼女の就職活動を助ける必要はありませんし、やりたく
もありません」
 と拒否。しかし、
「もしアヤセが何かトラブルを起こしたら、監視役であるあなたのミスになるわよ。彼女の側にいて
見張らなくてもいいの?」
 とガーネットがニヤニヤしながら言う。結局、ギアボルトもアヤセに同行する事になった。アヤセ
の運転する車に乗って、二人はガーネットの友人との待ち合わせ場所に向かった。
「まんまとガーネット・バーネットの屁理屈に乗せられました。でもアヤセ・シイナ、私はこの仕事
には手を貸しません。あなたがバカを事をしないか見張るだけです」
「いいわよ、それで。私もあんたの手なんか死んでも借りないから」
 運転するアヤセも、隣の席に座るギアボルトも、相手の顔をまったく見ようとしない。一緒の車
に乗っているというだけで不愉快なのだ。顔も見たくない。
 しばらくの間、二人は沈黙していた。しかし、重い空気に耐えられなくなったのか、ギアボルトが
口を開いた。
「それにしてもガーネット・バーネットはとんでもない人ですね。ストーカーからの護衛なんて、軍
事組織であるディプレクターがやる仕事ではありません。友人の身が心配なのは分かりますが、
その護衛を部下にやらせるなんて信じられない。公私混同もいいところです」
「……公私混同なのは同感だけど、それだけ心配なんでしょ。ガーネットさんの悪口は言わない
で。私、あの人を尊敬しているんだから」
 アヤセのその言葉に、ギアボルトは驚いた。
「意外ですね。あなたはガーネット・バーネットを嫌っていると思っていました。リ・ザフトにいた頃
はあの女に何度も痛い目に合わされたと聞いていますが」
「ええ、やられたわ。ボッコボコのギッタギタにね。私だけじゃなく、リ・ザフトそのものが、だけど」
 反ナチュラル、コーディネイター至上主義をモットーとするリ・ザフトは、ナチュラルに友好的な
コーディネイターも標的にしていた。地球に対し友好的なデュランダル政権の議員も狙った事が
あるのだが、ガーネット率いるディプレクター・プラント支部の活躍によって悉く阻止された。
 アヤセがいたデスフレイム隊も敗北を重ね続けた。アヤセがデスフレイム隊に入った時、隊の
メンバーは十人もいた。だが、メンバーはガーネットに次々と葬り去られた。イザークがリ・ザフト
の新リーダーになった時、デスフレイム隊のメンバーはアヤセと、彼女より少し前に隊に入ったジ
ール・スメイザーの二人だけ。デスフレイム隊にとってガーネットは宿敵、いや怨敵と言ってもい
い存在だった。
「ジールの前の隊長さんも、他のみんなもいい人ばかりだった。未熟な私を鍛えてくれたり、少な
い食料を分けてくれたり……。でも、みんな死んだ。ガーネットさんに殺された」
「…………」
 似ている、とギアボルトは思った。この女と私と似ている。ガーネット・バーネットによって大切な
仲間を殺された事も、たった一人だけ生き残ってしまった事も。よく似ている。
 だが、この女は、
「でも私はガーネットさんを恨んでないわ。本当よ。むしろ尊敬している」
 私とは違う。全然違う。
「どうしてですか? 大切な仲間を殺した相手を恨まない、それどころか尊敬しているなんて、あ
なたの心が理解出来ません」
 ギアボルトのその発言に、アヤセは苦笑した。
「そうね。私もおかしいと思う。けど、恨んでないのは本当よ。だってあの人は凄く強くて、カッコ
いいんだもの」
「? カッコいい、ですか?」
「ええ。あの人は強い。どんな苦境に陥っても諦めない。卑怯な手は使わず、いつも正々堂々、
真っ向勝負で戦って、そして必ず勝つ。私が理想にしていた戦士そのもののような人。憧れなの
よ」
 敵だけど憧れた。尊敬した。ああいう人になりたいと思った。そして、いつの日かあの人に勝ち
たいと思った。
「だから私はディプレクターに入りたいの。リ・ザフトの理想は砕け散ったけど、私の理想は砕け
ていない。ガーネットさんのように強くなりたい。強く生きたい。それが私の理想で目標だから」
「…………」
 沈黙するギアボルト。そして考え込む。やっぱりこの女と私は似ている。この女もガーネットに勝
つ為に彼女の側にいる事を願っている。私と同じだ。いや、違う。私は…。
 ギアボルトが考えている間に、車は待ち合わせ場所に到着した。そこは巨大なイベントホール
だった。ホールの門前には、こう書かれた看板が飾られていた。
『ミーア・キャンベル 新曲コンサート会場』



 ホールの中では数日後の本番に備え、リハーサルが行われていた。ミーア本人も来ており、ス
テージで歌を歌っている。
 ミーア・キャンベルは二年前にデビューしたアイドル歌手だ。容姿は少し地味だが、確かな歌
唱力と明るい性格でファンを獲得している。だが、
「うーん、イマイチだわ」
 アヤセと同じ評価をする人が増えてきた。
「私、ミーア・キャンベルの歌は好きで、CDも全部持っているわ。けど、最近の彼女の歌には力
が無い気がする。生で聞くとそれがよく分かるわ。ストーカー問題で悩んでいるのかしら?」
「……そうですか? 私はいい歌だと思いますが」
「あんた音楽なんて全然聞かないじゃない。ミーア・キャンベルの名前だって知らなかったくせ
に」
 アヤセの言うとおりだった。ギアボルトは音楽に興味が無い。音楽など自分の人生には不要な
ものだと考えている。『プラントの歌姫』ラクス・クラインや『ナチュラルの歌姫』シャロン・ソフォード
の歌はラジオで聞いた事はあるが、心は沸かなかった。
 そんなギアボルトだが、なぜかミーアの歌には惹かれるものがあった。アヤセが「ダメだ」と言っ
ている歌が、ギアボルトには魅力的なものに聞こえるのだ。なぜ? 私達はとてもよく似ているの
に、なぜ?



 リハーサルを終えたミーアは楽屋で一休み。ギアボルトとアヤセはそこでミーアに挨拶をして、
自分達が彼女のガードをする事を説明した。
「えっ!? あなた達が私のボディーガードをやるの?」
 自分より年下に見える少女達を見て、ミーアは戸惑っていたが、
「うーん、まあガーネットさんが送ってくれた人なら大丈夫ね。お願いするわ」
 と二人に護衛を任せてくれた。
「ええ、私達に任せてください。ストーカーなんかボッコボコにしてやりますから!」
 張り切るアヤセを放って、ギアボルトは楽屋の中を見回す。狭い楽屋にはミーアとアヤセ、ギア
ボルトとミーアのマネージャーである中年男だけしかいない。
「護衛役は私とアヤセ・シイナだけですか?」
 ギアボルトの質問にはマネージャーが答えた。
「大勢に守らせていたら目立って、変な噂が立つだろ? それに今、ミーアはコンサートを控えて
微妙な時期なんだよ。いくら護衛役でも男を側には付けたくないんだ」
「なるほど。芸能人は大変ですね」
 そう答えるギアボルトは、この仕事が予想より困難なものになりそうだと考えた。いつ、どこから
襲ってくるのか分からない敵を迎え撃つ。それもミーアを守りながら。単に敵を倒せばいいという
ものではない。敵にミーアを傷付けられたり、殺されたらギアボルト達の敗北なのだ。
『私向きの仕事ではありませんね』
 それでもやるしかない。そして守らなければならない。この、心安らぐ歌を歌う少女を。



 それから二日が過ぎた。
 その間、特に事件は起こらなかった。ミーアはコンサートのリハーサルを繰り返しており、ギアボ
ルトとアヤセは陰から彼女を守る。ミーアが自宅にいる時は三人で寝食を共にして、完璧に護衛
する。
 そして同じ年頃の三人の少女が親しくなるのに時間は掛からなかった。ギアボルトの愛想の無
さは変わらなかったが、アヤセと喧嘩する事は無くなっていた。
 護衛を始めてから三日目。ホールでのリハーサルが終わった時には、外はもう暗くなってい
た。プラントも夜の時間になったのだ。ミーアはこの後はもう予定が無いので、マネージャーが運
転する車に乗せてもらい、自分のマンションに帰宅。アヤセとギアボルトもその後に続いた。
 マネージャーはマンションの玄関前で別れた。ミーアとアヤセ、そしてギアボルトの三人はマン
ションに入り、ミーアの部屋に入る。
「この部屋に人が来るのは久しぶりね。ようこそ、我が家へ。ちょっと散らかっているけど、適当な
所に座ってね」
 散らかっている、とミーアは言うが、そんな事は無い。窓ガラスは綺麗に磨かれいるし、本棚も
食器棚も整理されており、床には紙クズ一つ落ちていない。綺麗な部屋だとアヤセが褒めると、
ミーアは苦笑して、
「最近暇だから、掃除ぐらいしかやる事が無いのよ。だから綺麗なだけ」
 と言った。
 最近は暇、というのは出任せではないらしい。夜といってもまだ九時だ。売れっ子のアイドルや
芸能人なら、休暇でもない限りまだ働いている時間のはず。本当に仕事が無いのだろう。
「最近はCDもちっとも売れなくて……。今度のコンサートもチケットの売れ行きは悪いみたい。そ
ろそろ私も引退かな」
 ミーアはそう言って、ソファーに腰を下ろす。
「ミーアさん……」
 アヤセは何も言えない。ミーアのファンであるからこそ、言うべき言葉が見つからないのだ。何
を言えばいい? 何をすればいい? 励ましか、それとも……。
「CDの売れ行きが悪いんですか?」
 ギアボルトが窓の外を見ながら尋ねる。外の様子を見張っているのだ。
「ちょっ、ちょっとギアボルト! あんた、そんなストレートに…」
「ええ。かなりね」
 ミーアはあっさり答えた。これにはアヤセも、尋ねたギアボルトも驚いた。
「認めるんですか。芸能人は無駄にプライドが高い人種だと聞いていましたが」
「そういう人もいるけど、そうじゃない人もいる。それはどんな職業でも同じでしょ? あなた達み
たいな可愛い軍人さんがいるようね」
「可愛い?」
「ええ。少なくても私よりはね」
 苦笑しながらミーアはそう言った。そして、軽いため息をつく。
「事務所の偉い人から言われたのよ。君の歌の売れ行きが落ちている。歌だけで売るのはもう限
界だ、新境地を開拓すべきだって」
「新境地?」
 意味が分からず首を傾げるアヤセに、ミーアは自分の胸を指差した。大きい。サイズだけなら、
かなりの上物だ。
「これからはお色気路線で売っていったらどう?ですって。前からそういう話はしていたけど、い
よいよ本気みたい。最後は私の意志に任せるそうだけど、断ったらクビでしょうね」
「お色気はやりたくないんですか?」
 ギアボルトが訊くと、ミーアは小さく頷いた。
「私は歌うのが好き。歌を歌って、一人でも多くの人に聞いてもらう為に芸能界(このせかい)に
入ったの。お色気をやって、それで人気が出ても、それでCDが売れるとは思えない」
「確かにそうよね。セクシー系のアイドルの商品なら、写真集とかならともかく、CDを買うファンは
そんなに多くないでしょうね」
 アヤセが言い切る。意外と芸能関係には詳しいようだ。
「私もそれが不安なの。そっちの道へ行ったら、私は歌えなくなるかもしれない。それじゃあ芸能
界に入った意味が無いの。でも、歌が売れないのは事実だし、仕事を選り好みできる立場じゃな
いし……。私、どうすればいいのかな?」
 ミーアは友人になったばかりの少女達に相談する。芸能界とは無関係の人間の答えが訊きた
いのかもしれない。自分の行こうとしている道は正しいのか、と。
 どう答えるべきなのか? ギアボルトもアヤセも迷った。正しい道など彼女達にも分からないの
だ。特にギアボルトは。
『…………この人の歌が私の心に届いた理由が分かりました。この人も私と似ているんですね』
 ミーアは未来に悩み、迷い、道を見失っている。ギアボルトもそうだ。そしてミーアの迷いは歌
にも現れ、他人の心も迷わせる。だからアヤセのように、もがきながらも自分の道を行こうとしてい
る人達には共感されず、評価も落ちているのだろう。
「ミーア。私はあなたの歌が好きよ。ううん、好きだった。昔はね」
 重い沈黙の後、アヤセが口を開いた。
「けど、今のあなたの歌はあんまり好きじゃない。その理由が分かった。あなたが迷っているから
だったのね。その迷いが歌に入っちゃって、おかしな歌になったんだわ」
 アヤセの考えはギアボルトと同じようなものだった。そしてそれは間違っていない。
「迷ったり、悩んだり、苦しんだりするのは悪い事じゃない。けど、自分の迷いや苦しみを人に押
し付けるのはダメだと思う。自分の悩みは自分で解決しないと」
「…………」
「私は他人だから、あなたに答えは出せない。私が答えを出したら、どんな結果になってもあなた
は絶対に後悔すると思う。だから自分で考えて。そして悩んで、迷って、苦しんで、結論を出しな
さい。自分自身の心で」
 迷っている相手を更に突き放すようなアヤセの答え。だが、リ・ザフトの一員として戦って、傷付
いて、愛する人も失った少女の言葉には重みがある。自分の道は自分の意思で切り開くしかな
いのだ。
「相談になら乗ってあげるけど、私は結論は出さない。あなたが考えて、そして決めるのよ」
「アヤセ……」
 戸惑うミーア。彼女はアヤセに「頑張れ」とか「負けるな」と言って、励ましてほしかったのだろ
う。だが、返ってきたのは期待していたものとはまったく逆の言葉。少し失望したようだった。
 しかしギアボルトには分かった。アヤセの言葉は冷たいようで、実はとても熱い言葉。ミーアの
ファンとして、そして友人として案じるが故に厳しい事を言っているのだ
 二人のやり取りを見ていたギアボルトは、少しイライラした。最初、アヤセとミーアは自分とよく似
ていると思った。そう、まるで鏡に映る自分の影のように。しかし、そうではなかった。自分の鏡像
だと思われたアヤセは、自分の意思を持っており、自由に動き回る存在だった。そしてミーアも
悩み苦しみながらも前に進もうと足掻いている。
 影のはずの二人は動いているのに、自分は動いていない。前に進んでいない。何をすべきな
のか、どこへ行けばいいのか、さっぱり分からない。
『私は、どうすれば……?』
 悩むギアボルト。その時、
「!?」
 玄関の方から壮絶な音がした。ドアが蹴破られたような轟音だった。
 いや、鋼鉄製の、しかも丈夫な鍵が掛かっているドアを蹴破るなんて、そんな事が出来るはず
がない。三人ともそう思ったのだが、三人がいる部屋に向かう足音が聞こえる。侵入者だ。
「随分と乱暴ね。ひょっとして、例のストーカー?」
 アヤセがギアボルトに尋ねる。ギアボルトは頷き、
「そのようです。それにしても、こんな風に正面から乗り込んでくるとは……」
 予想外だ。完全に裏をかかれた。このマンションはオートロック式で、住人とその関係者以外
は入れない。だから自宅なら安全だと思っていたのだが、このストーカーはどうやってマンション
内に侵入したのか?
「今はそんなことを考えている場合じゃないわね。ミーアはどこかに隠れてて。ストーカーは私と
ギアボルトで何とかするから。ギアボルト、いいわね?」
「ええ。これが私の仕事ですから」
 身構えるギアボルトとアヤセ。そして、ミーアが隣の部屋に逃げ込むと同時に侵入者がギアボ
ルト達の前に姿を現した。黒覆面で顔を隠しているが、体格からして男性のようだ。高い身長と
服の上からでも分かるほど鍛えられた肉体。そして、鉄製のドアを蹴破るほどの脚力。只者では
ない。
『かなりの強者ですね。元軍人、いえ、現役かもしれませんね』
 敵を分析するギアボルト。ストーカー男の構えには一切隙が無い。ギアボルトもアヤセも弱くは
無いが、それでも敵の方が実力は上だ。まともに戦っても勝ち目は無いだろう。
『危険すぎる相手です。ここは慎重に…』
 と思った瞬間、
「ここから先へは、行かせないわ!」
 アヤセが動いた。黒覆面の男に向かって一直線、正面から挑む。
『正直すぎる!』
 ギアボルトの思ったとおり、単調な動きだった。黒覆面の男はアヤセの動きに合わせてカウン
ターのパンチを放つ。しかし、そのパンチは当たる直前でアヤセは足を止めた。そして腰を落と
し、強烈な回し蹴りを相手の脛(スネ)に叩き込む!
「っ!」
 覆面男が軽く声を上げる。それなりのダメージを与えたようだ。
 ギアボルトは驚いた。アヤセ・シイナは炎のような女であり、戦い方も直情的なものだと思ってい
た。事実、今までのアヤセはそういう戦い方をしていた。だが、今の動きは相手のカウンターを
予測した上での冷静なものだった。リ・ザフト時代とは違う、という事か。
 見事な先制攻撃を浴びせたアヤセ。だが、彼女も無事ではすまなかった。
「くっ……。何て硬い足。どういう鍛え方してるのよ!」
 蹴られた男より、蹴ったアヤセの方が痛がっている。アヤセも素人ではない。ザフトやリ・ザフト
で軍人として訓練を積んでいるし、体も鍛えている。並の兵士相手なら相手にならない強さだ。し
かし、この覆面ストーカーは並の相手ではないようだ。
「……ギアボルト、私に手を貸して」
 その言葉は再びギアボルトを驚かせた。
「あなたが私に助けを求めるとは思いませんでした。あなたは私を心の底から嫌っていると思い
ました。私に助けられるくらいなら死んだほうがマシだ、と言うかと」
「ええ、私はあんたが大嫌いよ。私一人が死ぬのなら意地を貫くわ。けど、それじゃあダメなの
よ。私の意地で犠牲を増やすわけにはいかない」
 そう言ってアヤセはミーアが隠れている部屋の扉を見る。覆面男をあそに行かせる訳にはいか
ない。ミーアの為にも、そして自分にこの仕事を与えてくれたガーネットの為にも。
「私の為に、なんて言わない。ミーアを守る為に戦って。お願い」
「…………」
 ギアボルトはアヤセへの評価を改めた。彼女は私に似ている。けど、私とは違う。全然まったく
違う。私より強く、賢く、凄い女性だ。腹が立つけど、それは認めなければならない。
 それにしても腹が立つ。ガーネット・バーネットといい、この女といい、どうして私より強い女性は
私をムカつかせるんだろう?
「まあ、いいでしょう。目標と馴れ合うのは趣味ではないですし」
「? 何か言った?」
「いいえ、別に。それでは」
 ギアボルトは拳を握り、腰を落とした。
「銃は使わないの? 持っているんでしょ?」
 仮釈放の身であるアヤセには武器の所持は許可されていない。しかし監視役であるギアボルト
には銃の所持が許されている。だから尋ねたのだが、
「持っていません。ガーネット・バーネットが許可してくれませんでした」
「どうして? あんた何かやらかしたの?」
「『アヤセは逃げないから銃なんていらないわよ。何かあったら、一人前の戦士なら拳で切り抜け
なさい』と」
「無茶苦茶ね……」
「そういう人です。あなたと良く似ています」
 ギアボルトはアヤセの顔を見た。そして、
「銃を使わなくても、私達が組めば負けるはずがありません。絶対に」
 と自信満々に言った。アヤセは一瞬驚いたが、すぐに微笑みを返す。
「言ってくれるじゃない。けど、確かにそうね。負ける気がしないわ」
「ええ。では戦いましょう、アヤセ・シイナ」
「OK。足手まといにならないでよ、ギアボルト!」
 声を掛け合い、二人の少女は力を合わせて敵に挑む。
「はあっ!」
「はっ!」
 背の高い黒覆面に対して、アヤセが下半身を攻撃。相手がアヤセの攻撃に気を取られている
隙にギアボルトがジャンプし、顔面に蹴りを叩き込もうとする。即席のコンビネーションにしては息
が合っているが、黒覆面も並の使い手ではない。アヤセの攻撃を軽くかわした後、迂闊に飛び
上がったギアボルトを払い落とす。
「ぐっ!」
 床に落とされるギアボルト。痛みが体を走るが無視して、すぐに立ち上がって相手との距離をと
る。そして隣に来たアヤセに小声で相談する。
「予想以上に強いです。簡単に倒せる相手ではありません」
「そんなの分かってるわよ。どうする? イチかバチか突っ込んでみる?」
「自殺行為ですね。顔に蹴りを入れれば勝算はあるのですが……」
 顔面は人間共通の急所だ。そこへ蹴りを叩き込めば、どんな強者でも倒れるはず。しかしギア
ボルト達と黒覆面との身長差は大きい。普通の蹴りを放っても、顔面までは届かない。かといっ
て飛び蹴りを放てば、先程のように払い落とされる。
『攻め手がありませんね。このストーカー、強すぎる』
 無駄の無い動きや体格から察するに、黒覆面のストーカーは格闘技のプロだ。それもかなりの
実戦経験を積んでいる。対するギアボルトとアヤセも素人ではないが、この男に比べたら素人同
然だ。体力、技術、経験、全て相手が上。ギアボルト達に勝ち目はほとんど無い。
 ギアボルトとアヤセは背に冷や汗が流れるのを感じた。こんな時だけ気が合うのはいい事なの
か、悪い事なのか。



 さて、勘のいい読者は気付かれたと思うが、このストーカー騒動は全て芝居である。仲の悪い
ギアボルトとアヤセを仲良くさせる為にガーネットが考えた作戦だ。
『憎み合っている者同士でも、共通の敵を前にすれば力を合わせる』
 そう考えたガーネットは最近友人になったミーアに協力してもらい、この作戦を行なった。スト
ーカー役はバリー・ホー。元オーブ軍のMSパイロットで『拳神』の異名を持つエース。格闘家と
しても一流だ。ガーネットは前大戦時に知り合ったこの男に敵役を頼んだ。バリーは強いが、敵
は強ければ強いほど、二人は力を合わせようとするはずだ。
「随分と手の込んだ事をするな。そこまでしてその二人を仲良くさせたいのか?」
 芝居の前、そう尋ねてきたバリーに、ガーネットはこっくりと頷いた。
「あの二人は例えるなら氷と炎なのよ。迂闊に触れ合えば互いに消しあってしまう。けど、極限の
熱気と極限の冷気がぶつかれば大爆発するように、あの二人も極限にまで追い詰めればお互
いを高めて、もっと強くなる。性格が正反対で最悪だけど、最高の組み合わせなのよ」
「ほう、君がそこまで高く評価するとは。それ程の逸材なのか、あの二人は?」
「逸材よ。ギアボルトはこの私から《アポロン》を盗ったし、アヤセは二年間も私と戦って生き抜い
た。こんな凄い逸材、鍛えなきゃバカでしょ?」
「そうかもしれんな。本人の意思を半ば無視しているのが気になるが」
 そう言いつつも、バリーはガーネットの頼みを引き受けた。女性と戦うのはあまり気は進まない
のだが、これは訓練でありあの二人の為でもある、とガーネットに説得された。ガーネットには前
大戦で敵の攻撃から救ってもらった借りがあるし、何より『漆黒のヴァルキュリア』にこんな猿芝居
をさせる程期待されている二人にも興味が沸いた。
 実際に二人と戦って驚いた。ギアボルトもアヤセも予想以上に強い。気を抜けば負けるかもし
れない。
『二人とも普通の娘にしか見えないのだが……。世界は広いな』
 バリーは改めて気を引き締めた。『拳神』と呼ばれた男が本気になった。



 隣の部屋に押し込められたミーアは退屈していた。
 全ては予定通りに進んでいる。ストーカーに扮した男が扉を蹴破ったのも、自分がこの部屋に
逃げ込んだのも予定通りだ。部屋に隠れた時点でミーアの出番は終わっている。後は戦いが終
わるのを待つだけなのだが、
『退屈だわ』
 ストーカー役のバリーという男とはこの芝居が始まる前に顔合わせをしている。女性が苦手なの
か少し顔を赤くしていたが、鍛えられた体をしており、弱そうには見えなかった。ギアボルトとアヤ
セがすぐに負けて終了、と思ったのだが、
『長引いているみたいね。あの二人、そんなに強かったの?』
 外の様子が気になったミーア・キャンベルは、部屋の扉を少し開けた。そして戦場となった居
間の様子を見る。
 ギアボルトとアヤセが、黒覆面を被ったバリーと戦っている。盛んに攻撃を繰り出す二人。だが
バリーにはまったく当たらない。全ての攻撃が防がれ、あるいはかわされている。
 ミーアは格闘技については素人だが、それでもバリーが強い事は分かった。少なくともギアボ
ルト達よりは遥かに強い。バリーが本気になれば、ギアボルトもアヤセも一瞬で倒されるだろう。
それ程の実力差だ。
 素人のミーアでさえそう判断できるのだ。バリーに勝てないのは戦っている本人達が一番良く
分かっているはず。それなのに、どうしてあの二人は挑むのだろう?
『無謀だわ』
 ミーアはイライラしてきた。勝てないのだ。どうにもならないのだ。なのになぜ、あの二人は戦う
のだろうか? 私を守るため? ガーネットの命令だから? 戦士としてのプライド?
 それらも理由の一つだろう。だが、それだけではない?
 ギアボルトの目にもアヤセの目にも力強い光が宿っている。それはミーアも見た事のある目だ
った。成功を、勝利を諦めていない者の目。芸能界という戦場を戦い抜いて、栄光を掴んだ者
たちの目に似ている。
 ミーアはアヤセに言われた事を思い出した。自分の道は自分で考えて、自分で決めろ。今、あ
の二人は自分の力で道を切り開こうとしている。その姿はとても美しく、そして、ちょっとだけ悔し
い。
『私は……戦う前から諦めていた。戦おうともしなかった。それじゃダメなんだ。それじゃあ!』



 男のバリーと、女のギアボルトとアヤセには致命的な差がある。体力の差だ。戦いが予想以上
に長引きいた為、二人の少女の体力は限界に近づいていた。このままでは歩く事も出来なくなる
かもしれない。
 ついにギアボルトは最後の賭けに出た。
「アヤセ。私に考えがあります。手伝ってくれませんか?」
「ちょっと不安だけど、OK。私にはいい手が無いし。で、何をやるの?」
 二人は数秒語り合った。アヤセが少し不安げな表情を浮かべた。
「悪くはないわね。でも、私、かなり損してない?」
「他に手はありません」
「……OK。あんたを信じる。任せたわよ」
 そう言うと同時に、アヤセはバリーに向かって走り出した。無謀な特攻だ。バリーは腰を落とし
て冷静に対応しようとするが、
「!」
 バリーはアヤセの後ろを走る影に気が付いた。ギアボルトだ。アヤセのすぐ後ろに隠れて、連
携攻撃を仕掛けるつもりのようだ。
「安直だな」
 バリーはそう呟いて、まずはアヤセの相手をする。アヤセの足に鋭い足払いを放ち、彼女の走
りを止めた。
「きゃっ!」
 足払いを受けたアヤセはその場に倒れようとする。バリーは続いてギアボルトの相手をしようと
するが、ギアボルトの動きの方が早かった。倒れようとするアヤセの背に駆け上り、部屋の天井
ギリギリまでジャンプ。そして飛び蹴りを放つ。
 バリーは素早く反応し、かわそうとする。だが、
「逃がさない!」
 踏み台にされたアヤセがバリーの足に絡みついた。バリーの動きが一瞬止まる。その一瞬こ
そ、ギアボルトが待っていた瞬間。高所からの強烈な蹴りが、黒覆面を被ったバリーの頭部に命
中する。
「ぐあっ!」
 声を上げて倒れるバリー。ギアボルトが着地して、アヤセが立ち上がるが、バリーは動かない。
どうやら気絶したようだ。
「勝負あり、ですね」
 勝利宣言するギアボルトだが、彼女の背後に新たな敵が現れる。
「ギアボルト! あんた、私を踏み台にしたわね! 人の背中を踏んで謝りもしないなんて!」
「作戦どおりです。あなたが敵の気を引き付けている隙に私が止めを刺す。おかげで敵の顔を
蹴る事が出来ました。バンザーイ、です」
「バンザーイじゃない! あんたとはやっぱり決着をつけ…」
 アヤセの文句は最後まで続かなかった。自分でも訳が分からないまま、アヤセは意識を失っ
た。
 それはギアボルトも同様だった。何が起こったのか理解できないまま、彼女も気を失った。二
人の少女が倒れ、その場にはバリーだけが立っていた。バリーはミーアが隠れている部屋の扉
を見て、こう言った。
「終わったぞ。世話になったな」
 そう、戦いは終わった。ミーアは扉を開けて部屋から出てきた。その目からはなぜか涙が流れ
ていた。
「どうした? ケガでもしたのか?」
 心配して尋ねるバリーに、ミーアは首を横に振る。
「違う、違うんです。この二人がとっても素敵で、カッコよくて、だけど悔しくて……アハハ、何言っ
てるんだろ、私。無茶苦茶だわ」
 泣きながら苦笑するミーア。そして、
「この二人、強くなりますか?」
 とバリーに尋ねた。バリーはためらわずに答える。
「ああ、強くなる。私が鍛えるからな。これ程の逸材、他人に任せるのは惜しい」
「そうですか。あなたが鍛えるのなら、二人ともきっと強くなりますね。私も負けてられないな」
 ミーアは涙をぬぐった。彼女の心に強い決意が芽生える。
 自分の道を見つけたミーアの横顔を、バリーは黙って見つめていた。美しい、と思った。



 結果を言うと、ガーネットが仕掛けたこの作戦は、半分成功して半分失敗した。
 ギアボルトとアヤセは今までのようにケンカはしなくなった。しかし仲良くなったようでもなく、
時々冷たい目で睨み合う。特に食堂では毎日のように衝突し、皆を困らせた。その一方で共に
バリーの指導を受け、格闘能力を向上させ、戦場でもコンビを組むようになった。
 ケンカするほど仲が良い、と言うが、この二人の場合は当てはまるようで当てはまらないような、
そんな微妙な関係だった。
 二人の様子を見たガーネットは苦笑して、
「氷と炎がそう簡単に仲良くなるはずない、か。まぁ気長に行きましょう。あの二人には私より強く
なってほしいし」
 と、お腹を擦りながら言った。
 ギアボルトとアヤセ・シイナ。戦女神の期待に応えるのはどちらが先か。あるいは両方か。



 追記。
 ミーア・キャンベルはセクシー路線には進まなかった。事務所を移籍し、トレーニングを積んで
歌唱力に更に磨きをかけて、アイドルから本格派の歌手になった。
 戦後、ミーアの新曲が発売された日、ガーネットやギアボルト達から多くの花束が贈られた。そ
の中に一つ、差出人不明の物が花束があった。花束の中には、こう書かれたメッセージカードが
入っていた。

『その節はご迷惑をおかけしました。あなたの幸福を心から願っています。演技の下手なストー
カーより』

 不器用な拳士にしては気の効いたプレゼントだが、どうやらガーネットが勝手に贈ったらしい。
 しかしこの花束が切っ掛けで一つのカップルが生まれるのだから面白い。縁は異なもの、とは
昔のことわざだが、どうやらコズミック・イラでも通じるようだ。

(2006・5/29掲載)
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