第43章
 ただ愛する人の為に

 12月4日。
 ムーン・キングダムの建国宣言に世界が大きく揺れた翌日、オーブに一隻の輸送船が来航し
た。
 この船はパリにあるディプレクター・欧州支部が派遣したもので、オーブの再建を助ける為の
救援物資が積み込まれていた。ザフトの勢力が拡大しているヨーロッパで孤軍奮闘を続ける欧
州支部の方が立場的に苦しいだろうに、それでもこれだけの物資を送ってきてくれた。カガリを
始めとするオーブの人々は、欧州支部のスカイ・アーヴァン支部長とディプレクターに感謝した。
 船には物資の他にも、オーブ再建に協力してくれる人々も乗船していた。ダン達がイスタンブ
ールで出会った『天翔ける医療団』の医師達や、ベルリンやパリの戦いでディプレクターに助け
られ、「今度は自分達が助ける番だ」とやって来た人々。そして、
「よお、久しぶりだな、ダン。元気だったか?」
「フルーレ!」
 赤い髪の新聞記者、フルーレ・サー・リュエルもこの船に乗船していた。リ・ザフトの壊滅後、キ
ラと共に地球に帰還した彼はパリの本社に戻り、同僚のの記者やカメラマン達と力を合わせて、
真実を追い続けてきた。だがその結果、どこぞの組織から命を狙われる羽目になり、危ない所を
アーヴァンに救われ、ディプレクターに匿われていたのだ。
「アーヴァンさんには『じっとしていた方がいい』って言われたけど、今の世界を見て、じっとなん
かしてられるかよ。また世話になるぜ。俺は真実のみを伝えるから、お前さん達には都合の悪い
報道をするかもしれないが、ま、よろしく頼む」
 そう言って差し出された手を、ダンは無言で、だが固く握った。
 また、この船は意外な人物も運んできた。ルナマリア・ホークとメイリン・ホーク。ザフト最強と呼
ばれるミネルバ隊のMSパイロットとオペレーターである。
 数日前、この二人を乗せたMSインパルスが、パリのディプレクター支部に飛び込んで来た。
敵襲かと警戒した欧州支部の人々の前で、ルナマリアは武装解除し、アーヴァンにザフトを脱走
した事と、その理由を説明した。
 事態を重く見たアーヴァンは、ディプレクターの上層部に判断を委ねる事にした。ザフトからの
極秘裏の引き渡し要求をのらりくらりとかわす一方、ホーク姉妹とインパルスをこの船に乗せ、ラ
クス達の元に送って来たのだ。
 ホーク姉妹はディプレクターの職員に案内され、オーブ中心部に再建されたディプレクターの
本部ビルに連れて来られた。二人は最上階の会議室に通され、ラクスとバルトフェルド、そして
ガーネットと顔を合わせる。
「久しぶりね、ルナマリア、メイリン。こんな形で再会するなんて、思ってもいなかったわ」
 アーモリーワンの事件後、ガーネットはしばらくの間、ミネルバに乗船し、シンやルナマリアと共
に戦った事がある。懐かしい思い出だ。
 久しぶりに再会した相手にルナマリアは、
「私達もです。ガーネットさんともう一度会えるなんて思っていなかったし、この国にこうして来るな
んて考えてもいませんでした」
 と答えた。
 ディプレクターとオーブはザフトの敵。そう命令されて、それが正しい事だと信じて、ディプレク
ターと戦い、オーブに攻め込んだ。だが、今はかつての敵の懐の中で守られ、自分達が戦火で
焼いた国にいる。何とも皮肉な運命だ。
 だが、ルナマリアは自身の運命を嘆かなかった。そんな暇は無いのだ。ルナマリアはラクス達
に頭を下げて、
「お願いします! ザフトを、デュランダル議長を止めてください! デュランダル議長は確かに
この世界に平和をもたらそうとしているのかもしれません。けど、あの人が考えている平和な世界
は、私達が考えている平和な世界とは違いすぎます。あの人が理想としている世界は、何もかも
があの人が支配する世界です。その世界に適さない人は、自分の意志とは関係なく、作り変えら
れる世界。私もメイリンも、そんな世界を作る為に戦ってきたんじゃありません!」
「お姉ちゃん……」
「ルナマリア、あんた……」
 メイリンとガーネットは、ルナマリアの眼に涙が浮かんでいるのを見た。ルナマリアは哀しかっ
た。ザフトを率いるデュランダルの考えを否定するという事はザフトを、今までの自分の戦いを、
自分が信じてきたもの全てを否定する事。それが哀しくて、悔しかった。
 失意と哀しみに打ちのめされているルナマリアに、ラクスが声をかける。
「ルナマリアさん、メイリンさん。あなた方がザフトを脱走した理由については、既にアーヴァン支
部長より報告を受けています」
 二人は既に、自分達がザフトを脱走した理由と、ジブラルタル基地で見聞きした事をアーヴァ
ンに伝えており、アーヴァンはそれを報告書にまとめてオーブ本部に送っていた。ラクス達はそ
の報告書を見て、デュランダルとメレアが手を組んでいる事と、目的の為には手段を選ばないデ
ュランダルの非情さ、そして彼がダブルGの使徒であった事を知り、驚愕した。
「バイオチップに記憶操作か……。人を人として見ず、理想実現の為の道具として扱う。さすが
は元ダブルGの使徒、やり方がご主人様とよく似ている」
 バルトフェルドが苦笑を浮かべて言う。デュランダルと面識のあるガーネットは頷き、
「そうね。一筋縄ではいかない相手だとは思っていたけど、ここまでやってくれるとは……。あの
男の本性を見抜けなかったのは、私の一生の不覚だわ。人を化かすのが上手い狐だと思って
いたけど、それ以上の怪物だったみたいね」
 とコメントする。
 二人の話を聞いて、ラクスが語る。
「デュランダル議長は自分の行いを心の底から正しい事だと思っているのでしょう。実際、議長の
やっている事は間違ってはいません。戦争の根たるロゴスを滅ぼし、この世界に永遠の平和をも
たらす。それはわたくし達ディプレクターにとっても悲願であり、運命がすれ違わなければ、わた
くし達と議長は共に歩む道を選んでいたかもしれません。ですが…」
 運命はすれ違い、ディプレクターとザフトは戦う道を選んだ。その戦いは今も続いており、そし
て世界はデュランダルの理想を受け入れようとしている。
「議長の目指す世界は、自由が存在しない世界。人が人として生きられない世界。人を世界の
一部として、作り変えられる事が許される世界。それが素晴らしい世界などとは、わたくしには思
えません」
 ラクスは椅子から立ち上がり、ルナマリアの元に歩いてきた。そして彼女の眼を見て、
「わたくし達はデュランダル議長を止める為に戦います。あなた方の哀しみと思いも、わたくし達
に託してください。地球と宇宙、ナチュラルとコーディネイター、全ての人々が自由に、そして平
和に生きられる未来を作る為に」
「ラクス…様……」
「そういう事。安心しなさい、ルナマリア。議長にはガツンと一発入れてやるし、あんた達を逃が
す為に捕まったシンも助け出すから」
 月面の攻防戦は全世界に中継され、ルナマリアとメイリンもディプレクター欧州支部のテレビで
見ていた。テレビにはデスティニーの姿も映し出されており、デスティニーの動きを見たルナマリ
アは、すぐにデスティニーの操縦者がシンだと見抜いた。ルナマリアはシンが自分達を逃がした
後、どうなったのか考えて、そして、決心していた。
「いいえ、ガーネットさん。その必要はありません」
「お、お姉ちゃん?」
 驚くメイリン。ルナマリアは表情を固くして、
「あいつは私が助けます。バイオチップを埋め込まれたのか、記憶をいじられたのかは分からな
いけど、あいつは私が絶対に助けます。助けたいんです。あいつは、私達の為にああなっちゃ
ったんだから、だから、今度は私が助ける番! 私は、あいつを、シンを……」
 決意を語るルナマリアの肩に、ガーネットがそっと手を置いた。
「ガーネットさん……」
「OK、やってみなさい、ルナマリア。私も、ううん、私達ディプレクターも協力する。女の一念がど
れ程のものか、議長やメレアに見せてやりましょう。大丈夫、こっちには不可能を可能にする人
間が揃っているんだから」
「は……はい!」
 ガーネットの力強い言葉に、ルナマリアは笑顔を浮かべた。それはルナマリアがジブラルタル
基地を脱走後、初めて見せた『笑顔』だった。
 こうしてルナマリアとメイリンは、自らの意志でディプレクターに加わった。ルナマリアはインパ
ルスのパイロット、メイリンはプリンシパリティのオペレーターに配属され、宇宙への旅立ちの準
備を整える。愛する人を救う為に。本当の平和を掴み取る為に。
 一方、月に築かれた七つの人工都市の内、コペルニクスを除く六つの都市(アリスタルコス、シ
ッカルド、ケプラー、ピタゴラス、フンボルト、ヘベリウス)がムーン・キングダムに恭順の意を表
明。これにより、ムーン・キングダムは月をほぼ制圧。ダイダロス基地とアルザッヘル基地の部隊
を国軍として再編成し、ザフトなどの他勢力の攻撃に備える。
 ザフトも決戦に備えて、自軍の再編成を行なっていた。だが、先の戦闘で受けたダメージは大
きく、ムーン・キングダムに対しては、しばらくの間、沈黙を保つしかなかった。



 12月5日。
 ムーン・キングダムからの映像通信が、全世界に向けて発信された。その内容は、
「……………」
 デュランダルも、
「……………」
 メレアも、
「……………」
 キラも、
「……………」
 アスランも、
「……………」
「……………」
 ラクスも、カガリも、
「……………」
「……………」
 ダンも、ステファニーも、
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
 キリが無いので以下省略する。要するに、その映像を見た全ての人間を絶句させるものだった
のだ。
 月面都市アリスタルコス。ユーラシア連合の手によって作られたこの町は、月ではコペルニクス
に次ぐ規模を誇る大都市である。映像は、この町の中心部にある教会からのものだった。黒いタ
キシードを着た花婿と、純白のウェディングドレスを纏った花嫁。二人は大勢の人々に祝福さ
れ、幸せそうな笑顔を浮かべている。空には色とりどりの紙吹雪が舞い、二人の門出を飾ってい
る。
 花婿はムーン・キングダムの王、ゼノン・マグナルド。
 花嫁はその恋人、ミナ・ハルヒノ。いや、結婚したので、今日からはミナ・マグナルド。
 二人は、特にミナは、本当に、本当に幸せそうだった。その笑顔を見た誰もが二人を祝福した
くなるような笑顔だった。
 しかし、そう思わない者達もいる。
「…………何やってんだ、こいつら」
 思わずそう呟いたダンも、その一人だった。
 そんな彼の心は無視され、結婚式は滞りなく進み、そして終了した。ゼノン・マグナルドはミナ
が自分の妻、つまりムーン・キングダムの王妃となった事を正式に布告。そして、
「ザフトは我々をロゴスの残党の集まりだと決め付け、攻撃しようとしているが、我々は無益な争
いは好まない。プラント、そしてオーブや大西洋連邦などの地球諸国に対して、我々は友好的な
関係を結びたいと思っている。我々の独立自治を認め、共に未来を歩もうと手を差し伸べてくれ
るのであれば、我々はその手を拒まない。地球と宇宙に住まう全ての人々よ、我々と力を合わせ
て、平和な世界を作ろうではないか! 努力する者が正当な評価を受け、幸福に暮らせる世界
を!」
 と呼びかけた。
 愛に満ちた結婚式と、平和を願うメッセージ。この二つによって、世間の人々のゼノンに対する
評価は『何を考えているのか分からない、危険な新国家の王』から変わりつつあった。そう、ゼノ
ンの思惑どおりに。



 結婚式の放送を見終わったダンは、アークエンジェルのMS格納庫にやって来た。格納庫で
はマードックと、ディプレクターから出向してきたエミリア・ファンバステンらが機体の整備を行な
っている。その中には、
「はあ……。俺、他にもやる事があるんだけどなあ」
 とボヤくヴィシアの姿もあった。
「あんた整備士志願だったんでしょ? なら、いいじゃない。みんな忙しいの。エリナとイチャつい
ている暇があったら、こっちを手伝ってもらうわよ」
「イチャつく前に、ここに連行されたんですけど……」
「平和になったら、好きなだけイチャつけるわよ。ほらほら、口を動かす前に手を動かす!」
 エミリア、容赦無し。ヴィシアは涙を堪えて、それでも一生懸命に仕事をする。ガーネットとい
い、エミリアといい、彼は『気の強い女性』に弱いようだ。
 そんな便利屋扱いされている哀れな男に同情しつつ、ダンは愛機の前にやって来た。DA−7
8/G−SEED、ギャラクシード。ダンの剣であり、彼の罪の証でもあるMS。
 このMSの中、正確にはコアファイター・ブレイブハートの中には、ダンの妻ヤヨイの脳が収めら
れている。デューク・アルストルを愛し、彼の子を生んだが、結局、彼女の愛は報われる事は無
かった。デュークは最後までヤヨイを愛さなかった。
 いや、そもそもデュークは『人を愛する』という感情が無かった。知識としては知っていたが、彼
が他人を信頼し、愛した事など一度も無い。実の父親であるメレアの事も嫌い、殺そうとしたの
だ。
「……………」
 記憶を失う前の自分の異常性に、ダンは身震いした。同時に疑問が湧き上がる。ヤヨイはデュ
ークに暗示をかけられ、彼を愛するようになった。それは本当の愛情ではない。最後の最後まで
ヤヨイはデュークに愛してもらえなかった。自分の人生を弄ばれたヤヨイはデュークを、ダンを憎
んでいるはずだ。それなのに、なぜ……。
 考え込むダンに、ムーンライトの整備を終えたステファニーが声をかけた。
「ダン、どうしたの? こんな所でボンヤリして」
「ステファニーか……。いや、ちょっと気になる事があってな」
 ダンは自分の疑問を話した。
「ギャラクシードのG・U・I・L・T・Y(ギルティ)には、ヤヨイの脳が使われている。非科学的な話だ
が、もし、脳にあいつの意志が残っているのなら、俺を憎んでいるはずだ。ギャラクシードに乗っ
てから俺を苦しめていた幻聴は、あいつの心の叫びだと思っていた」
「でも、それはメレア・アルストルが仕掛けていたものだったんでしょう?」
 グランドクロスとの戦闘後、ダンはグランドクロスが散布したナノマシンを取り除く為、ギャラクシ
ードを徹底的にチェックした。その時、超小型の高性能スピーカーを発見し、自分を苦しめてい
た幻聴の正体を知った。
 だが、新たな謎が生まれた。あの幻聴がメレアの仕業だとしたら、ヤヨイはダン、デュークの事
を憎んではいないのだろうか? オーブでのデスティニーとの戦い以降、G・U・I・L・T・Y(ギル
ティ)はダンの力を引き出すと言うより、むしろ力を貸しているかのような感じがする。ヤヨイは、自
分を殺した男に手を貸しているのだ。なぜ?
「あいつが底抜けのお人良しなのは知っている。けど、幾らなんでもこれは不自然だ。自分と息
子を殺した男に協力するなんて、とても信じられない。それとも女っていうのは、そういうものなの
か? そんな事が出来る生き物なのか?」
 悩むダンを見て、ステファニーは苦笑した。ダンはミナの結婚式をを見て、ショックを受けたの
だろう。あの優しいミナが、冷酷非情なゼノンと結婚するなんて信じられない。自分に力を与えて
くれるヤヨイの心も分からない。なるほど、確かに奇妙だ。傍から見れば、ミナもヤヨイも意味不
明、理解不能な行動をしているように見えるだろう。
 だが、ステファニーにはミナとヤヨイの気持ちが分かった。ミナとは短い間ではあったが友人と
して一緒に暮らした仲だし、ヤヨイとは同じ男を愛した女、いわば同志のようなものだ。だから彼
女は断言する。
「そうよ、ダン。女はそういう事が出来る生き物なの」
 と。
「いいえ、男だって出来るわ。だって、そんなに難しい事じゃないもの。人を信じて、愛して、許し
て、一緒に生きようと思う事はね」
 そう言ってステファニーは、ダンの顔を見る。戸惑うダンに対し、ステファニーは微笑んで、
「あなたにだって出来る。ううん、もうやってるじゃない。一度はあなた達を裏切った私を信じてく
れた。私の過去を知っても、それでも私を愛してくれた。生きろって、俺がお前を幸せにしてやる
って言ってくれた」
「あ、ああ。確かに俺はそう言った。その気持ちは嘘じゃない。でも、昔の俺は最低の…」
「そうね。昔のあなた、デューク・アルストルは最低の人間だった。人を利用して、自分の事だけ
しか考えていない男。もし目の前にいたら、私でも殴っていると思うわ」
 ステファニーのキツい言葉に、ダンは肩をすくめる。だが、ステファニーは再び微笑み、
「でも、今のあなたは、ダン・ツルギは違う。人を信じて、愛する事を知っている。だからヤヨイさん
もあなたを許したのよ。過去を乗り越え、自分の運命を変えたあなたを認めて、許してくれた」
「ヤヨイが俺を許してくれた……。それは俺が変わったから、だと言うのか?」
「そうよ。変わったのはあなただけじゃない。ミナちゃんがゼノンと結婚したのも、きっとゼノンが変
わったからでしょうね。私が知っているゼノン・マグナルドという男は、冷酷で、残虐で、本当に恐
ろしい男。でも、ミナちゃんはゼノンを愛した。ゼノンもミナちゃんを愛した。人に愛され、人を愛
することを知った今のゼノンは、昔のゼノンとは違う気がする。もしかしたら、私達とも分かり合え
るかもしれない」
 それはステファニーの希望だった。だが、実現する可能性は極めて低い。ゼノンは自分の運
命を狂わせたダンを許さないだろうし、ダンも大勢の人を殺したゼノンを許せない。ダンとゼノン
は戦わなければならない運命にある。
 けれど。
 もしかしたら。
 わずかな希望が生まれているのではないだろうか?
 過去に犯した罪から逃れる事は出来ない。だが、それを許す人がいれば、あるいは……。
 ダンはギャラクシードを見上げる。このMSは、ダンの罪の証。そして、グランドクロスに対抗で
きる唯一の機体であり、この世界の自由を守る為の切り札でもある。
『ヤヨイ、お前が俺を許してくれるというのなら、俺はお前と、そしてこの体の中に宿っている我が
子と一緒に戦いたい。この世界をメレア・アルストルの狂気の夢から守る為に』
 決戦に向けて、改めて闘志を固めるダン。
 ステファニーはダンと共にギャラクシードを見上げた。彼女の眼に映るギャラクシードは、美しく
も哀しみを感じさせる機体だった。
『ヤヨイ・ツルギさん。あなたが今でも愛している人を、私も愛しています。私は彼を守る為に戦い
ます。あなたは私を憎むかしら? それとも……』
 その時、格納庫にオペレーターのミリアリアの声が響き渡る。艦内放送だった。
「ダン・ツルギさん。オーブ行政府からの呼び出しがかかっています。至急、行政府に向かってく
ださい。繰り返します……」
 突然の呼び出しに戸惑うダンだが、無視する訳にもいかない。ダンはステファニーに別れを告
げ、車に乗って、オーブ行政府に向かった。一人残されたステファニーは、退屈しのぎにお菓
子でも作ろうかと思ったが、格納庫から出ようとしたところを金髪の女性に呼び止められた。
「あなた、ステファニー・ケリオン? ちょっと話があるんだけど、いいかしら?」
 そう尋ねてきた女性は、ステファニーとは初対面だった。しかし、ステファニーは彼女の事を知
っていた。彼女は有名人だったからだ。
「私はジェーン・ヒューストン。あなたを狙っているレヴァスト・キルナイトの事で話があるの」
 『白鯨』ジェーン・ヒューストンはそう言って、ステファニーの興味を引いた。



 オーブ行政府に呼び出されたダンは、会議室に通された。広い会議室には、カガリとアスラン
を始め、キサカやゴートなどオーブの首脳陣、そしてラクス、バルトフェルド、キラ、マリュー、ナタ
ル、ムウが椅子に座り、彼を待っていた。
 ダンは用意された椅子に腰を下ろし、一同の顔を見回す。カガリが苦笑して、
「そんなに緊張するな。別にお前をどうこうする為に呼んだんじゃない。話を聞きたいだけだ」
「話、ですか? 何の話を…」
「ゼノン・マグナルドの事だ」
 カガリの隣に座っていたロンド・ミナ・サハクが吐き捨てるように言う。彼女はオーブを影から支
えてきた功績が評価され、新体制のオーブに政治顧問として迎えられていた。大統領にも意見
する事が出来る、オーブ共和国の重職だ。
「お前も奴とミナ・ハルヒノの結婚式を見ただろう。まったく、ふざけた真似をする。ミナもミナだ。
あの男に好意を抱いている事を知っていたが、まさか結婚などとは……」
 ロンドは腕を組みながら、ブツブツと文句を言っている。友人だと思っていたミナが、(ロンドの
基準では)最低最悪の男と結婚してしまったのだ。娘を嫁に取られた父親のような気持ちなのか
もしれない。いや、ロンドは女性なので母親なのか。そんな事を考えていたら、キラが口を開い
た。
「ダン、君も知っているとおり、ゼノン・マグナルドはブレイク・ザ・ワールド事件の首謀者の一人
だ。他にもコロニー船リティリアを撃墜したり、世界各地で地球軍やザフトの軍事施設を襲撃した
りしている。今までのあの人の行動を見ていると、僕達にはあの人を信じる事が出来ないんだ」
 キラの言うとおりだ。実際、今までゼノンがやってきた事は、人として許される事ではない。
 カガリの横に立つアスランも、
「ゼノンは世界各国にムーン・キングダムとの友好同盟の締結を求めている。自分達の独立を認
めてほしい、という訳だ。オーブにも同盟を求めてきた。だが、キラの言うとおり、俺達はあの男を
信用する事は出来ない」
 と言った。ロンドとキサカ、そしてカガリも頷く。
 ムーン・キングダムの申し出に対し、大西洋連邦は大統領がムーン・キングダムに捕まっている
事、そして南米で今も根強い人気を持つエドワード・ハレルソンがキングダムの一員である事か
ら、民衆を刺激しない為に様子見。ユーラシア、東アジアなどもそれに続いている。プラントから
の回答は無く、スカンジナビアと赤道連合はオーブ同様に迷っている。
 ムーン・キングダムと同盟を組めば、月の豊富な資源が手に入る。また、プラントと敵対関係に
なってしまったオーブにとって、ムーン・キングダムは無視できない存在だ。レクイエムを有する
彼らの戦力は侮れない。プラントを敵に回しただけでも大変な状況になってしまったのに、更に
敵を増やすような事はしたくない。しかし、ムーン・キングダムと手を組めば、あの国を敵視してい
るプラントを完全に敵に回す事になる。いや、下手な事をすれば、デュランダルを支持する人々
全てを敵にしてしまうかもしれない。
 ムーン・キングダムとの対立は避けたい。だが、迂闊に手を組む訳にもいかない。どうするべき
か迷うカガリは、ゼノンについての情報を集めた。ゼノンと戦ったディプレクターの面々だけでな
く、ゼノンがオーブに居た頃に彼と接触した兵士や人々、監獄に収容されたウナトやユウナ、そ
してジャンク屋組合の組合長リーアム・ガーフィールドの実兄シニストと、その家族からも話を訊
いた。
 ゼノンに仲間を殺され、夢を打ち砕かれたシニストは、ゼノンを心の底から憎んでいた。ゼノン
によって精神崩壊の寸前まで追い詰められた彼の娘は、未だにリハビリを受けている。シニスト
がゼノンを憎むのは当然だろう。弟のリーアムも同じ気持ちで、「ゼノンという男は信用できませ
ん。もし、オーブが彼と手を組むのなら、今後ジャンク屋組合はオーブとの関係を断ち切らせて
いただきます」とまで言った。
 一方、オーブの人々やウナトの答えは、シニストとはまったく違うものだった。彼らの知っている
ゼノンは、厳しいが思慮深く、冷静沈着で頼りになる人物だった。ウナトも、敵に回せば恐ろしい
が味方にすれば心強い、信用できる男だ、と断言した。
「あの男が私やユウナを利用していたのは分かっていました。ですが、不思議と腹は立たないの
ですよ。あれほどの男が私に従う事などあり得ないのですからね。協力してもらっただけも感謝し
ています」
 ウナトは晴れ晴れとした顔で、そう言った。ちなみにユウナは、ゼノンについてはほとんど何も
知らず(特に関心を持たなかったし、ゼノンの方も関わりを持たなかったようだ)、何の参考にもな
らなかった。
 ゼノンという男の評価は、真っ二つに分かれていた。判断に困ったカガリは、ゼノン・マグナル
ドという男を一番良く知っていると思われるダンに話を訊く事にしたのだ。
 自分が呼び出された理由を説明されたダンは、少し落ち着いた。そして、自分の率直な意見
を述べた。
「俺には分かりません」
 嘘偽りもジョークでもない、それがダンの本音だった。
「昔の、数ヶ月前のゼノンが相手だったら、断言できます。『奴とは手を組むべきではない。奴と
手を組めば、徹底的に利用され、骨の髄まで搾り取られるだけだ』と。ですが今のゼノンは、俺
が知っているゼノンじゃない」
 かつてメレアはゼノンの事を『デューク・アルストルの人格が移植された、デュークの精神的な
分身』と言った。確かに昔のゼノンはそういう男だった。デュークのように冷酷で、非情で、残虐
な男だった。
 だが、今のゼノンは違う。オーブ解放戦でダンと戦った時、ゼノンはダンを見逃している。昔の
ゼノンなら絶対にしない事だ。
「ゼノンは変わりつつあります。今のゼノンは善人ではないが、危険な悪魔でもない。そんな気が
します」
「信用してもいい、という事かね?」
 キサカが尋ねると、ダンは首を横に振った。
「いいえ。まだ分かりません。あいつの真意が読めないんです」
「読めないって、『月に自分の理想国家を作る』ってのが目的じゃないのか?」
 ムウの言葉に対しても、ダンは首を横に振った。
「それで終わりとは思えません。むしろこれからが本番のはず。作り上げた国を守る為、奴は何
かをしようとしている。いや、もう始めているのかもしれない」
 ダンのその言葉は、会議室に緊張感を走らせた。相手はユニウスセブンを落とし、ジブリール
を葬り去った男。これから何をしようとしているのか。考えると、最悪の想像が頭に浮かぶ。
「ふうむ。カガリ様。私はムーン・キングダムとは同盟を組むべきだと思いますね」
 それまで沈黙していたゴートが意見を述べた。それを訊いたキサカが顔色を変える。
「フェリッチェ元帥! それでは我がオーブの理念が!」
 他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない。カガリの父ウズミ・ナラ・ア
スハが提唱したこの考えは、現在もオーブの基本方針であり、国の理念となっている。
「いやいや、私だってウズミ様の考えを否定するつもりは無いし、他の国を侵略しようとは思って
いません。ですが現実問題として、ムーン・キングダムをこのままにはしておけないでしょう? 月
のコペルニクスにはオーブの国民も大勢住んでいる。交渉という道を塞がれたキングダムの軍
がヤケクソになってコペルニクスを襲ったり、レクイエムを地球に撃ったらどうするんですか?」
「む……」
 確かにゴートの言うとおりだ。窮鼠猫を噛む、という訳ではないが、孤立したゼノンは何をする
か分からない。連中は所持しているレクイエムは、月の裏側からでも地球やプラントを狙えるの
だ。危険すぎる。
「例えるならば、連中は月という銀行に立てこもった強盗です。こういう連中には、正面突破する
より、逃げ道を用意して、交渉した方が被害は少ない。二年前の大戦の原因は、地球側がプラ
ントを追い詰めすぎたからです。我々はそれを教訓にしましょう」
 それがゴートの考えだった。この考えにロンドが、
「オーブがその逃げ道を用意すると言うのか? だが、そうすればムーン・キングダムを敵視して
いるプラントは、完全にこちらの敵になるぞ」
 と反論する。ゴートは苦笑して、
「今更、何を言っているんですか。プラントはこちらを撃つ気満々だし、こっちだってプラントに従
うつもりなんてない。だったら、そろそろ覚悟を決めるべきでしょう。こちらの味方を増やして、外
交でプラントを追い詰めるという手もあるんですから」
 と言った。ゴートの考えは間違ってはいない。オーブとムーン・キングダムが手を組めば、プラ
ントもそう簡単には攻め込む事は出来ない。そうなれば交渉による解決もあり得る。
 しかし、プラントとムーン・キングダムが戦争状態になれば、オーブはムーン・キングダムを助け
なければならない。戦火は拡大し、更なる悲劇を生む可能性が高い。
「……………」
 カガリは迷った。ムーン・キングダムを手を組んでも、組まなくても、待っているのは混迷の未
来。ならばオーブの理念を貫くべきか、それとも……。
「カガリさん」
 迷えるカガリに、ラクスが声をかけた。
「ムーン・キングダムについては、わたくし達にお任せしてもらえませんか?」
「えっ!?」
 驚く一同。だが、ラクスはニッコリと微笑み、
「わたくし達ディプレクターは、地球とプラントの仲介者として働いてきました。ならば今度は地球
と月、そしてプラントを結ぶ仲介者として働きたいのです。わたくし達が月へ行き、ゼノン・マグナ
ルドという人の真意を確かめます。彼と手を組むか組まないか、それから決めても遅くはないは
ずです」
「それは……。だが、ディプレクターは民間組織だ。そこまで甘えるわけには…」
「オーブの方々には、今まで大変お世話になってきました。そのご恩返しをしたいのです。無益
な争いを避けたいのは、わたくし達も同じです。ムーン・キングダムの人々が平和を願うのであれ
ば、共に歩みたいと思っています。彼らは新しい時代の流れを作りました。もしかしたら、その流
れは戦争に明け暮れるこの世界を変える流れなのかもしれません。わたくしは、それを確かめた
いのです」
「ラクス……」
 カガリはしばらく考えた後、ラクスの申し出を受け入れた。国の復興の為に月へ行く事が出来
ないカガリに代わって、全権大使としてロンドがディプレクターに同行する事になった。
「ふっ。ミナ・ハルヒノが伴侶と認めた男。私のこの目で見極めてやろう」
 そう言いながらも、ロンドは少し嬉しそうだった。ダンも同じ気持ちだった。ミナと会える。そう思
うと、心が少し温かくなるのだ。
『ミナ、お前と別れてから、色々な事があった。話したい事がたくさんある。そして、お前に訊きた
い事もたくさんある。お前は今、幸せなのか?』



 ステファニーはジェーンに連れられて、オーブの市街にやって来た。二人は人のいない小さな
公園に入り、ベンチに並んで腰を降ろす。
「ごめんなさいね、こんな所まで連れ出しちゃって。忙しかったんじゃない?」
 そう尋ねるジェーンに、ステファニーは首を横に振った。
「ううん、ムーンライトの整備は終わったし。それより、レヴァストの事で話があるって…」
「レヴァストは私の友人だったのよ。彼女がディプレクターにいた頃は、一緒に戦った事もある
わ。あなたがレヴァストに狙われている、って聞いて、ここ数日、あなたの事を観察していたんだ
けど、気付いてた?」
「ええ、ちょっと怪しい気配は感じていたわ。でも、どうして観察なんかしたの?」
「信じられなかったからよ」
「?」
 ジェーンの話によると、レヴァスト・キルナイトという女性は、執着心がほとんど無かったらしい。
欲しい物があっても、他人が欲していればあっさり譲る。恋愛に関しても興味無し。優しい女性
で、仲間からも慕われていたが、一歩退いたところがあった。ジェーンとは意気投合したが、隊
の他のメンバーとは最後まで距離を置いていた。
 レヴァストがディプレクターを辞める数日前、ジェーンは彼女を酒場に誘い、その理由を聞い
た。酔っていたからだろうか、レヴァストは「誰にも話した事がない」自分の身の上話を語ってくれ
た。
 レヴァストの両親はコーディネイターだったが、父親は亡くなり、母は女手一つでレヴァストを育
てた。だが、プラントでの生活は楽なものではなく、母は親戚を頼って地球に降りた。その親戚
の友人が、レヴァストの母に好意を抱き、二人は結婚した。
 新しい父親はナチュラルの軍人だった。だが、コーディネイターを差別せず、血の繋がってい
ないレヴァストにも優しく接してくれた。レヴァストはヴィクター・ハルトマンという名の義理の父を
慕い、心から愛した。それは彼女にとって、最も幸福な時間だった。
 だが、時代の流れは、この親子の絆を引き裂いた。地球とプラントの緊張が高まり、コーディネ
イターであるレヴァストと母親の身も危険に晒された。殺されそうになった事もあった。
 二人の身を案じたヴィクターは、二人をプラントに避難させた。母はユニウスセブンの農業施
設に勤め、ヴィクターと再会出来る日を待った。
 だが、二人が再会する事は無かった。核の炎がユニウスセブンを焼き尽くした時、レヴァストは
母の復讐を誓った。そしてザフトに入り、戦歴を重ね、ダブルGの存在を知った後はダブルGこ
そが母の仇と思い、ディプレクターと共に戦った。その戦いによって右目を失ったが、ダブルG
は葬り去られ、レヴァストの戦いは終わった……かに思われた。
 戦後、ディプレクターに入ったレヴァストは、ヴィクターと再会した。娘の無事を心から喜ぶヴィ
クターだが、同時に妻の死を嘆き、涙を浮かべた。『アイスブレイン』と呼ばれる冷徹な男の涙。
その涙を見たレヴァストは、母に嫉妬している自分に気付いた。彼女はヴィクターの事を、父親と
してではなく、一人の男性として愛していたのだ。
 バカな、と思った。汚らわしい、と思った。五十を過ぎた白髪交じりの男を愛する自分の心が信
じられなくなった。
 自分の醜い(と思ってしまった)心に耐えられなくなったレヴァストは、ヴィクターの前から姿を消
した。ディプレクターの仕事に没頭する事によって、彼の事を忘れようとした。でも、忘れる事が
出来ない。ヴィクター以外の人を愛そうと思ったが、どうしても最後の一歩が踏み込めない。心か
らの友人を作る事も出来なくなってしまった。
 ジェーンと出会った頃には、レヴァストはヴィクターを憎むようになっていた。こんなバカな思い
を抱かせたあの男が許せない。あの男を忘れさせてくれないディプレクターにも失望した。私は
どうすればいい? 何をすればいい?
「………………」
 話を聞かされたステファニーは、何も言えなかった。絶句する彼女にジェーンは苦笑を浮かべ
て、
「この話を聞かされた時、私も今のあなたと同じような反応をしたわ。それがトドメになっちゃった
のかな。三日後、レヴァストは姿を消してしまった」
 その後のレヴァストがどうなったのか、それは分からない。だが、再会した時、彼女は悪魔に魂
を売っていた。フェイクGの一体、アクアマーキュリーのパイロットとして、かつての同僚達を殺
し、ジェーンを苦しめた。
「あれはレヴァストなりのケジメだったのね。ディプレクターにいた頃の、苦しんでいた自分を葬り
去る為の儀式。やられたこっちは迷惑な話だけど」
 ジェーンはため息をついた。そして、ステファニーの顔を見て、
「レヴァストは他人を愛さない。誰かを愛したり、執着したりする事は苦しい事だと思っている。そ
れなのに、あなたには拘っている。不思議に思ってあなたの事を調べてみたら、納得したわ。あ
なた、レヴァストと似てるのよ。自分で自分を不幸にしているところなんて、特にね」
「えっ?」
「あなたは恋人と友達が死んで、その仇を討つ為に頑張って、エースパイロットになった。でも、
あなたの理想はダブルGによって砕かれた。絶望したあなたは世界をさ迷い、そしてサードユニ
オン、じゃない、『THE END』に拾われた。どう、自分で自分を追い詰めているところなんて、
レヴァストに似てない?」
 言われてみれば、確かにその通りだ。レヴァストはこの事を知っていたのだろうか? だからゲ
ームを始める前に声をかけて、手を組まないかと誘ったのだろうか?
「でも、私と彼女は違うわ。私はディプレクターに入ったけど、レヴァストは今でも…」
「そう。レヴァストがあなたに執着しているのは、その為よ。自分と同じような人生を歩いていたは
ずのあなたが、新しい居場所、そして新しい男を見つけたのが気に入らない。レヴァストは自分
が幸福になる事も、他人が幸福になる事も許せないのよ。ましてや、自分と似ているあなたが幸
福になるなんて、絶対に許せないし認められない。気を付けなさい。これからもレヴァストはあな
たを狙ってくる。命ある限り、徹底的にね」
「……ええ、そうなるでしょうね。気を付けるわ。でも、レヴァストの友達のあなたがどうして、私に
そんな話をするの?」
 ジェーンはレヴァストのただ一人の『友人』だった女性だ。いや、今でもジェーンはレヴァストの
事を想っている。彼女を助けられなかった事を後悔している。
「もう、終わらせてあげたいのよ。あいつの苦しみも、悲しみも、捻じ曲がった愛情も。私はオーブ
でお留守番だから、あいつを止める事は出来ない。けど、あなたなら…」
 そう言って微笑んだ時のジェーンの顔は、とても寂しいものだった。
 ジェーンの願いに対する返答は、ステファニーは言葉には出さなかった。口に出してしまえ
ば、それは儚く消えてしまう気がしたから。
 沈痛な面持ちをするステファニーを見て、ジェーンは苦笑する。
「そんな顔をしないでよ。まったく、私って男運も女運も悪いわねえ。昔の恋人も、数少ない友人
も敵になるなんて……」
 ジェーンの『昔の恋人』とは、ゼノン配下の三従士の一人、エドワード・ハレルソンの事だ。かつ
て二人は将来を誓い合った仲だったが、今では敵同士。
「人生山あり谷ありって言うけど、私の場合、谷ばかりな気がするわ。ホント、嫌になっちゃう」
 そう言うジェーンの顔は、とても哀しいものだった。愛する男が生きていた事を喜びたいのに、
喜べない。同じ道を歩けない。何て皮肉な運命。
 愛は人を強くする。生きる力を与える。だが、時に愛は人を苦しめ、狂わせ、間違った道を選
ばせてしまう。それは人の業なのだろうか?
「…………」
 ステファニーは、ジェーンの手に自分の手を重ねた。驚くジェーンにステファニーは微笑み、
「頑張りましょう。お互いにね」
 とだけ言った。
 短いが、暖かくて優しい言葉だった。ジェーンの眼から、一筋の涙が流れた。



 月の時刻は、夜の十二時。月面は静寂に包まれていた。
 アリスタルコス市の市庁舎。ユーラシア連合が築いたこの都市の市庁舎は、古の欧州の王朝
の宮殿を思わせる華美な作りをしており、パレス(宮殿)という別称を持っていた。
 今、このパレスには、ユーラシア本国から派遣された横柄な市長ではなく、月の民が熱狂と共
に迎え入れた王が住んでいる。王、ゼノン・マグナルドは妻と共に寝室のベッドで寝ていたが、
突然、起き上がった。
「ぐ………うう……」
 ゼノンの額に多数の血管が浮かび上がる。汗も吹き出ている。体もガタガタ震えている。
「あ……ああ……ぐ……」
 体の内から発せられる苦痛を、ゼノンは懸命に堪える。だが、その呻き声は妻の耳に届き、彼
女の眼を覚まさせてしまった。
「……! ゼ、ゼノン、しっかりして! 誰か、誰か…」
「よ、よせ、ミナ! 大丈夫だ、すぐに……収まる」
 ゼノンの言うとおり、彼の体の震えはすぐに止まった。汗も乾き、全てが元に戻っていく。息を
整えた後、ゼノンは苦笑を浮かべる。
「ふん。どうやら私のタイムリミットは近いようだな」
「ゼノン……」
「忌々しい拒絶反応……。祖父や父親だけでなく、息子も私の邪魔をするとは。アルストルの血
の呪い、という訳か。やはり奴らと私は戦う宿命にあるようだな」
「………………」
 悲痛な表情を浮かべるミナ。ゼノンは彼女の頭を優しく撫でた。
「心配するな、ミナ。私はまだ死なない。オーブを手に入れ損ねた以外、計画は全て順調だ。あ
と二つ、どうしても叶えたい望みがある。それを叶えるまでは私は死なない。絶対にな」
 月とオーブを制圧し、この二つを合わせて強大な新国家を作る。それがゼノンの当初の予定
だった。オーブはカガリの元に戻ってしまったが、それでもゼノンは諦めなかった。彼は命を捨
てても、己の理想を貫く覚悟を決めていた。
「うん。そうね、ゼノンは死なない。分かっている。そして、信じている。私は貴方の事を信じてい
るから、だから……」
 ミナの眼に涙が浮かび上がる。泣き出す前に、ゼノンは彼女をそっと抱きしめた。優しく、暖か
い抱擁だった。
「泣いている暇は無いぞ。明日は私が出したメッセージに対して、世界が解答を出す。私の予想
が間違っていなければ、月は戦火に包まれる。その時はお前も……」
「うん。私も戦場に出る。その為にリペイアを作ったんだもの。私もゼノンと一緒に戦場に出て、あ
なたの力になる。そして、世界中の人達に見せるの。私はミナ・マグナルド。ゼノン・マグナルド
の奥さんで、そして、そして……」
 そこから先の言葉は、ミナは語る事が出来なかった。何かを言おうとしても、全て泣き声になっ
てしまうのだ。
 涙が止まらなくなったミナに、ゼノンは唇を重ねた。そして、ミナを抱く。優しく、激しく、至上の
愛を込めて。



 デュランダルが滞在するメサイアの司令室に、二人の客人が訪れた。
「やあ、元気そうだね」
 いきなりやって来たメレア・アルストルの挨拶に対し、デュランダルは苦笑を浮かべる。
「そうでもない。ここ数日は寝る暇も無いよ。君の方はどうなのかね?」
 この質問には、メレアに付き添ってきたノーフェイスが答える。
「こちらも似たようなものです。ゼノンには完全に裏を掛かれました。情報の整理と、内通者の探
索に専念せざるを得ません。おかげでこちらの計画は大幅に遅れました」
「それは不運だったね。しかし、あのゼノンという男にはしてやられたよ。あの男の動きについて
は私の情報網でも把握できなかった。いや、私達だけではない。大西洋連邦やオーブ、ディプ
レクターも同じような状況らしい。世界の全てを欺くとは、やってくれるよ、彼は」
 ゼノンを褒めるデュランダル。メレアが少し不機嫌になる。
「ちょっと褒め過ぎだよ。確かに今回の事はあいつにやられたけど、所詮、あいつはデュークの
実験動物。どんなに足掻いても、ゼノンはその運命からは逃れられない」
 メレアはデュランダルに説明した。ゼノンの肉体には、『本物のダン・ツルギ』から移植された細
胞が埋め込まれている。この細胞を埋め込まれた者はアンチSEED能力を得るのだが、同時に
激しい拒絶反応に襲われる。
 数え切れぬほど用意された実験体の中で、生き残ったのはゼノンただ一人。生存率0.0000
00001%の地獄を、彼は生き延びたのだ。だが、
「あいつはちょっと無理をしすぎた。僕の計算では、あいつの体はもう限界に近い。近い内に死
ぬよ。絶対にね」
 メレアはそう断言した。彼にとってはゼノンもデュークも、自分の手の中で足掻く矮小な生命、
例えるならばアリのような虫けらだ。時折、こちらに噛み付く事もあるが、いつでも簡単に潰せる。
その程度の存在でしかない。だからこそ、自分に牙を向いた事が許せないのだ。限られた命しか
持たない、ひ弱な虫けらの分際で、この僕に逆らうなんて! 許せない。絶対に許せない。
「ま、そういう訳だから、ゼノンについてはあまり気にしなくてもいいよ。あいつがくたばり掛けた頃
に軍を送って、レクイエムを壊せば、それでムーン・キングダムはオシマイ。あとはオーブとディ
プレクターを始末すればデュランダル、君の勝ちだ。永遠の平和が僕達を待っているよ」
「………………」
 デュランダルは何も言わなかった。現在の状況はメレアが言うほど楽観的なものではない。
 それにこの男は信用できない。オペレーション・フューリーの失敗後、オーブに潜入させてい
たザフトの工作員が全員、連絡を絶った。「オーブ上空に所属不明のモノアイのMSが出現」と
いうのが最後の報告だった。調査しようとしたが、オーブの警戒は厳しく、新しい調査員を送り込
む事は出来ない。オーブの映像や通信記録を苦心して探ってみたが、そんなMSが出現したと
いう記録は無い。
 デュランダルは正体不明のMSが、メレアの物ではないかと疑っていた。その推測は当たって
いた。オーブに記録が無いのは、グランドクロスが撤退時にナノマシンで全て消去した為だ。証
拠が無いので問い詰めなかったが、この件以降、デュランダルは口で言うほど、メレアを信用し
なくなった。メレアと彼の組織は、自分の理想を叶える道具の一つ。そう考えていた。
 もちろんメレアも、デュランダルの真意は見抜いている。だが、デュランダルの理想は彼の理想
によく似ているし、今のところデュランダルの邪魔をする理由も無い。だから静観し、最後に美味
しいところだけ奪い取ろうと考えている。狐と狸の化かし合いである。
「では、私もそろそろ動くとしよう」
 デュランダルは、メサイアの職員に合図を送る。この司令室にいる職員は全員、デュランダル
の腹心であり、彼の理想こそが世界を救うものだと信じている。
「あれ、予定変更するの? ロゴスを潰した後に発表するんじゃなかったっけ?」
「予定通りだよ。ロゴスは崩壊し、世界の人々は戦乱ではなく安定を求めている。新たな道を示
すには絶好の機会だ」
「なるほど。そして、これで敵も分かりやすくなる。君に従う者と逆らう者。守るべき者と潰すべき
者がね。それが君の狙い?」
 脇に退いたメレアの言葉に、デュランダルは笑みを浮かべた。そして、全世界に向けて放送を
発信する。
「皆さん、私はプラント最高評議会議長、ギルバート・デュランダルです。本日は私から全世界の
皆さんに伝えなければならない事があります」
 デュランダルの放送を、メレアはノーフェイスと共に司令室の隅で聞いていた。メレアの眼は、
面白い演劇を見る観客の眼だった。
「これで世界は二つに割れる。面白くなってきたよ。ノーフェイス、ネオ・ロアノークの方はどうな
っている?」
「ここに来る前に連絡がありました。全ては順調に進んでいるとの事です」
「そう、いよいよだね。楽しみだよ。ゼノンとデューク、あの二人には地獄を見てもらう。僕が用意
した、とびっきりの地獄をね。ふふふふふふ……」



 デュランダルの演説は、世界中に報じられた。全世界の人々が見守る中、彼は自分の理想を
語る。
「今、私の中にも皆さんと同様の悲しみ、そして怒りが渦巻いています。何故こんなことになってし
まったのか。考えても既に意味のない事と知りながら、私の心もまた、それを探して彷徨います。
私達はつい先年にも大きな戦争を経験しました。そしてその時にも誓ったはずでした。こんな事
はもう二度と繰り返さない、と。にも関わらずユニウスセブンは落ち、努力も虚しく、またも戦端が
開かれ、戦火は否応なく拡大して、私達はまたも同じ悲しみ、苦しみを得る事となってしまいまし
た。本当にこれはどういう事なのでしょうか。愚かとも言えるこの悲劇の繰り返しは。一つには先
にも申し上げたとおり、ダブルGやロゴスの存在所以です。敵を創り上げ、恐怖を煽り、戦わせ
て、それを食い物としてきた者達。人の存在そのものを憎み、全ての生命を滅ぼそうとした邪神
と、長い歴史の裏側に蔓延ってきた死の商人。だが先日、我々はようやくその全てを滅ぼすこと
が出来ました。それは喜ばしい事です」



 プリンシパリティの談話室。ガーネットやニコル、そして新人としての挨拶を済ませたルナマリア
やメイリン達が集まり、モニターを直視していた。
「議長……」
 かつては尊敬していた人物の演説に、当惑するルナマリア。メイリンも同様だった。
「議長はダブルGを否定してますね。昔はあいつの使徒だったのに」
 ニコルがそう言うと、ガーネットが、
「今は違うのよ。今のデュランダルにとって、神とは遺伝子の事なんだから。ううん、自分自身かし
ら?」
 と答えた。
 二人は複雑な気持ちで映像を見ていた。ガーネットはプラント支部の支部長として、ニコルは
その補佐として、デュランダルとは何度も顔を合わせてきた。ディプレクターの誰よりもデュランダ
ルと接していたのだ。それなのに、この男の真意を見抜けなかった。それが腹が立つし、同時に
決意する。絶対にこの男を止めてみせる、と。



 ムーン・キングダムのパレスの執務室で、ミナや三従士と共に放送を見ていたゼノンが呟く。
「ロゴスにとどめを刺したのは我々なのだが、それは無視か。気に入らんな。コートニー、カイト・
マディガンと傭兵どもは月から去ったのか?」
「はっ。二時間前に退去しました」
 ゼノンはムーン・キングダムの建国後、カイトを始めとする傭兵達を解雇した。ここから先はムー
ン・キングダムとして最初の、だが国家の存亡をかけた戦いだ。ムーン・キングダムの正規軍の
力で対処しなければ、一国家として諸国から認められない。
「苦しい戦いになるが、全員、覚悟は出来ているな? 逃げ出すなら今の内だぞ」
 三従士は、揃って『何を今更』という表情をした。ミナも同様だった。
「よし、ダイダロスにいるゲイルの航空部隊に連絡しろ。敵が来たら先鋒は任せる。出撃準備を
整えておけ、とな」
「はっ!」



 デュランダルの演説は続く。
「だからこそ今、敢えて私は申し上げたい。我々は今度こそ、もう一つの最大の敵と戦っていか
ねばならないと。そして我々はそれにも打ち勝ち、解放されなければならないのです」



 月軌道上でムーン・キングダムの動きを警戒しているミネルバの艦橋モニターにも、議長の演
説は映し出されていた。アーサーが首を傾げて、
「もう一つの最大の敵って、何でしょうか? ムーン・キングダムの事か、オーブか、それともまさ
かダブルGみたいなのがいるとか…」
「黙って聞いていなさい」
 タリアが嗜める。



「賢明な皆さんにも既にお解りの事でしょう。有史以来、人類の歴史から戦いの無くならぬ理由
(わけ)。常に存在する人類の最大の敵。それは、いつになっても克服できない我等自身の無知
と欲望だという事を!」



 アークエンジェルに戻ったステファニーは食堂で料理をしていたが、この放送を見て、料理を
作る手を止めた。
「ギルバート・デュランダル……」
 ステファニーは彼が作ろうとしている新世界を想像する。背筋に寒気が走った。
「私はあなたの世界を認めない。あなたの作る世界では、いずれ全ての自由が無くなってしまう。
人が誰かを愛する自由でさえ。それは絶対に許してはならない事……!」
 ステファニーの懸念は杞憂ではない。個人の意志を一切認めない世界。それが、自由無き世
界の末路なのだ。



「地を離れて、宇宙(そら)を駈け、その肉体の能力、様々な秘密までをも手に入れた今でも、人
は未だに人を解らず、自分を知らず、明日が見えないその不安。同等に、いや、より多く、より豊
かにと飽くなき欲望に限りなく伸ばされる手。それが今の私達です。争いの種、問題は全てそこ
にある! だが、それももう終わりにする時が来ました。終わりに出来る時が。我々は最早その全
てを克服する方法を得たのです。全ての答えは、皆が自身の中に既に持っている!」



 オーブ行政府では、カガリ、ラクス、オーブ首脳陣、キラとアスラン、そしてダンが映像に眼を奪
われている。
「この男の言っている事は間違ってはいない。記憶を無くす前の俺だったら賛同しただろう」
 ダンがそう言うと、キラが頷き、
「うん。僕もザフトが攻撃してこなかったら、デュランダル議長の事、信じてたと思うんだ。戦わな
い方がいいって言った人だから」
 と答える。アスランも、
「それは、ここにいるみんな同じだ。デュランダル議長が厄介なのはそこなんだ。話していると彼
の言う事は本当に正しく聞こえる。実際、間違った事は言っていないんだからな」
 とため息混じりに言う。プラント出身者である彼の心情は、複雑なものだろう。
 迷いと戸惑いを捨てきれない彼らに対して、ダンが吠える。
「だが、この男のやろうとしている事はメレアと同じだ。人間の可能性を否定し、自分が作った檻
の中に閉じ込め、それで『世界は平和だ』と言う。そんな考えを認める訳にはいかない!」
 ダンの言葉は力強いものだった。彼の言葉に、一同は揃って頷く。



「これこそが繰り返される悲劇を止める唯一の方法です。私は人類存亡を賭けた最後の防衛策
としてデスティニー・プランの導入実行を、今ここに宣言いたします!」



 ミネルバの乗員達は娯楽室のモニターで、議長の演説を見ていた。演説の内容は、
「……えっ?」
 記憶を失ったシンさえも困惑させるものだった。
「ふうん。そう来るんだ。面白い事を考えるわね、デュランダル議長は」
 レヴァストは苦笑を浮かべ、
「…………」
 レイは沈黙していた。
 他の乗員達も、ある者はうろたえ、ある者は仲間に今後の事を相談する。皆が不安に陥ってい
た。こんな状況の中で、ウラノスは欠伸をし、ネブチューンは酒を飲み、プルートは耳垢を穿って
いる。幸か不幸かこの三人には、他人の理想に興味を抱くような心は無かった。



 デュランダルの演説とデスティニー・プランの導入宣言は、世界中の人々を驚かせた。
 コーディネイターがこれまでに培ってきた遺伝子工学の全てと、現在最高水準の技術を以て
施行する、究極の人類救済システム。全ての人類が遺伝子により選別され、自分に最も適した
職業に就く。不安が無くなる、戦争が起きない、幸福になれる。このプランを受け入れれば、人
類にとっての理想郷が完成するだろう。そう考えた親ザフト国である大洋州連合や、ユーラシア
の一部地域ではプランの導入を早々と決定した。
 その一方で、オーブ、スカンジナビア王国、赤道連合はプラン導入を拒否。様子見をしている
大西洋連邦や東アジアを置き去りにし、反デュランダルの姿勢を明確に現した。
 これでプラントとの和平の望みは、ほぼ絶たれた。平和を求めるカガリにとっては苦渋の決断
だったが、甘い理想を騙り、人間の自由を奪うデスティニー・プランを認める訳にはいかない。
 月のムーン・キングダムも、デスティニー・プランを完全に拒絶した。その宣言はゼノンではなく
ミナが行い、全世界にその映像を送る。
「私達ムーン・キングダムが作ろうとしている世界は、人々が努力を怠らず、自らの能力を自らの
意志で高め、努力した者が必ず幸福を手にする事が出来る世界です。遺伝子に依存するデス
ティニー・プランは、人間の努力を否定し、人が人として生きられる世界を否定するプランです。
我々ムーン・キングダムは、このプランを受け入れる事は出来ません!」
 そう宣言したミナを、月の人々は拍手で応えた。六つの都市が拍手と歓声で包まれる。
 ゼノンはパレスの執務室で、ミナの演説を見ていた。ミナの言葉は全て、ミナ本人が考えたも
のだ。世界を前にして、高らかに自分の考えを述べるミナ。その堂々とした態度は、カガリやラク
スにも劣らない。
「ミナも自分のやるべき事をやっている。ならば私も、やらなければならない。戦わなければなら
ない。この命が尽きるまで」
 ゼノンはアルザッヘルとダイダロスの両基地に連絡し、ザフトの襲撃に備えるように命令。アル
ザッヘル基地で整備を受けているディベイン・ヘルサターンの発進準備を急がせる。
 ダイダロス基地を任されたルーヴェから返信が入る。
「レクイエムはどうしますか? 発射準備にはすぐに入れますが…」
「その必要は無い。あれを使えばムーン・キングダムは全世界を敵に回す事になる。『今』を生き
延びても、『未来』に繋げる事が出来なければ、我々の負けだ。何があっても絶対に使うな」
 ゼノンはそう命令した。戦争は勝たなければならない。何の為に? それは未来に希望を繋げ
る為。一時の勝利を滅びの切っ掛けにする訳にはいかないのだ。
「レクイエムなどに頼らなくても、ザフトに勝利してみせよう。ザフトなど私の敵ではない。この私、
ゼノン・マグナルドの『敵』は、この世界でただ一人!」
 一方、演説を終えたミナはダイダロス基地に赴き、先日完成したばかりの自分の機体の前に
立つ。白と水色で塗装されたMS。その名はリペイア。大切な人を守る為にミナが作り上げた、
武装を一切持たないMS。
「戦う事は嫌い。でも、今は戦わなくちゃいけない時なの。お願い、リペイア、私に力を貸して。そ
して、あの人を守って……」
 ミナの願いに対して、リペイアがどんな答えを出すのか。それは誰にも分からない。分かってい
るのは、この月が戦火に包まれるという事だけだ。



 オーブでは、ディプレクターの艦隊がいよいよ宇宙に向かおうとしていた。
 ディプレクターはエクシード・フォースを中心とする主戦力のほとんどが宇宙に上がる。オーブ
軍は、トダカを艦長とするオケアノス級輸送艦アトランティスで出撃。搭載量ギリギリの物資と人員
を乗せているとはいえ、戦力的にはディプレクターより劣る。だが、これは仕方が無い。オーブ軍
はオーブ本土の防衛と復興作業も進めなければならないのだ。
 結局、オーブ軍は半数以上の戦力が残る事になった。アサギ、ジュリ、マユラは宇宙に行けな
い事を残念がっていた。傭兵集団サーペントテールもラクスの依頼を受けて、オーブに残る。彼
らはオーブ軍が故国に帰って来るまで、国の守りを委ねられた。名誉と重責が込められた仕事
を、劾は気を引き締めて承知した。
 アスランは護衛部隊の隊長代理として、カケル・シラギを任命した。自分と共に多くの戦場を潜
り抜けてきた青年に、アスランは愛するカガリを託した。
「俺が戻ってくるまでカガリを、オーブを守ってくれ」
「はい、隊長。お気を付けて!」
 カケルを始めとする大統領護衛部隊は、敬礼をしてアスランを送り出す。
 カガリも見送りに来た。彼女はアスランの手を握り、
「必ず帰って来いよ。ここはお前の、ううん、私達の故郷なんだからな」
 と言った。そう、このオーブこそ、アスランにとって第二の故郷であり、守るべき国。愛する女
(ひと)が住むこの国を守る為に、アスランは戦うのだ。
「ああ、行ってくる。そして、必ず戻ってくる。お前のもとへ」
 二人の唇が自然に重なる。約一名を除いて、皆、見て見ぬ振りをした。
「う〜〜〜〜……。アスラン様〜〜〜〜……」
「いじけるなよ、カノン。失恋が辛かったら、オーブに残ってもいいんだぞ」
「ジェット、余計な気を使わないで。それとこれとは話が別よ。議長やメレア・アルストルのやろうと
している事は、私だって許せない! だから私は宇宙に行くの! そして自分の未来を掴み取る
の! アスラン様よりいい男を見つけて、絶対に幸せになってやるんだから!」
「めげないな、お前は。……それじゃあ、俺も少し頑張るか」
 やる気を出すジェット。彼の想いが届く日は来るのか?



 出発の準備が行なわれる中、騒がしいグループがいた。
「よーし、行くぜ、お前ら。宇宙が俺達を待っている!」
 片腕を無くした割には元気一杯なオルガと、そんな彼の後ろを歩くスティング、ステラ、ギアボ
ルト、アヤセの四名。ステラを除く三人の顔は、いずれも暗く、重い。
「ステラと組まされるのは分かる。地球軍からの付き合いだからな。けど、何で俺がこんなガキども
の面倒まで見なくちゃならないんだよ……」
 小声で文句を言うスティング。だが、不満があるのはギアボルトとアヤセも同じだった。
「ギアボルト」
「何ですか、アヤセ・シイナ」
「ガーネットさんの命令だから仕方なくチームを組むけど、私はあんたの事が嫌い。あんたがピン
チになっても助けないから」
「分かりました。でも、私があなたを助ける機会の方が多いと思いますよ。模擬戦は私の全勝でし
たし」
「くっ…! あれはあんたが卑怯な戦い方をしたからでしょ! 模擬戦で本気出してんじゃないわ
よ!」
「その言葉、そっくりそちらにお返しします」
「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐっ! あんたって、本当に腹の立つ女ね!」
「その言葉も、そっくりそちらにお返しします」
 殺伐とした空気の中、
「♪〜〜〜〜」
 ステラは鼻歌を歌っていた。
「宇宙、綺麗……。それに宇宙に行けばシンに会える。シン、もう一度、会いたい……」
 少女の儚い想い。少年の沈んだ気持ち。そして、一触即発の青と赤の乙女二人。個性的過ぎ
る面々を率いて、オルガはドミニオンに乗り込む。
「行くぞ、お前ら! 俺は戦えないが、俺の分まで頑張って、カラミティ・ファイブの力、見せてや
れ!」
 オルガの言葉には、誰も頷かなかった。ステラは鼻歌を歌うのに夢中だったし、他の三人は言
わずもかな。
 五人の様子を離れたところから見ていたイザークは、かつてない不安に襲われた。
「チームワークの欠片も無いな。大丈夫なのか、あいつらは?」
 大丈夫だ…と思う。多分。きっと。恐らく。



 ダンとステファニーもアークエンジェルに乗り込んだ。ダンは宇宙で待っているであろう戦いに
思いを馳せる。
 ゼノン、シン、デュランダル、メレア。いずれも一筋縄ではいかない相手だ。だが、ダンは彼らと
戦わなければならない。自身の運命を乗り越え、未来を掴み取る為に。
「ダン」
 ステファニーがダンの手を握る。細いが、暖かい手だった。
「行きましょう、宇宙へ。私達の最後の戦場へ」
「…………ああ、行こう。全ての決着をつける為に!」
 運命の戦士達を乗せ、アークエンジェル、ドミニオン、プリンシパリティ、オケアノス級アトランテ
ィスの四艦は宇宙へと打ち上げられた。目的地は月、コペルニクス市。

(2005・12/9掲載)

次回予告
 運命の時は近い。
 戦いの中で出会い、愛し合い、そして、別れる。
 覚悟はしていた。そんな風に出会ったから、そんな別れ方は当然だと。だが…。
 命が華と散る月の空で、ミナ・マグナルドは見る。最愛の人の、最後の戦いを。

 次回、機動戦士ガンダムSEED鏡伝2、絶哀の破壊神、
 「夢、幻の如く」
 少女の想いを力とせよ、リペイア。

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