第30章
 罪深き記憶の中で

 コズミック・イラ72、7月7日。
 ザフトと地球軍の戦争が終わり、世界が表向きには平和への道を歩み始めた頃。メレア・アル
ストルは親衛隊を引き連れ、息子デュークの元を訪れていた。
 この日はデュークの四十歳の誕生日だった。だが、メレアはそれを祝うつもりは無い。むしろそ
の逆だった。彼は息子を裁く為に宇宙に上がったのだ。
 デュークはL1宙域に浮かぶ彼専用の研究施設にいた。場所を示すコードは9740−6584−
2291−7752。資源衛星の破片に偽造されたその施設で、デュークは己の研究を進めてい
た。
 そこへメレアは連絡もせずに訪れた。そして十数名の親衛隊と共に、デュークの部屋に押し入
った。
 机に向かっていたデュークは、いきなりの訪問者に少し驚いた。が、すぐに微笑し、
「これはこれは父上。組織の大総裁がわざわざこんな所にいらっしゃるとは。何か私に御用です
か? ご注文のガンダムの設計図ならもう送ったはずですが」
 と父の顔を見る。彼の眼は右が黒で、左が金色に染まっていた。
「サンライトガンダムの設計図なら受け取った。頭部と胴体だけのね。君にしては随分と手間取っ
ているじゃないか。他のガンダムはもう製造段階に入っているんだよ」
「申し訳ありません。あれに使用する予定の《アポロン》のデータが不足しているので。アルベリッ
ヒ・バーネット博士が生きていてくれれば助かったのですが……」
「ふん。まあ、いいさ。今日は別の用事で来たんだ」
 メレアはぶっきらぼうに答えた。
 メレア・アルストル。外見は十歳前後の子供だが、二百年近くも生きている怪物。デュークはこ
の男が嫌いだった。
 そしてメレアも、四十過ぎのデュークの事が嫌いだった。実の子ではあるが、この男の口調も態
度も気に入らない。出来れば、さっさとこの世から消えてほしい。しかしデュークは有能な男だっ
た。少なくともメレアが知る限りではこの世界で最も優れた頭脳を持つ人間で、組織の役に立っ
ていた。
 今までは。
「デューク」
 メレアはゆっくりと歩を進めた。そして息子の顔を睨む。
「君には失望したよ。君は、やってはならない事をやってしまった」
 そう言ったメレアの声には、激しい怒気が含まれていた。
「単刀直入に訊くよ、デューク。『イオの輝き』はどこにある?」
 イオの輝き。
 その単語を耳にした瞬間、デュークの顔付きが変わる。
「ほう。思ったより早く気付きましたね。色々と仕掛けをしたので、露見するにはもう少し時間がか
かると思ったのですが」
「僕を甞めるな。あの程度の小細工で僕の目が誤魔化せると思っているのか。さあ、『イオの輝
き』を渡せ。渡せば命だけは助けてやる。でも、渡さないのなら…」
 メレアが指を鳴らした。親衛隊の面々が懐から銃を取り出し、その銃口をデュークに向ける。
「ほう、私を殺すのですか。貴方の実の息子である、このデューク・アルストルを」
「当然だ。君は組織にとって最大の禁忌に触れた上、それを盗み出した。その罪は重い。いくら
君が組織で最高の科学者で、アンチSEED研究の第一人者で、世界最高のMS技術者で、グ
ランドクロス・プロジェクトの最大の功労者でも、許す訳には行かない」
「組織にとっての最大の禁忌、ですか。父上、物事は正確に言うべきです。『イオの輝き』は組織
にとっての禁忌ではなく、貴方にとっての禁忌なのでしょう? 百五十年前に手に入れたあの至
宝によって、貴方は永遠の若さと命を得た。そして貴方は、『イオの輝き』の存在を知った者たち
を皆殺しにして、あれを自分一人の物にした。さすが父上。容赦が無いし、あまり褒められたやり
方ではありませんね」
 多数の銃口を向けられているのに、デュークは余裕の笑みを浮かべていた。そして父メレアの
最大の秘密をベラベラと喋る。
「……ふうん。僕の事を随分と調べたようだね。で、『イオの輝き』はどこにあるのさ?」
 執拗なまでに『イオの輝き』を求めるメレア。焦っているのが手に取るように分かる。そんな父の
醜態に、デュークは優越感を抱いた。この男の命運は、今、自分の手の中にあるのだ。そう思う
と心が安らいだ。
「ふふふふふ。父上、そんなにあれが欲しいんですか? 確かにあれが無ければ、父上の『永遠
の命』は成立しませんからね。あれ無しでパーフェクトクローンを作っても、通常のクローン同様
にテロメアは短いし、脳の老化も防げない。今までのように、体が少し傷付いたから、醜いしわが
出来たから、と肉体を気軽に乗り換える事は出来ませんね」
 デュークはメレアの事が嫌いだった。この世から消えて欲しかった。『永遠の命』を手に入れた
父が妬ましくて、その秘密を探り、そして、ついに全てを知ったのだ。
 百五十年前、メレア・アルストルは老いと死から逃れる為、完成したばかりのクローン技術を使
って、自分のクローンを作り出した。だが、クローン=本人では無い。クローン人間は細胞の提
供者と容姿こそ似ているが、精神や人格はまったく別のものだ。子が親の複製ではないように、
クローンも決して『本人』ではない。
 しかし、メレアは恐ろしい方法でこの問題を解決した。一定の年齢までクローンを成長させた
後、クローンの脳を取り出し、自分の脳を移植したのだ。もちろん脳は老いたままであり、そのま
まならば老衰で死ぬ。だが、メレアには切り札があった。『イオの輝き』。生物の肉体や臓器など
に投与されると、その部分のアポトーシス(細胞の自然死)や老化現象を防ぐ事が出来る神秘の
液体。脳移植の際にこの液体を使用する事で、メレアは脳の老化を防ぎ、若い肉体を乗り換え
て生き続けてきた。
 『イオの輝き』は限られた量しかなかった。その為、肉体全てに使用する事は出来ず、脳だけ
に使われていた。それならば数百回の移植が可能であり、メレアは永遠の命を手に入れたも同
然である。調子に乗った彼は、体に少し傷が出来たり、しわが出来ただけで体を乗り換えるよう
になり、
「移植手術もタダではないのですよ。それに手術中は組織の運営が出来なくなるし…」
 とノーフェイスを困らせていた。
 そう言われてもメレアは気にしなかった。初めて肉体を乗り換えてから百五十年。彼は永遠の
命と若さを楽しんでいた。
 だが、数日前、事態は一変した。
 組織の最重要機密であり、本部の大総裁専用地下金庫に収められていた『イオの輝き』が何
者かの手によって盗まれたのだ。組織の総力を挙げての捜索が行なわれ、結果、一人の男が容
疑者として浮かんだ。メレアはグランドクロス・プロジェクトに『イオの輝き』を使用する事を思い立
ち、その男に『イオの輝き』と、それを収めた地下金庫の存在を教えていたのだ。
「父上、貴方は醜いですな」
 『イオの輝き』を盗み出した犯人、デューク・アルストルは実の父に対して、冷酷に言った。
「百五十年前、木星で偶然発見された宇宙生物の体液などに頼り、偽りの永遠を手に入れ、神
様気取り。アポトーシスを防がれる事で少しずつ肥大化していく脳を抱え、生き続ける。なんて醜
い。そして愚かなんだ。そんな貴方に一組織の長たる資格は無い」
 今度はデュークが指を鳴らした。乾いた音が研究室に鳴り響く。その音を聞いたメレアの親衛
隊は、銃口をデュークからメレアに向け直した。
「ふん。内通者がいるとは思っていたけど、こいつらまで抱きこんでいたとはね」
 部下の裏切りを前にしても、メレアは焦りの色を見せなかった。だが、形勢が逆転した事は確
かだった。デュークは満面の笑みを浮かべ、
「ええ。組織の中には貴方のやり方に反感を抱く者も多い。少し金を掴ませただけで、みんな私
に協力してくれました。しかし、まさか貴方が直々に乗り込んでくるとは思いませんでしたよ。ま
あ、これも僥倖(ぎょうこう)というものです。わざわざ自分から死にに来てくれて、手間が省けまし
た。貴方は長く生き過ぎた。ここらで世代交代と参りましょう」
「……もう一度だけ訊くよ、デューク。『イオの輝き』はどこにある?」
 この状況でもしつこく尋ねる父に、さすがのデュークも呆れた。ため息をついて、
「やれやれ。その執念には感服しますが、これから死ぬ貴方にはもう必要ない物でしょう。だから
私が使いました。ちょっと気が早かったですけどね」
「使った、だと?」
「ええ。父上、私をよーく見てください。おかしな事に気付きませんか?」
 そう言われて、メレアは改めて息子の顔を見た。金の左眼と黒の右眼。金色の瞳は先日、実験
材料にされて死んだデュークの息子、ダン・ツルギと同じ色の瞳。アンチSEED能力を持つ者の
証である。それ以外におかしな所は……あった。
 しわが無い。
 髪の毛の白髪が減っている。
 体つきが逞しく、若々しい。
「! お前、まさか……!」
「気付いたようですね。ええ、そのとおり。『イオの輝き』は私の体に使いました。一滴残らず、全
てね!」
 以前にも説明したが、『イオの輝き』は細胞の自然死を防ぎ、投与された生物を生き永らえさせ
る事が出来る。デュークはこの液体を調整し、全ての細胞を活性化させ、その最盛期に戻すよう
にしたのだ。
「私は永遠の命など望まない。ですが、醜く老いるのは嫌だ。この老いた肉体を若きものとし、私
が作った究極のガンダム、グランドクロスの力で世界の頂点に立つ! 父上、貴方に代わって
ね」
 それはデュークのメレアに対する宣戦布告であり、絶縁宣言だった。彼は気付いているのだろ
うか? 自分の行動や思考が、彼が最も嫌悪する人物に似ている事に。
「……バカな奴だ」
 メレアはデュークをそういう男だと判断した。
 デューク・アルストル。誰よりも残酷で、誰よりも賢く、そして誰よりも愚かな男であった。
「バカ? バカは貴方でしょう、父上。『イオの輝き』が貴重ではあるが、所詮は限りある物。永遠
の命を手にする事など誰にも出来ない。だったら危険な脳移植などせず、私のように直接体に
打ち込めば良かったんですよ。あるいはパーフェクトクローンで作った肉体に記憶や人格をコン
ピューターで移植すればいい。その方が安全だ。脳を入れ替え続けるなどという非効率的な事
を続け、不老不死になったと錯覚し、結果、大事な物を取り戻そうとして自ら敵の懐に飛び込
む。それが貴方の愚かさの証」
 父の行為を嘲笑うデューク。その顔は醜く歪んでいた。
「では、さようなら、父上。後の事はお任せください。ノーフェイスたち父上の側近も全員、殺して
差し上げますから」
 デュークはそう言って、メレアに頭を下げる。そして親衛隊の面々は、銃の引き金に当てた指
に力を入れた。
 パン、パン、パン、パン。
 乾いた銃声が響き渡った。



 コズミック・イラ73、9月23日。
「ノーフェイス、明かりを」
 主の指示にノーフェイスは従い、照明のスイッチを入れた。
 巨大な部屋は再び光に包まれた。壁や床に夜光塗料で書かれていた名前は全て消え去り、
デューク・アルストルの研究室は『墓場』から普通の部屋になった。
 レヴァストの姿が無い。メレアの長話の間に部屋を出て行ったようだ。だが、誰もその事を気に
しなかった。いや、気付いてさえいなかった。それどころではなかったからだ。
 ダンとデューク。二人の意外な関係に驚きを隠せない一同に、メレアは恭しく頭を下げて、
「さて、皆さんにもご紹介します。こちらで俯いている『ダン・ツルギ』を名乗りし男こそ我が息子に
して、この世界で最も賢くも愚かな男、デューク・アルストルです。己の妻を死に追い込み、息子
の体をズタズタに切り裂き、親である僕まで殺そうとした、まさに悪魔と呼ぶに相応しい男です」
「そんな……そんなの、ウソよ!」
 メレアの言葉をミナが遮った。
「ダンはそんな人じゃない! だ、大体、年齢が合わないじゃない! デュークって人は四十代
で、ダンはどう見ても私と同じくらいの…」
「ミナ・ハルヒノ。さっきのメレアの話を聞いていなかったのか? 『イオの輝き』の効力だ」
 ミナの疑問には、意外にもゼノンが答えた。メレアは頷き、
「そう。細胞の崩壊を防ぐ事が出来る、奇跡の物質。百五十年前、木星で手に入れた宇宙の聖
水。もっとも、バカ息子が全部使っちゃって、もう残っていないけどね」
 と言った。そしてダンの顔を、憎しみを込めた眼で睨む。
「このバカ息子め! 君のせいで僕には時間が無くなってしまった。パーフェクトクローンである
この体はまだ持つけど、脳の老化を抑える事は出来ない。グランドクロス・プロジェクトの為には
僕の脳が必要なのに!」
「……………」
 ダンは答えなかった。顔を俯かせたまま、ピクリとも動かない。
「ダ、ダン……」
 ミナが側に近づこうとするが、
「ふーん、僕の言う事なんか無視するんだ。相変わらずだねえ、君は。妻殺し、息子殺しの大悪
党、人の姿をした大悪魔め!」
 というメレアの発言が、ミナの足を止めた。
 先程までのこの部屋の光景を思い出す。闇の中に浮かび上がった無数の名前。デューク・ア
ルストルによって殺された人々の名前。大勢の人を殺したデュークという男が嫌いになった。気
持ち悪いと思った。ゼノンがデュークではないと知って、少しホッとした。
 しかし、デュークはここにいる。ダン・ツルギとしてここにいる。初恋の相手こそが、この世で最も
忌むべき存在だった。人として許してはならない存在だった。
 どうすればいい? 私はどうすればいい? 何を言えばいい? デューク・アルストルを嫌って
いる私が、デューク・アルストルである彼に何を言えるというのだ?
 自分が何をすればいいのか分からず、足を止めたミナ。それは他の者も同じだった。誰もダン
に声をかける事が出来ない。ただ一人、メレアを除いては。
「罪深き我が息子よ、でも、君の罪はこれだけじゃない。ゼノン・マグナルド。彼もまた、君の罪の
証なんだ」
 そう言ってメレアは、ゼノンの方に視線を向ける。ゼノンは腕を組み、堂々とその視線を迎え撃
つ。
「私がデューク・アルストルの罪の証だと? どういう意味だ、それは?」
「言葉どおりの意味さ。ゼノン、君は自分の事をこう思っているだろう? 没落した小王国のただ
一人の生き残り。アンチSEED能力を与えられた最強の人間。そしてダン・ツルギは自分を創る
為の試作品、だと」
 そこまで言って、メレアはニヤリと笑った。心の底から嬉しそうな、だが見る者には嫌な感じを与
える笑顔だった。
「でも、ハズレ。ゼノン、君は完成品じゃない。そしてダン・ツルギ。君も試作品じゃない。君たち
の関係は逆なんだ。ゼノン、君が試作品。そしてダン、君が完成品なのさ」
「!」
「!」
 メレアの言葉は、再びそこにいる全ての者を驚かせた。ダンも、そしてゼノンも驚いている。そ
んな一同を見て、メレアは更に笑い、話を続けた。
「ゼノン、君の記憶はデューク・アルストルが植え付けたニセの記憶だ。君がどこの誰なのか、僕
も知らない。君はデュークが連れてきた実験体の一人だったんだ」
 孤児。両親を失った、天涯孤独の子供たち。デュークはそんな子供達を集め、彼らの記憶を
消して、自分の実験に使用した。記憶を消したのは従順な実験動物にする為。実験動物に自我
は不要だからだ。
「酷い……。そんなの、酷すぎる……」
 メレアの話を聞いたミナは、思わず呟いた。それはごく自然な感想。だが、その発言はミナを
更に追い込む事になった。
「そうだね。そして、そんな酷い事をした人間はここにいる。デューク・アルストル、いや、ダン・ツ
ルギ。自分が殺した息子の名を名乗っている恥知らずがね!」
「!」
 メレアの言葉に、ミナはハッとした。失言だった。この事実を知って、誰よりも傷付いているのは
ダンなのだ。それなのに……。
「ゼノン。記憶を消された君にはアンチSEED能力を持つ『本物のダン・ツルギ』の細胞と、デュ
ーク・アルストルの『人格』が植え付けられた。アンチSEED能力を持つ者への人格移植の実験
だよ。人格とは精神の基盤、思考の源だ。君が考え、計画し、理想としている事。その全てはデ
ューク・アルストルの人格から生まれたモノであり、デュークが考えた事でもあるのさ」
 だからゼノンとデュークは似ているのだ。外見ではなく、その精神が、魂が似ている。似すぎて
いる。
「ゼノン、君には何も無いんだよ。ゼノン・マグナルドというその名も、王族だったというその記憶
も、アンチSEEDの力も、全て他人から与えられたものだ。そして君には自我も無い。君の思考
の全ては、移植されたデュークの人格から発せられたものだ。そういう意味では君はデューク・
アルストルの後継者と言えるね。もっとも肉体は別のものだから、君=デュークではないけどね」
「…………………」
 何も言わないゼノンを見て、メレアは笑った。
「ふふふふふふ。君を見ていると思い出すよ。親に逆らい、殺す事だけしか考えていなかったあ
の男の事をね。デューク・アルストルの体はダンが、心は君が受け継いだ。そう考えるべきなの
かな?」
「…………………」
 沈黙を保つゼノン。
 ダンとゼノン。二人とも何も言わない。だから周りにいる者たちも何も言えない。ミナも、三従士
も、ムウも、ニコルも、ギアボルトも、フルーレも、ミリアリアも、ラユルも沈黙してしまった。
 重苦しい時が流れる。誰も口を開けず、動けなくなった世界。だが、ここで動いた者がいた。
「ダン」
 ステファニー・ケリオンが前に出る。そしてダンの肩にそっと手を置く。その様子を見たメレアは
少し驚いたが、ククッと笑って、
「おや、ステファニー・ケリオン。君、そいつに触れる事が出来るんだ。勇気があるねえ。妻を殺
し、息子を殺し、父親を殺そうとし、世界を手に入れようとした悪魔のような男に、君は…」
「黙りなさい」
 ステファニーが発したその声は、とても穏やかなものだった。だが、同時に確固たる意思が込
められているのがはっきりと分かった。それはダンを守り、理解し、支えようとする意思。その強い
意志の前では、さすがのメレアも黙るしかなかった。ステファニーは言葉を紡ぐ。
「ダン。まずははっきり答えてほしいの。あなたが答えてくれないと、私たちもどうする事も出来な
い。だから答えて。あなたは、本当にデューク・アルストルなの?」
 しばしの沈黙。
 そして、ダンは、こっくりと頷いた。そして、ついに口を開いた。
「思い出した。メレアの言うとおりだ。確かに俺はデューク・アルストルだ。かつて俺はこの研究所
にいた。そして、殺した。記憶を思い出してさえ、正確な数は思い出せないほど大勢の人間を殺
した。殺して、殺して、殺しまくった」
 ダンの顔は青く染まり、苦痛を堪えているかのような表情を浮かべていた。実際、彼は耐えて
いるのだ。己の過去という凶器が繰り出す痛みに。
「父を軽蔑し、妻を嫌い、息子をその手にかけた外道。それが俺だ。デューク・アルストルだ」
「ダン…」
「俺をその名で呼ぶな! 俺にはその名を名乗る資格は無い。いや、その名前だけは名乗っち
ゃいけないんだ!」
 自分の手にかけた息子の名前。ダン、いやデュークにとって、それは金色の瞳と同様に、許さ
れない罪の証。
 だから呼んでほしくなかった。その名を。愛する女にだけは、その名で自分を呼んでほしくなか
った。
 だが、ステファニーは呼んだ。その名を。彼の罪の証を。堂々と、大きな声で呼んだ。
「いいえ、呼ばせてもらうわ。あなたはダン・ツルギ。サンライトのパイロットで、私たちと一緒に戦
ってきた仲間で、そして…」
 更に言葉を続けようとした瞬間、部屋が大きく揺れた。
「な、何だ、地震か?」
「ムウさん、ここは宇宙ですよ」
 ニコルの言うとおり、ここは宇宙空間に浮かぶ人工の施設だ。地震などあり得ない。
 しかし、部屋は再び揺れた。人工の大地が揺れる度に、遠くから大きな音が聞こえる。
「メレア様、どうやらそろそろお時間のようです」
 ノーフェイスが会釈をして、主に告げる。メレアは頷き、
「そう。それじゃあ、そろそろ行こうか。あ、皆さん、あと十分ぐらいでこの研究所は爆発するよ。
早く脱出した方がいいんじゃないかな?」
 そう言ってメレアとノーフェイスは、メレアが入って来た扉から出て行った。
「っておい! お前ら、ちょっと待て!」
 ムウが後を追おうとしたが、扉には鍵がかけられていた。オートロックになっているらしい。
 そうこうしている内に、再び揺れが起きた。そして爆音。揺れも音も先程より大きなものになって
いる。
「ちっ、このままじゃヤバイな。みんな、急いでこの部屋から出るんだ!」
 そうムウが指示した直後、部屋の天井の一部が崩れ落ちた。この部屋は地球と同様に重力が
働いていた為、天井の破片は猛スピードで落ちてくる。
 更に天井が崩れた事で、照明も消えてしまった。ほとんど何も見えない闇の中で、無数の破片
が落ちてくる。まさに地獄。
 それでもムウやギアボルトは破片をかわしていた。しかも一般人であるミリアリアとラユルを助け
つつ、である。さすがプロの軍人と傭兵。ニコルも闇の中で破片をかわしている。鍛え直している
効果が現れているようだ。
「ちいっ! この程度で、俺の記者魂は死なない!」
 フルーレも無事だ。記者魂、恐るべし。
 ゼノン三従士たちも破片を避けている。闇の中でも見事な動き。さすがと言うべきか。
 だが、一般人のミナは完全にパニック状態に陥っていた。この状況では無理も無いが、破片
は容赦なく落ちてくる。
「きゃあああああああ!」
 悲鳴を上げながら、ミナは逃げ回った。そのおかげで破片からは逃れることが出来たが、自分
が今、どこにいるのか分からなくなってしまった。
「あ……」
 焦るミナ。早くこの部屋から出なければならない。ダン達と合流して…、
『合流して……どうするの?』
 ミナはデューク・アルストルが嫌いだった。人として許せないと思った。そしてダンがデュークだ
と知った。動けなかった。どうすればいいのか分からなくなった。ほんの少しだが、ダンの事を信
じられなくなった。
『そんな人間がダンの所へ行って、どうするの? 何をしようというの?』
 それにダンの側にはステファニーがいる。誰もダンに声をかけられなかった時、彼女だけが動
いて、そしてダンに問いかけたのだ。ダンと真正面から向き合う為に。彼を支える為に。
『私はダンの事を信じられなかった。私にはダンの側にいる資格は無い。居場所も無い。私は、
私は……』
「お前、こんな所で何をしている?」
 失意の海を漂っていたミナを現実に引き戻したのは、二つの金の瞳。そして、ゼノン・マグナル
ドの声だった。彼の金色の瞳は、闇の中でも光を放っている。ダンの左眼と同じ色だが、光の質
は微妙に違う。ダンのものより冷たいが、とても力強い。その光は、闇に戸惑っていたミナを安心
させた。
「ダン・ツルギ達がお前を探しているぞ。さっさと行け」
 ゼノンの言うとおり、轟音の中から「ミナーーー!」「ミナちゃん、どこにいるのー!」という声が
聞こえてきた。仲間たちの声だ。こんな危険な状況なのに、自分達も早く脱出しなければならな
いのに、それでも彼らはミナの事を探している。
 嬉しかった。だけど、同時に悲しかった。
「私は……戻ってもいいのかな?」
「? お前は何を言っているんだ。当たり前の事を言うな」
 ゼノンはあっさりと言った。
「お前が望む場所にいればいいし、行けばいい。遠慮する必要など無い。単なる逃避なら許さな
いが、お前はそんな事をする女じゃないだろう?」
「ゼノン、さん……」
 驚くミナ。まさかこの男に励まされるとは思わなかった。いや、ゼノンは当然の事を言ったつもり
なのだが、ミナにはとても嬉しい言葉だった。戻ってもいいんだ。私にはまだ、戻れる場所がある
んだ。
「あ、あの、ありがとうございます、ゼノンさん!」
「? なぜ礼を言う。変わった女だな、お前は。まあいい、さっさと…」
 ゼノンが返事をしようとした瞬間、再び爆発が起きた。そして、ゼノンのちょうど真上にあった天
井の部分が崩れ落ちた。ミナに気を取られていたゼノンは避ける間が無い!
「!」
 しかし、ゼノンは天井の破片には当たらなかった。破片にあたる直前、ミナがゼノンを突き飛ば
し、彼の身代わりになったのだ。大きな破片がミナの頭に当たり、赤い血が飛び散る。
「……何だと?」
 ゼノンはこの状況が理解できなかった。なぜこの女は自分を助けたのだ? 自分とこの女は敵
同士なのに、自分の身を挺してまで、なぜ?
 破片が当たったミナは、その場に倒れこんだ。そして、わずかに眼を開き、ゼノンの顔を見る
と、
「……あは、良かっ…た」
 と呟いた。その呟きを耳にしたゼノンはミナを抱きかかえ、
「お前、どうしてこんな事をした! 敵である俺をなぜ助けた! 俺もデューク・アルストルと同じ
人殺しだ。それなのに、なぜ!」
「…………」
 ミナはゼノンの眼を見た。金色の両眼。ダンと同じ色、そして、良く似た輝き。当然だ。この二
人は同じ細胞を持ち、同じ人物によって作られた存在。
 しかし、ゼノンはダンではない。デュークでもない。ゼノンはゼノンなのだ。
「ゼノンさん、私に『戻ってもいい』って言ってくれたから……。それにゼノンさん、って、自分で、
思っているほど、悪い人じゃない…と思う…から……」
 そう、この人は悪人ではない。自分にも他人にも厳しすぎるだけだ。もっと優しくなってくれれ
ば、もしかしたら……。
 気を失う寸前、ミナはゼノンが自分の名前を呼んでくれたような気がした。少し嬉しかった。



 ダン達が闇と爆炎の中で迷っている一方、メレアとノーフェイスは安全な通路を通り、アトランテ
ィスに帰還していた。無事に艦に戻った二人を、数人の男達が出迎える。
「お帰りなさいませ、メレア様、ノーフェイス様」
 男の一人が恭しく頭を下げる。彼らはメレア・アルストルの親衛隊で、アトランティスの管理や運
行を任されていた。頭を下げた男は親衛隊の隊長である。
「レヴァストは?」
 メレアが隊長に尋ねる。
「一足先に地球にお戻りになられました。例の人物と会う予定です」
「そう。それにしても、彼女も変わっているよね。ハードスケジュールの中、わざわざ一人の女に
会う為に宇宙に上がるなんて」
 呆れたように話すメレアに、ノーフェイスが答える。
「宿敵と見込んだ者の顔を見たかったのでしょう。そして相手にも見て、知ってほしかった。自分
がまだ生きている事と、自分との闘いから逃れる事は出来ないのだという事を」
「ふうん。まあ、そういう気持ちは分かるよ。僕だって彼らには会いたかったからね」
 アトランティスの艦橋。艦長席に座ったメレアは正面モニターに目を移す。そこには爆発四散
するデュークの研究所が映し出されていた。
「たーまやー、ってね。あー、すっきりした。あの研究所にはあんまりいい思い出が無かったから
ね。息子に殺されかけたし」
「……申し訳ございません、メレア様。貴方を危険な目に合わせてしまって…」
「いいんだよ、ノーフェイス。あの時は君も忙しかったし、一人で行くと決めたのは僕だからね」
 メレアは微笑んでいた。そして、『あの時』の事を思い出す。部下に裏切られ、息子に殺されか
けた、忌まわしくも楽しい記憶を。



 銃声が鳴り響いた。
 それは、死を告げる死神の叫び。誰もその魔手から逃れる事は出来ない、はずだった。
 しかし、メレア・アルストルはその常識を覆した。引き金が引かれると同時に彼は動いた。その
動きは雷の如し。速く、鋭く、そして正確に動き、銃弾をかわし、手にしたナイフで裏切者どもの
臓腑を抉る。
「なっ……」
 デューク・アルストルが目の前で起きている事を現実だと認識するまで、十数秒。その間にメレ
アは十五人の裏切り者を血祭りに上げた。
「バ、バカな! こんな、こんな事が…」
 信じられなかった。メレアの親衛隊はいずれもコーディネイターで、軍隊並みの戦闘訓練を受
けている。その戦闘力の高さを見込んだからこそ、デュークは彼らを評価し、こちらに寝返らせた
のだ。それなのに……。
「人間の能力は、筋肉や神経、優秀な遺伝子だけで決まるものじゃない」
 呆気に取られている息子に、メレアは丁寧に説明する。
「そんなものより、もっと根本的なものがある。全ての能力の基盤であり、根源であり、人間が獣か
ら万物の霊長になった、最高の武器」
 そう言ってメレアは、自分の頭を指で叩いた。
「これこそが僕の切り札。『イオの輝き』にも勝る人類の至宝。二百年もの間、学び、鍛え続けてき
た事によって、この子供の肉体にさえコーディネイターをも上回る叡智と情報分析能力、そして
運動能力を与える事が出来る究極の脳。それが僕の脳なのさ」
 脳は、心臓と並ぶ肉体の最重要器官である。思考はもちろん、神経を伝って肉体の運動機能
を管理し、肉体が当人の思ったとおりに動かせるようにしてくれている。
 もちろん肉体機能の限界があるので、完璧に理想どおりに動かす事は出来ない。ろくにトレー
ニングをしていない者が100mの世界記録を出せるはずが無い。
 しかし、二百年間鍛え続けたメレアの脳は、常人のレベルをはるかに超えていた。彼の肉体は
『本当に思ったとおりに動かせる』のだ。それも完璧に。誰よりも速く動く事も、力を出す事も可
能。肉体への負担は軽減されないので、無理な動きをすればダメージは大きいが、その時は体
を入れ替えればいい。メレアはそうやって、今まで生き続けてきたのだ。
「記憶や人格のデータ移植なら、六十年前に完成している。なのになぜ僕はそれを使わず、貴
重な『イオの輝き』を使ってまで、脳移植を続けたと思う?」
 メレアの質問にデュークは答えない。軽くパニック状態になっているようだ。その様子を見たメ
レアは微笑み、
「ここを、脳を鍛える為さ。脳は人間が持つ無限にして最高の器官。これを投薬や細胞強化手術
などではたどり着けない領域にまでたどり着かせる為、僕は脳を生き永らえさせた。何でそんな
事をしてまで脳を鍛えたかって? グランドクロス・プロジェクトの為さ。僕はずーっとずーっと、ず
ーーーーっと昔から考えていた。全ての人類が幸せになる方法を。全ての人類が平和に生きら
れる方法を。それがグランドクロス・プロジェクト。僕が醜く生き続けているのは、この計画を完成
させる為!」
「あ……ああ……」
 父の威圧に押され、息子は何も言えなくなっていた。腰をへなへなと落とし、尻餅をついてい
る。無様な姿だ。
「息子よ。デューク・アルストルよ。僕を理解しようとせず、生まれ持った才能に自惚れ、僕を殺そ
うとした愚か者よ。君の罪は重い」
 メレアはデュークの側に立った。そして赤く冷たい眼で息子の顔を睨む。
「でも、君の今までの功績も忘れてはいない。グランドクロスを初めとする君が作ったMS『ガンダ
ムシリーズ』はどれも優秀だし、アンチSEEDという能力も発見してくれた。だから命だけは助け
てあげるよ」
「!?」
 メレアの言葉にデュークは驚いた。まさか助かるとは思わなかったからだ。しかし、続いてメレア
が下した判決は、デュークにとって死にも等しいものだった。
「その代わり、それ以外の全てを貰う。MSも、アンチSEEDのデータも、そして、君が今まで積
み重ねてきた記憶(じんせい)も全て貰うよ。君は生まれ変わるんだ。穢れ無き純粋な人間とし
て、いや、君が作ったガンダム達と同様、僕を楽しませる為の人形(オモチャ)としてね」
「あ……あ………うわああああああああああああ!!」
 絶叫。それがデューク・アルストルという愚かな天才の遺言だった。



『あの時のデュークの顔は傑作だったよ。絶望に満ちたあの表情は忘れられないなあ。ふふふ
ふふふふふふ……』
 アトランティスの艦長席に座るメレアは、過去を振り返り、心の中で笑った。楽しい回想をすま
せた後、メレアは再び正面モニターに眼を向ける。
 炎の華が宇宙に咲いていた。研究所が完全に吹き飛んだのだ。しかし、それは戦いの始まりを
告げる華でもあった。
 爆炎の中から数体の人影が飛び出してきた。サンライトにシュトゥルム、チェシャキャットにバン
ダースナッチ、そしてゴールドフレーム尊(ミコト)と撮影用ジン。
「エクシード・フォースは全員脱出したか。さすがたね。ノーフェイス、ゼノン達の方は?」
「レーダーがヘルサターンと三機のフォルツァの機影を捉えています。彼らも無事に脱出したよう
です。あと、研究所の監視カメラからの映像を確かめたのですが、ミナ・ハルヒノがヘルサターン
に搭乗しています。負傷した彼女をゼノンが保護し、機体に乗せたようです」
「それはそれは、面白いことになっているねえ。隊長、君達に頼んだ仕事はちゃんとやってくれ
た?」
「はい。ご命令のままに」
 親衛隊長の答えを聞いたメレアは、今まで以上に楽しそうな笑みを浮かべた。とても子供のも
のとは思えない程に醜い笑顔である。
「よーし、それじゃあ始めようか。グランドクロス・プロジェクトのメインイベント、デューク・アルスト
ル同士の殺し合いをね。ノーフェイス、ダン・ツルギに通信を送れ。『君達の仲間がまたゼノンに
捕まった。助けないのかい?』ってね。ああ、ヘルサターンの位置も教えてあげなよ。あいつらが
母艦に帰る前に追いついてもらわないと楽しめないからね」
「はっ」
 ノーフェイスは言われたとおりの通信を送る。メレアが望む決戦の時は、いよいよ間近に迫って
いた。



 ダン達は研究所が爆発する寸前まで、ミナを探していた。しかし、爆炎と無数の破片が彼らの
行く手を遮った。しかも崩壊のタイムリミットも迫っている。
「くっ……! 仕方が無い、全員、ここから脱出するぞ!」
「で、でもムウさん!」
「これは隊長命令だ! 一人の為に全員が死ぬ訳にはいかないだろう!」
 ムウにとっても苦渋の選択だった。唇を噛み締め、一行は乗ってきたMSに乗り、研究所を脱
出した。
 脱出した直後、研究所は大爆発した。
「ミナ……。くそっ! どうして、俺はまた!」
 サンライトの操縦席で、仲間を助けられなかった事を悔やむダン。俺はまた、大切な人を殺し
たのか! 同じ事を繰り返すのか!
「ダン……」
 一緒にサンライトに乗っているステファニーも辛かった。声をかけようとしたその時、ノーフェイ
スからの通信が入る。
「ミナが生きているだと!」
「ゼノンに捕まっているって、ダン、助けてあげないと!」
 ダンもステファニーも、ゼノンが冷酷で残忍な悪鬼だと思っている。その評価は間違いではな
いが、それだけの男ではないのも確かなのだ。しかし、二人はミナほどゼノンの事を知らなかっ
た。ミナの身を案じた二人は、ムウたちを置き去りにして、ヘルサターンの元へ向かった。
「お、おい! お前ら、どこへ行くんだ!」
 ムウの声は二人には届かない。サンライトは全速で宇宙を駆ける。



 ヘルサターンの操縦席には、ノーマルスーツを着たゼノンとミナが乗っていた。ミナは気絶し

ままだが、負傷した頭には白い包帯が巻かれている。ゼノンが手当てしたのだ。
「こちらゼノン・マドナルド。エド、コートニー、ルーヴェ、聞こえるか?」
 仲間に通信を送ろうとしたが、妨害電波が強くて、通信が繋がらない。
『Nジャマーの妨害電波か? この宙域にはそれほどの数のNジャマーが巻かれているとは訊い
ていないが……』
 ゼノンは困っていた。三従士と通信が繋がらない事ではない。ミナの事だ。持っていた簡易医
療セットで応急手当はしたが、危険な状態なのは変わらない。早く艦に収容して、きちんと手当
てしないと。
『私を助けた者を、私の目の前で死なせる訳にはいかん。絶対に!』
 何とか艦に帰ろうとしたゼノンだが、ヘルサターンのレーダーが急を告げる。
「MSだと? この反応は…サンライト!」
 宿敵の接近にゼノンは迷った。このまま戦うべきか、それとも……。



「いたな、ヘルサターン!」
 ヘルサターンを発見したダンは、気持ちが自然と高ぶるのを感じた。あのMSには『奴』が乗っ
ているのだ。ゼノン・マグナルド。何度も苦渋を味合わされた宿敵。かつての自分が作り出したも
う一人の自分。
「ダン、落ち着いて。まずはミナちゃんを助け出すのよ」
「あ、ああ、そうだな」
 ステファニーの言葉に、ダンは心を静める。そしてヘルサターンに通信を送る。通信機からは
一瞬だけ雑音が流れたが、すぐに繋がった。
「ゼノン・マグナルド、聞こえるか? こちらディプレクター、エクシード・フォース所属、ダン・ツル
ギだ。お前の元にいるミナ・ハルヒノをこちらに引き渡して…」
「……ふっ。つまらん嘘をつくな」
「?」
 ゼノンからの返事は、意味不明なものだった。ダンは首を傾げて、
「俺は嘘など言っていないぞ。それとも、お前の元にミナはいないのか?」
「いいや、お前は嘘を言っている。お前は『ダン・ツルギ』じゃない。デューク・アルストルだろ?」
「!」
「デューク・アルストル。妻を殺した男。実の息子を殺した男。父親を殺そうとした男。私の過去を
奪った男。関わる者全てを不幸にする男。お前がそうだよ、ダン・ツルギ。いや、デューク・アル
ストル。違うのか?」
 そのとおりだ。ダンには反論できない。しかし、認めたくない。自分がそんな最低の人間だとは
認めたくない。
 ダンの葛藤を無視して、ゼノンは更に語る。
「息子の名を騙り、父を裏切って手に入れた若い体で生き永らえている恥知らずめ。外道め。鬼
畜め。悪魔め。そのガンダムで次は誰を殺す? 私か? それとも、貴様の仲間か? キラ・ヤ
マト、オルガ・サブナック、ギアボルト、ミナ・ハルヒノ、ムウ・ラ・フラガ、ニコル・アマルフィ、それ
とも……今、貴様の隣にいる女か?」
「!」
 ステファニー・ケリオン。ダンがこの世で最も愛する女性。ダンの正体を知っても、彼を励まそう
としてくれた優しい女。
 この女を殺す? 誰が。俺が、ダン・ツルギがステファニーを殺す? あり得ない。でも、デュー
ク・アルストルなら? 殺す。奴なら自分の為に人を殺す。そういう男だ、奴は。そして俺もそうい
う男……?
「違う! 俺は、俺は違う!」
「ダン!? どうしたのよ、ちょっと落ち着いて…」
 ステファニーの声はダンには届かなかった。黒と金の瞳は異様なほどに血走り、彼の心は平
常心を失っていた。
「俺は、俺はダン・ツルギだ! デューク・アルストルなんかじゃない、俺は…!」
 必死に自分を保とうとするダンだったが、ゼノンの次の言葉が止めを刺した。
「自分を騙せない嘘をつくのはよせ。空しくなるぞ」
 それが開戦の合図だった。ダンはサンライトの操縦桿を強く握る。ダンの意志を受けたサンラ
イトは《シャイニング・エッジ》を手にし、ヘルサターンに襲い掛かった。




「サンライト、ダン・ツルギか」
 宿敵の接近にも、ゼノンは焦らなかった。自分と奴とは戦う宿命にある。だが、その前にやるべ
き事がある。
 ゼノンは、自分の腕の中で気絶しているミナに眼を向けた。自分を助けてくれたこの女を仲間
の所に返す。それがこの女の望みであり、この女を救う事になるはずだ。借りは返す。
『しかし、ここは妨害電波が強すぎる。遠距離の通信は届かないな。接触通信を使うしかないが
敵に近づくのは危険すぎる。だが、他に方法は……』
「ゼノン・マグナルドか?」
 悩むゼノンの耳に、いきなり声が飛び込んできた。ダン・ツルギの声だ。通信機を見ると、サン
ライトと回線がつながっている。妨害電波が弱まっているのか? だとしたら幸運だ。ゼノンはサ
ンライトからの通信に返事をする。
「そうだ、私はゼノン・マグナルドだ。お前の仲間をこちらで預かっている。引き渡すからこちらに
近づいてくれ。女はケガをしている。慎重に…」
「いらない」
「……何だと?」
 信じられない言葉にゼノンは絶句した。しかし、更に彼を驚かせる発言が続く。
「二度も敵に捕まるようなバカな女は俺には必要ない。貴様と一緒に殺してやる。ミナには、自分
の無能を呪え、と伝えておけ」
「貴様、本気で言っているのか? だとしたら失望したぞ、ダン・ツルギ。貴様はもう少しマシな人
間だと思っていたが…」
「ダン・ツルギ? ふっ、そんな人間はもういない。俺が殺したんだからな」
 その口調はダンのものではなかった。ゼノンの失われたはずの記憶の中に、ほんのわずかに
刻まれている男の口調に良く似ていた。誰よりも冷酷で、残虐で、非情で、嫌悪の対象だった男
の口調。
「貴様は、デューク・アルストルか!」
「ご名答。ようやく全てを思い出したよ。久しぶりだな、ゼノン。完成品気取りの試作品よ。束の間
の栄光の座は居心地のいいものだったろう? だが、お前の出番はここまでだ。ヘルサターンと
共に退場してもらうぞ。そして、お前の艦にある四つのパーツとサンライトの胴体を手に入れて、
グランドクロスを完成させる。そして私は全てを手に入れる。今度こそ、全てを!」
「ふん。過去の亡霊が誇大妄想を騙るな!」
「妄想などではない。グランドクロスは単なる機動兵器ではない。あれこそ人類の叡智の結晶で
あり、究極の力を秘めたMS。あれに乗る者は神、いや、神さえも超えた力を持つ、新たな世界
の創造主となるだろう」
「創造主だと?」
「そうだ。そしてお前とヘルサターンは、その為の生け贄だ。不思議に思わなかったのか? な
ぜお前のヘルサターンには他の五体と違って、グランドクロスのパーツが付いていないのか。な
ぜヘルサターンだけが他の五体とは別格の性能を誇るのか」
 その疑問はゼノンも抱いていた。しかし、気にする事は無いと無視していた。彼に必要なのは
ヘルサターンの強さだけ。作られた目的など気にする必要は無い、と思っていた。
 いや、もしかしたら、考えるのが怖かったのかもしれない。ヘルサターンの真実を知れば、自分
に与えられた役割も知ってしまうから。それはあまりにも空しい。
 しかし、ダン、いやデュークは冷酷な事実を告げる。
「お前は当て馬なんだよ、ゼノン。ヘルサターンもな。グランドクロスを育てる為の餌であり、引き
立て役なのさ」
 最高のMSであるグランドクロスを完成させる為には、最高の餌が必要だった。強い敵と戦う事
によって、グランドクロスは完全な力を手にする事が出来る。ヘルサターンはその為に作られ
た。そしてゼノンの役割もまた、同じものだった。
 名前も記憶も奪われ、偽りの名と記憶を与えられ、空しい夢を追い続ける模造品。それがゼノ
ン・マグナルドという男だった。
「哀れな試作品よ。お前の息の根は私が止めてやろう。それが、お前を作った者としての義務で
あり、せめてもの慈悲だからな」
 デューク・アルストルの言葉は、ゼノンの心を大きく揺さぶった。ダンがデュークだと知った時、
ある程度の覚悟はしていた。しかし、予想以上の衝撃がゼノンを襲った。
「ふっ……はははは、はははははははははは!」
 ゼノンは笑った。おかしかったからだ。自分が、抱いていた夢が、自分を創った者が、この世
界が、何もかもおかしかった。不愉快だった。その憤りはゼノンから冷静さを失わせ、彼を激昂さ
せた。
「当て馬か。このゼノン・マグナルドが当て馬だというのか。ならば問う、デューク・アルストルよ。
貴様は私を当て馬と呼べるほどの人間なのか?」
「当然だ。私はこの世界で最も強く、賢い男だからな」
 何という傲慢な答え。しかしゼノンは、デュークがそう答えると思っていた。確信していた。ゼノ
ンにはデュークの人格が植え付けられている。ゼノンとデュークは表裏一体の存在なのだ。
「ならば確かめてやる。貴様が私を超えるほどの男かどうか! 私を踏み台にするほどの人間な
のかどうかをな!」
 吠えるゼノン。それは彼の意地だった。戦士としての誇りだった。しかし、
「キャンキャン吠えるな。この実験動物め」
 デュークは絶対に言ってはならない事を言った。
 それが開戦の合図だった。ゼノンはヘルサターンの操縦桿を強く握。ゼノンの意志を受けた
ヘルサターンは《ヘル・ザ・リング》をサンライトに向けて放った。



 激突するサンライトとヘルサターン。《ヘル・ザ・リング》を避けたサンライトがヘルサターンに接
近し、《シャイニング・エッジ》を振りかざす。しかしヘルサターンはこれをかわし、左腕のシールド
からビームサーベルを放出。サンライトに切りかかる。迎え撃つサンライト。《シャイニング・エッ
ジ》とビームサーベルの高熱の刃が激突、強烈な閃光が宇宙の闇を照らす。
 アトランティスのモニターにも、この戦いの様子は映し出されていた。二機の激突を見たメレア
は、腹の底から笑っていた。
「あはははははははははは! いやあ、こうも簡単に引っかかってくれるとはねえ。単純な奴ら
には単純な策が効くって事か。愉快、愉快。ははははははは!」
 全てはメレアの思惑どおり。デュークの研究所に来たダン達を長話でひきつけている間に、親
衛隊にサンライトとヘルサターンの通信機に特殊な機械を仕込ませる。そして、味方との通信が
出来ない程に妨害電波が激しくした宙域で、ニセの会話を行なわせて、二人を戦わせる。単純
だが、それ故に失敗の可能性が少ない作戦だった。
「どうだい、ノーフェイス? あの二人は今、最高のテンションで戦っている。一進一退の素晴らし
い攻防だ。これならグランドクロス完成の為のデータ収集も大いに捗るだろう。計画は進む、あい
つらは殺し合う、そして僕は大いに楽しめる。一石三鳥、いや、もしかしたらもっと行くかも? あ
ー、楽しい。あはははははは!」
 破顔一色の主に比べて、ノーフェイスはあまり嬉しそうではなかった。仮面に隠されたその顔
からは感情は読み取れないが、雰囲気は重い。
「メレア様のお望みどおりとはいえ、やはり私はこういうやり方は好きにはなれません。メレア様に
反逆したデューク・アルストルも、そのコピーであるゼノン・マグナルドも死すべき人間だと思いま
すが、嘘をついて戦わせるとは、あまりにも……」
「はっきり言うねえ。ま、君のそういうところが好きなんだけどね」
 部下の換言に、メレアは苦笑して答える。
「でも、そんなに間違った事は言ってないだろ。ゼノンとヘルサターンが当て馬なのは事実だし」
「ですが……」
「ここまで来たら四の五の言わず、黙って見届けてあげなよ。ガンダム達の戦い、デューク・アル
ストルの遺産同士の殺し合いをさ。でも、二人とも女連れとはね。女をゴミ同然に扱っていたデュ
ークの遺産にしては意外な展開だな。ま、別にいいけど」
 メレアの言うとおり、デューク・アルストルという男は、女という存在をまったく尊敬していなかっ
た。むしろ軽蔑していた。子供を作れる程度の事を誇り、男より優位に立とうとするバカな生物だ
と。
 そのデューク・アルストルの体と心を受け継ぐ者達が、女性を連れて戦っている。しかも体を受
け継ぐ者の方は、その女を愛している。
『デューク・アルストルならば絶対に考えられない事だ。ダン・ツルギ、彼はデューク・アルストル
であって、そうではないのか? だとしたら、彼は一体…?』
 戸惑うノーフェイス。その答えは実に単純なものだったのだが、彼がその答えを知るのは、もう
少し後の話である。



 ダンに置き去りにされたムウ達は、一旦ドミニオンに帰還した。そしてドミニオンのレーダーで
ダンとステファニーが乗るサンライトを探索したのだが、
「駄目です。妨害電波が強すぎて、レーダーが使い物になりません!」
 ミリアリアが悲鳴のような声で告げる。もう一人のオペレーターであるラユルも同じ意見だった。
サンライトからの通信も無いし、こちらからの通信も届かない。
「クソッ! 何とかして見つけ出さないと……」
 ミナに続いて、あの二人まで失う訳にはいかない。苛立つムウだが、今の彼らにはどうする事も
出来なかった。ドミニオンを全速で飛ばし、目視と映像による探索。そして、二人の無事と帰還を
信じる事。それだけが彼らの出来る事だった。



「うおおおおおおおおおっ!」
 サンライトの剣が凄まじい勢いで振り下ろされる。ヘルサターンはそれをかわし、《ディカスティ
ス・ビームライフル》を正射。しかしサンライトはアンチビームバックラーでこれを防ぎ、再び切りか
かる。
『速い!』
 ゼノンがそう思った次の瞬間、サンライトの《シャイニング・エッジ》が振り下ろされた。ヘルサタ
ーン本体はかわす事が出来たが、わずかに反応が遅れた為、《ディカスティス・ビームライフル》
は真っ二つにされてしまった。
「ちっ、やってくれる! ならば!」
 ヘルサターンは盾の後に装備された四つの《キリング・リング》を放つ。先に放った《ヘル・ザ・リ
ング》と合わせて五つの刃がサンライトに襲い掛かる。
 しかし、サンライトの動きはゼノンの予想を超えるほどに速かった。全ての刃をかわし、再びヘ
ルサターンに接近。《シャイニング・エッジ》で切り裂こうとする。
「おおおおおおおおっ! ゼノン・マグナルド、そしてヘルサターンガンダム! 俺は貴様たち

倒す! 絶対に!」
 ダンの心は怒りと苛立ちで占められていた。自分がデューク・アルストルという最低の男だった
という事実に打ちのめされ、自分に作られたという者に罵倒された事が彼の心から冷静さを失わ
せていた。高ぶった心は強い力を生み、あのゼノンさえ圧倒している。
 しかし、それは危険な力だ。感情に任せたまま戦う事は、自らの破滅を呼ぶ。その事を知って
いるステファニーは、必死になってダンに呼びかける。
「ダン、落ち着いて! あんなくだらない挑発に乗らないで! あなたは、あなたはそんな弱い人
じゃないはずよ! それにヘルサターンには…」
「うるさい!」
 ダンはステファニーの声を無視した。殺したいから。今、目の前にいるこの強敵を、ゼノン・マグ
ナルドを殺したいから。ガンダムを、自分が作ってしまった凶器を葬りたいから。
 一方、ゼノンもダンを殺したかった。ダンは仲間を見捨てた。殺そうとしている。ゼノンも悪党だ
が、仲間を見捨てるような事だけは絶対にやらない。悪党のルールさえ踏みにじった男、ダン・
ツルギ。いや、デューク・アルストル。絶対に許せない。しかし、
『この男、強い!』
 《ディカスティス・ビームライフル》は破壊され、《ヘル・ザ・リング》も《キリング・リング》も悉くかわ
されている。距離を取っての戦いでサンライトを倒すのは無理だ。だが、接近戦は《シャイニン
グ・エッジ》を持つサンライトの方が有利。ビームも実弾も防ぐヘルサターン自慢のナノマシンに
よる防御シールドも、あの超高熱の刃だけは防げない。
『どうする? どうすれば奴に勝てる? どうすれば……』
 考え込むゼノン。その間にもサンライトの活躍は続く。《キリング・リング》を次々と切り落として、
《ヘル・ザ・リング》が放つビームも全てかわしている。
 ダンは強い。しかし、今のゼノンも普通の状態では無い。自分の全てが偽りだと知り、心は大い
に乱れている。その為、《ヘル・ザ・リング》のコントロールに集中出来ず、いつもの力の半分も出
せていない。
『くっ、情けない……。たかがこの程度の事で心を乱すとは!』
 そう自戒するゼノンだが、乱れない方がおかしいだろう。過去も、理想も、能力も、思考も、全て
は紛い物だった。自分のものだと思っていたものは全て、他人から与えられたものだった。そう
知らされて平静でいられる人間などいない。
 ダンも似たようなものだ。あまりにも罪深い過去を知った彼は、過去の象徴であるゼノンを葬る
為に死力を尽くしている。その意志がダンを強くしている。
 一方のゼノンは、過去に縛られていたダンを『愚か者』と言った。確かにダンは愚かだ。だが、
自分はどうだ? 他人から与えられた過去を真実だと思い、他人の人格で考え、生きてきた。世
界の王になるという野望も、全てデューク・アルストルの人格から生み出されたもの。メレアの言う
とおり、ゼノンには何も無い。過去も、本当の名前も、自分自身さえも。
『それでも、それでも私は奴に勝たなければならない。何としても!』
 そのとおりだ。だが、なぜ勝たなければならない? 私はなぜ、奴に勝ちたいのだ?
 自分が生きる為。
 デューク・アルストルが嫌いだから。
 奴が許せないから。
 運命を弄ばれた者の意地。
 いずれの理由も正しい。だが、何か忘れている。大切な何かを忘れている。
「う……あ……」
 その時、気を失っているミナが、かすかに声を上げた。見ると、ミナの頭に巻かれている包帯
が赤く染まっている。傷口が開いたのだ。
『いかん、このままでは!』
 ミナはコーディネイターだ。ナチュラルよりは体力があるし、治癒能力も高い。それでも、これ
以上の出血は命に関わるかもしれない。一刻も早く、艦に戻って、手当てをしなければ……。
 だが、ヘルサターンの行く手には奴がいる。サンライトガンダム。ダン・ツルギ。いや、デュー
ク・アルストル。四つの《キリング・リング》は全て切り落とされ、《ヘル・ザ・リング》も傷を受けてい
る。
「くっ……」
 駄目だ。このままでは勝てない。
『勝てない……だと? では、この女はどうなる。私を助けてくれたこの女はどうなるのだ?』
 死ぬ。
 自分が敗れれば、ヘルサターンも破壊される。そうなればこの女も死ぬ。殺される。奴に、デュ
ーク・アルストルに殺される。かつての自分のように。
「!」
 そう思った時、ゼノンの心に不思議な感情が沸きあがった。怒り、ではない。微妙に違う。心は
激しく燃えているのに、頭の中は自分でも驚くほどに冷静だった。
『何だ、この感覚は? アンチSEEDの力か?』
 それも違う。これはアンチSEEDの力ではない。湧き上がってくるのは肉体的な力ではなく、
精神的な力。
 ゼノンはもう一度、ミナの顔を見た。
 決して美人ではない。頭も良い訳ではない。ルーヴェの話では一流の整備士らしいが、この女
より優れた整備士は大勢いるだろう。
 では、平凡な女かといえば、そうではない。敵の艦に乗り込み、敵軍のボスである自分に対し
て堂々と意見する。そして敵であるはずの自分を、身を挺して助けてくれた。こんな事、普通の
女に、いや人間に出来る事ではない。
『…………助けたい』
 ゼノンは、ごく自然にそう思った。それは彼が知る限り、生まれて初めて感じた感情。それはデ
ューク・アルストルの人格からは決して生まれないはずの感情。
『助けたい。この女を。いや、必ず助けてみせる。私の命を救ってくれた、この女を!』
 そう決意したゼノンの眼前で、ついに《ヘル・ザ・リング》が《シャイニング・エッジ》によって両断
された。最強の武器を失ったゼノンだが、不思議と落ち着いていた。
 一方、ダンの心は高ぶったままだった。
「う、ああ、うわああああああああ!」
 《ヘル・ザ・リング》という難敵を倒し、残るはヘルサターンのみ。あいつさえ倒せば全て終わる
のだ。あいつさえ倒せば!
「ダン、待って! やめて、お願いだから!」
 ステファニーは何度も呼びかけ、ダンの手を操縦桿から放そうとした。しかし、ダンの手は決し
て離れなかったし、ステファニーの声も届かなかった。
 今のダンの心は、ヘルサターンを、ゼノンを倒す事。それだけしか考えていなかった。
「これで……終わりだあああああああああっ!」
 《シャイニング・エッジ》が今まで以上に光り輝く。その光は、遥か彼方にいたドミニオンも目撃
し、ダン達の元に急行する。しかし、彼らが来る前に勝負は終わった。
「うおおおおおおおおおっ!」
 エネルギー全開! 腹部の《サンバスク》が生み出す無限の電力がサンライトを無敵の太陽神
にする。一気に加速し、ヘルサターンの懐に飛び込む。
 ヘルサターンも左腕の盾からツインビームソードを放出する。しかし、その威力は《シャイニン
グ・エッジ》には及ばない。勝負あり、だ。あとは止めを刺すのみ!
「死ね、ゼノン・マグナルド!」
 ヘルサターンの胴体を両断しようとするダン。しかし、
「やめて、ダン! あのMSにはミナちゃんが乗っているのよ!」
「!」
 ステファニーの必死の叫びが、ようやくダンの耳に届いた。勝利を確信し、高ぶっていた心が
一気に冷める。
 その隙を、ゼノンは逃さなかった。
「ふん!」
 一閃! ツインビームソードの刃が《シャイニング・エッジ》と衝突する。
 《シャイニング・エッジ》は世紀の名工、カイン・メドッソの最後にして最高の作品である。刃の切
れ味、そして強度、共に通常の刀を大きく上回っている。しかし、まったく傷がつかない刀など存
在しない。だからカインは《シャイニング・エッジ》専用の修復装置《エッジ・リノペーター》を作り、
それを《シャイニング・エッジ》の鞘とした。《シャイニング・エッジ》が無敵の刃たりえたのは、この
鞘が目に見えない傷まで修復してくれていたからだ。
 しかし、《エッジ・リノペーター》はサンダービーナスとの戦いで失われた。そして今回の激戦。
今まで以上の熱を発し、ヘルサターンの武器を悉く切り裂いた刃は、もう限界に達していたの
だ。
 だから、
「なっ!?」
 この結果は必然だった。
 サンライトガンダムの最強武器《シャイニング・エッジ》は、ヘルサターンのツインビームソードに
よって見事に両断された。
 信じられない光景に呆然とするダン。そこへヘルサターンの追撃。ツインビームソードがサンラ
イトの頭部を貫いた!
「うわあっ!」
「きゃあ!」
 サンライトの頭部は爆発し、操縦席の計器も一部吹き飛んだ。カメラアイを失ったサンライトの
操縦席のモニターは、闇に閉ざされてしまった。
 ダン達は確認できなかったが、ヘルサターンは止めの一撃を刺そうとしていた。ツインビームソ
ードの刃先をサンライトの胴体に向ける。
「くっ!」
 危機を感じ取り、いち早く動いたのはダンではなく、ステファニーだった。彼女は緊急脱出用
のスイッチを押し、コアファイター《ハート・トゥ・ハート》をサンライトから分離させた。
「はあ、はあ、はあ……ダン?」
 ひとまずの危機を脱したステファニーは、ようやくダンの異変に気が付いた。彼の眼は虚空に
向けられており、ただ呆然としている。
「ダン? どうしたのよ、ダン!」
 何度ステファニーに呼ばれても、ダンは応じなかった。そして、一筋の涙を流して、
「…………ごめんなさい」
 そう言って、ダンは意識を失った。



「ゲーム終了か。まさかゼノンが勝つとは、意外だなあ」
 アトランティスの艦橋。戦いを見終わったメレアは満足気な表情を浮かべていた。
「メレア様はゼノンが敗北すると思っていたのですか?」
 ノーフェイスの質問にメレアは頷き、
「ゼノンはダンの、いやデュークのコピーみたいなものだからね。コピーがオリジナルを超えるな
んて想像してなかったよ。でも、これはこれで面白かったな」
 そう言って、メレアは部下たちに指示を出す。
「ゼノンに落とされる前にハート・トゥ・ハートを回収しろ。あれはグランドクロスの要となる大切な物
だからね。それからゼノンには、サンライトの胴体を含めた五つのパーツを持って、僕の城にま
で来るように伝えてくれ。そこで君にゲームの勝者としての証を渡す、とね」
 ノーフェイスと親衛隊は、言われたとおりの事を行なった。
「ふふふふふふ……。さあて、それじゃあ始めようか。世界に永遠の平和をもたらすMS、ガンダ
ム誕生の神話をね!」
 メレア・アルストルのゲームは終わった。だが、戦いはまだ終わらない。



 ドミニオンが戦場に到着した時、全ては終わっていた。
 そこにはもう、ハート・トゥ・ハートもヘルサターンもいなかった。あるのは胴体から切り落とされ
たサンライトの、いや、正確にはネオストライク3号機の手足のみ。ヘルサターンに折られた《シャ
イニング・エッジ》の刃も消えていた。
 その後、プラント支部に戻ったムウは今回の事件に関する報告書を製作。その最後に、こう書
いた。
『……この戦闘によって、以下の人物が消息不明となる。エクシード・フォース第二部隊隊長ム
ウ・ラ・フラガは、以下の三名をM・I・Aと認定する。
 ダン・ツルギ(本名デューク・アルストル)
 ステファニー・ケリオン
 ミナ・ハルヒノ』



 メレア達と別れ、地球に降りたレヴァストは、ある人物と会っていた。
 その男は地下シェルターの中で、多数のモニターを前に、豪華な椅子に座っていた。レヴァス
トが部屋に入ると、男は椅子から立ち上がり、レヴァストの顔を見る。
「ようこそ、レヴァスト・キルナイト殿。かの有名な『独眼竜』にお会いできるとは光栄ですな」
「こらちこそ、お目にかかれて嬉しいですわ。ブルーコスモス盟主、ロード・ジブリール殿」
 レヴァストとジブリール。今日、二人はそれぞれが所属する組織の代表として、この場に居合わ
せていた。
「……以上がこちらからの申し出です。この条件を飲んでくださるのなら、我々の組織は貴方達
に協力します」
 レヴァストが示した条件は、資金の提供や、サードユニオンの関連企業へのテロ活動の停止な
ど、他愛ないものだった。ジブリールは大きく頷き、
「分かりました。お受けしましょう。私はコーディネイターは嫌いだが、あなたのような物分りのい
い方は別です」
「私は上の意志を伝えただけです。それから、私は今後は貴方達に協力するようにとも承ってい
ますが……」
「ええ、お願いしますよ。地球軍はコーディネイターには居心地のいい場所ではありませんが、し
かるべき地位をお約束します。存分に戦ってください。我々のより良き未来の為に、そして…」
「青き清浄なる世界の為に、ですね?」
 皮肉を込めて言うレヴァスト。この返答には、さすがのジブリールも苦笑するしかなかった。
 コズミック・イラ73、9月25日。この日、サードユニオンとブルーコスモス及びロゴスは、長きに
渡る抗争を終結。極秘裏に手を組んだ。世界を戦乱の渦の中に落とす為に。

(2005・6/10掲載)

次回予告
 人はなぜ戦うのか。
 自分を守る為。他人を守る為。世界を守る為。
 自分を壊す為。他人を殺す為。世界を手に入れる為。
 希望と野望、友愛と憎悪、善意と悪意。
 入り乱れる思いは新たな戦いと、新たな敵を呼ぶ。

 次回、機動戦士ガンダムSEED鏡伝2、絶哀の破壊神、
 「善悪の天秤」
 戦争の狂気、打ち砕け、インパルス。

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