第29章
 デューク・アルストル

「間に合った……」
 ネオストライクの操縦席の中で、キラはホッと一息ついた。
 ディプレクター北米支部が大西洋連邦によって制圧される直前、キラ達の元に特殊な周波数
による通信が入った。通信の周波数はトリニティ・プロジェクトの中心にいた者たちだけが知って
いるもので、送り主はマリュー・ラミアスだった。
 彼女は自分達が地球軍に追われている身である事と、地球軍が北米支部を武力制圧しようと
している事を伝えた。それを受けたキラ達は、直ちに行動する。本部が敵勢力に襲われた時の
為に作っておいた地下の避難通路を使って、ネオストライクなどのMSや物資を潜水艇に詰め
込む。そして主だったメンバーと共に潜水艇でニューヨーク沖に脱出。深海に潜んでいたアーク
エンジェルと合流した。北米支部が制圧される一時間前の出来事だった。
 マリューとの再会を喜ぶ間もなく、キラ達はアークエンジェルをオーブに向かわせた。通信は
地球軍に探知される危険がある為、使用できない。地球軍に見つからないよう、慎重に進んでき
たのだ。
 そして三十分ほど前。オーブの領海内にたどり着いたキラ達は、オーブ軍の通信を傍受し、プ
リンシパリティと地球軍が戦闘を行なっている事を知った。キラはネオストライクで先行し、プリン
シパリティの危機を救ったのだ。
「こちらディプレクター北米支部長、キラ・ヤマト。プリンシパリティの皆さん、無事ですか?」
 キラからの通信を受けて、プリンシパリティの艦橋は活気付く。
「キラ……」
 ラクスは感激のあまり、涙目になっていた。愛しい人が駆けつけ、自分を助けてくれた。これ以
上の喜びは無い。
 ピエルトとナタルも笑みを浮かべている。
「さすがは『閃光の勇者』。見事なタイミングですな。命拾いしましたよ」
「そうだな。まったく、大した少年だよ。……いや、『少年』と呼ぶのは失礼だな。彼はもう一人前
の戦士、立派な男だ」
 キラの通信はプリンシパリティだけでなく、味方のMSにも伝わっていた。ネフィロスの脅威の前
に沈みかけていた士気が一気に向上する。
「やれやれ。相変わらず美味しい場面で登場するねえ、少年」
 専用のムラサメに乗るバルトフェルドは苦笑し、
「ちっ。バジルール艦長を救ってくれた事には礼を言うけどよ、カッコ良過ぎなんだよ、テメエは」
 ジャバウォックのオルガは複雑な気持ちになる。
「キラ、やっぱり無事だったか!」
 タケミカヅチのカガリは弟が無事だった事を喜び、
「キラ……」
 アスランも親友の無事と、この窮地に駆けつけてきてくれた事に笑みを浮かべた。
 そしてミネルバの面々もキラの参戦に士気を上げていた。キラの力は、ブレイク・ザ・ワールド事
件の際に見知っている。一機だけとはいえ、心強い援軍だ。
「艦長、最強の助っ人が来てくれましたよ! これで一気に形勢逆転、あのバケモノどもも倒せま
すよ!」
 沸き立つアーサーの隣で、タリアは小声で呟いた。
「『閃光の勇者』キラ・ヤマト。地球に戻っていたとはね……。私達にとっては幸運だけど、でも、
ザフトにとってはどうなのかしら?」
 ディプレクターはザフトにとって敵勢力ではないが、味方でもない。今は目的が一緒なので共
闘しているが、戦争が始まった以上、いつ敵になってもおかしくない関係だ。地球上におけるデ
ィプレクターの戦力強化はザフトの軍事行動の妨げになるかもしれない。
『……今はそんな事を考えていられる状況じゃないわね。敵を倒す事に専念しましょう』
 タリアの言うとおり、状況は決して明るいものではない。巨大鋏《バルタン》を失ったとはいえネ
フィロスは健在だし、その護衛役であるザムザザーも一機残っている。地球連合軍も退く様子は
無く、多数のダガーLやウィンダムで攻撃してくる。
 敵の動きを見たバルトフェルドは、直ちに指示を出す。
「キラ、アスラン、ザコは俺達に任せろ。お前達はあのデカブツを! 厄介な相手だが頼む!」
「分かりました!」
「了解!」
 困難な任務だが、キラとアスランは引き受けた。
「待った! 俺にも手伝わせてくれ!」
 ブラストインパルスに乗るシンが呼びかけてきた。
「あんた達が凄腕なのは知っている。でも、あんなバケモノ共を相手に二人だけで戦うなんて無
茶だ。俺もあんた達と一緒に戦わせてくれ!」
 シンの通信を聞いたルナマリアとレイは驚いた。シンは過去の出来事から、キラやアスラン、オ
ーブ軍やディプレクターに対して複雑な感情を抱いている。それが緊急事態とはいえ、自分から
協力しようとするとは。
「あの子、ちょっと変わったわね。キラさんやダンのせいかな?」
「かもしれんな。兵士としては、あまりいい事ではないがな」
 ルナマリアの評価に、レイは複雑な表情を浮かべた。友としてはシンの成長は嬉しい。だが、
ザフトの一員としては……。
 そんなレイの気持ちを知らないシンは、キラ、アスランと合流。三機のMSはネフィロスとザムザ
ザーに挑む。
 ザムザザーがネフィロスを庇うように立ちはだかる。そして前足の複列位相エネルギー砲《ガム
ザートフ》を連射。ネオストライクコンビとブラストインパルスを落とそうとするが、三機はあっさりと
これをかわした。
「お前達のような機械人形なんかに…」
「落とされて…」
「たまるかああああっ!」
 アスラン、キラ、そしてシンのSEEDが同時に弾ける。
「これでもくらえ!」
 ブラストインバルスが《ケルベロス高エネルギー長距離ビーム砲》を放つ。ザムザザーは陽電
子リフレクターでビームを防ぐが、その隙に、
「アスラン!」
「ああ、任せろ!」
 ザムザザーの左側からは【キリサメ】を装備したキラのネオストライクが、右側からは左腕に【ザン
バ】を装備したアスランのネオストライクが接近。【キリサメ】のビームクローと【ザンバ】のビームサ
ーベルが、ザムザザーの胴体を一瞬で両断した。爆発するザムザザー。
 この様子を見ていたコズミックウルフ隊の面々は、キラ達の完璧な攻撃に見惚れていた。
「す、凄い……。あのカニモドキを一瞬で……」
「さすがと言えばさすがだけど、本当に凄いわ」
 ルミナとクリスの言葉に、ジェットも頷く。
「ああ、あの二人、本当に凄いな。張り合おうっていう気持ちさえ無くなるぜ」
 とジェットは正直に言った。
 彼は心の中でアスランをライバル視していたが、敵はあまりに強く、遠い存在だった。
「あら、あんたアスラン様と張り合うつもりだったの? うわ、何て身の程知らずな奴。あーあ、こん
なおバカさんが幼馴染だなんて、私って運の無い女ね」
「……ふん。お前に無いのは運だけじゃないだろ。女らしさとか優しさとか、無いものが多すぎる
んだよ、お前は」
「な、何ですって!」
「あーあ、また始まった……。二人とも、今は戦闘中なのよ。ケンカするのは戦いが終わってから
にしなさい」
 ルミナはため息を付く。ジェットの気持ちがカノンに届く日は遠いようだ。
 コズミックウルフ隊がケンカしながらも敵機を叩き落している一方、キラ達三人は巨大なネフィ
ロスと対峙していた。ザムザザーという『盾』を無くしても、ネフイロスそのものの攻撃力は落ちて
いない。恐怖を知らぬ機械仕掛けのモンスターが、キラ達に迫る。
 鉄球《ゴモラ》と二振りの有線式ビームサーベル≪ビオランテ≫による同時攻撃。腕から放た
れた三つの武器が、キラ達三人をそれぞれ襲う。
「くっ!」
 キラのネオストライクには《ゴモラ》が、
「速い…!」
 アスランのネオストライクとシンのブラストインパルスには、二振りの《ビオランテ》が襲い掛かる。
しかし、
「けど、こんなのに当たってたまるか!」
 シンの言うとおり、三人は攻撃をかわす。AMSシステムで動いているネフィロスの攻撃は正確
無比だったが、SEEDを覚醒させた三人には通じない。むしろ正確すぎて読み易い。
 格闘戦では埒が明かない、と判断したのか、ネフィロスは尾の各所に着いているエネルギー単
装砲《ガイガン》で攻撃。しかし、これも当たらない。
 ネフィロスのコンピューターは混乱していた。攻撃がまったく当たらない。なぜだ? 敵がコー
ディネイターだからか。否。あの三機の動きはコーディネイターのレベルさえ超えている。落とせ
ない理由は簡単。相手が強いからだ。自分よりも強いからだ。
 そう判断してもネフィロスは退かなかった。この機械が考えている事、いや、考えられる事は、
与えられた任務を達成する事のみ。だから最後の切り札を使う。腹部の720o複列相位エネル
ギー砲《イリス》。小さな町を消滅させるほどの威力を持つ、ネフィロス最強の火器だ。
 ネフィロスは《イリス》の照準を、遠方で戦っているプリンシパリティに合わせた。プリンシパリテ
ィの隣にはタケミカヅチもいる。一緒に破壊する事が可能だ。ネフィロスの目的はディプレクタ
ー、ザフト、オーブ軍の殲滅。キラ達を落とす事は不可能だが、旗艦を落とせば敵の戦力は大き
く減退する。ネフィロスのコンピューターはそう判断し、最強の一撃を放とうとした。
 だが、それは軽率な行動だった。
「! こいつ、艦を狙っているのか!?」
 キラの心がざわめく。プリンシパリティとタケミカヅチには、彼の大切な人が乗っているのだ。
 アスランも焦る。そして、怒る。
「させるか! シン!」
「分かってる!」
 アスランのネオストライクとシンのブラストインパルスは、同時にネフィロスに向かって飛ぶ。砲
撃体勢を取っていたネフィロスは隙だらけで、二機の接近を容易に許してしまった。ネオストライ
クは【ザンバ】のビームサーベルを最大出力で放出してネフィロスの右側に、インパルスはビー
ムジャベリンを取り出して左側に行く。そして、
「はあああああっ!」
「でやああああああっ!」
 ネオストライクは巨大ビームサーヘルでネフィロスの右腕二本を切断。インパルスもビームジャ
ベリンでネフィロスの残された左腕を切り落とした。四本の腕全てを失ったネフィロスは体勢を大
きく崩す。そこへ止めの一撃!
「死なせたくないから、カガリも、ラクスも死なせたくないから、僕は…!」
 キラのネオストライクが疾風の如く飛ぶ。ネフィロスはミサイルとビームを放つが、ネオストライク
の左腕の【キリサメ】から発せられたビームシールドによって全て防がれた。
 ネオストライクはネフィロスの懐に飛び込むと、右腕に装備された【キリサメ】から巨大なビーム
クローを放出。ビームクローはネフィロスの頭頂部から胴体、腹部の《イリス》まで一気に振り下ろ
され、ネフィロスの巨体を切り裂いた。
 巨大な傷を付けられたネフィロスは、数秒後に大爆発。大海の屑と消えた。
 キラとアスラン、そしてシンの完全勝利だった。彼らの勝利を見たカガリは、
「やっ……やった! やったぞ、あいつら、やってくれたぞ! トダカ艦長、キラが、アスランが勝
ったぞ!」
 と我が事のように喜び、プリンシパリティのラクスは、
「キラ、アスラン……。信じていました、あなた達の勝利を」
 と静かに喜ぶ。
 ザフト軍のミネルバもこの勝利に沸き立っていた。アーサーは戦闘中とは思えない程にはしゃ
ぎ、メイリンらブリッジクルーも笑顔を浮かべる。ただ一人、タリアだけは重い表情をしていた。
『シンのあの力……。まさかあの人は、これを予想していたのかしら?』
 タリアは宇宙にいる、彼女のかつての恋人の顔を思い出した。
 キラ達の勝利を喜ぶディプレクターらとは正反対に、地球軍の士気は急降下していた。扱いが
難しいとはいえ、ネフィロスとザムザザーの戦闘力は強大なものだった。それがたった三機のM
Sによって全滅させられるとは……。
 真っ青な顔になった艦隊司令の元に、帰艦したネオがやって来た。
「司令、ここは退くべきだと思いますよ。こっちは最強の手札を失い、他の機体の被害もバカにな
らない。これ以上戦っても勝ち目はありませんよ」
「バ、バカな! ネフィロスまで失って、退ける訳ないだろう! 数ではまだこちらの方が上だ。何
としても奴らを落とす! 奴らを落とさなければ、わ、私は…」
 ここで退いたら、この司令は責任を問われ、良くて降格。最悪でクビか銃殺だろう。何とか敵を
倒そうという気持ちは分かる。しかし、
「し、司令、北東より新たな敵艦が接近しています! 機種を照合……あ、アークエンジェルで
す!」
 通信兵のその報告は、兵士達の士気を完全に喪失させた。目の前の敵にさえ苦戦しているの
に、この上、不沈艦と謳われたあの艦が加わっては……。
「司令。これ以上の被害を出せば、本当に銃殺刑ですよ。一軍の将には退く勇気も大切だと思
いますが」
 ネオのその言葉が止めとなった。司令は全軍に撤退を命令。大西洋連邦の艦隊は、全速でこ
の海域を後にした。
 この撤退はディプレクター側にとっても幸運だった。彼らの損傷も小さなものではなかった。パ
イロットの体力も限界に近く、あのまま戦っていたら負けはしなかったかもしれないが、大きな被
害を出していただろう。
『やれやれ。これでステラを助けてもらった借りは返せたかな?』
 ネオは心の中で呟いた。これで次は何の気兼ねもなく戦える。そして、次こそ必ず…!



 キラ達がオーブを脱出する少し前。その通信は、突然送られてきた。
 通信が送られた場所は二ヶ所。ディプレクター・プラント支部の中央司令室と、テンクウの艦
橋。それぞれの巨大モニターに銀色の仮面を被った男の姿が映し出された。ノーフェイスだ。
「ダン・ツルギ。そしてゼノン・マグナルド。過酷なる死闘を生き残った二人の戦士たちよ。お待
たせいたしました。いよいよ最後の戦いの始まりです。我が主、メレア・アルストル様の眼前で存
分に戦ってもらいます。決戦場は9740−6584−2291−7752。この数字が指し示す場所で
す。では、お待ちしております」
 メッセージを伝え終えたノーフェイスが一礼すると、通信は切られた。
 ノーフェイスが言った数字の意味は何なのか? ガーネットの留守を預かるムウは、ディプレク
ターの暗号解読班に分析させようとしたが、ダンに止められた。
「その必要は無い。俺にはあの数字の意味が分かる。恐らくゼノンもな」
 場所が分かるのなら、あとはその場所に行くだけだ。しかしハルヒノ・ファクトリーがルーヴェに
奪われた為、ダン達エクシード・フォースは宇宙船を持っていない。ムウは月支部にいるガーネ
ットに通信を繋ぎ、プラント支部の宇宙船を貸してくれるように頼む。ガーネットの返事は、
「ダメ。プラント支部が所有している宇宙船は、プラント支部の貴重な戦力なの。いくらあなた達で
も、そう気軽に貸す事は出来ないわ」
 と、つれないものだった。ガッカリするムウ達に、ガーネットはニッコリ微笑んで、
「『貸す』んじゃなくて、『あげる』のならOKよ。この前、書類手続きを終えたばかりのいい艦があ
るわ。それを使いなさい」
 と言った。
「ガーネットさん、ちょっと意地悪ですね」
 恋人のニコルにそう言われ、ガーネットは苦笑した。月での交渉が上手くいっていない為、スト
レス解消にこちらをからかったらしい。迷惑な話だ。ガーネットらしいと言えばらしいが。
 ガーネットの言った宇宙船は、プラント支部の外れにある倉庫の中にあった。黒く染められた
その船体は、ムウやニコルなど、前大戦の経験者にとって、懐かしい姿だった。
「ドミニオンか。ったく、ウェールズ中将も人が悪い。俺たちに黙って、こんな物を宇宙に運び込
んでいたとはな」
 苦笑するムウ。自分の上司の抜け目の無さに感心し、改めて彼を尊敬する。
 アークエンジェル級二番艦ドミニオン。名前のとおりアークエンジェルの同型艦で、兵装ならび
に性能はアークエンジェルと全く同じ。先の大戦で地球軍を離反したアークエンジェルを追撃、
殲滅する為に投入された。ナタル・バジルールを艦長とするこの艦はディプレクター陣営を大い
に苦しめたが、ダブルGの存在が発覚した後はディプレクターと共に戦ってくれた。
 戦後、この艦はアークエンジェルと共に地球軍の管理下に置かれ、トリニティ・プロジェクトの発
足後、プリンシパリティと共にディプレクターに提供され、プラント支部に運び込まれた。ただし、
プリンシパリティと違ってこの艦は地球軍との手続きに手間取り、表向きにはその存在を秘密に
されていたのだ。
 強敵であり戦友だった艦が、再び自分達の前にいる。嬉しくて懐かしい、奇妙な気分だった。
「よーし、エクシード・フォース全員、ドミニオンに乗り込め! 決戦場に向かうぞ!」
 ムウの号令を受け、全員が行動を開始した。プラント支部の人たちも協力し、MSや物資を艦
に積み込まれる。サンライトやシュトゥルムなど、エクシード・フォースの機体が搭載されるが、先
の戦いで深いダメージを受け、再起不能となったサンダービーナスは破棄されることになってお
り、『賞品』である右足のみが艦に積み込まれた。
 荷物と共に乗員たちも艦に乗り込んだ。ムウ、ダン、ステファニー、ニコル、ギアボルト、ラユ
ル、ミリアリア、そして『従軍記者』の名目でしつこくくっついてきたフルーレ。他にもプラント支部
の人々を数十人乗せて、ドミニオンは飛翔した。
「で、ダン。ノーフェイスって奴が指定してきた場所は一体どこなんだ?」
 艦長席に座るムウの質問に、ダンは航宙図を取り出し、ある一点を指した。
「ノーフェイスがあの数字を言った時、俺の頭の中にこの場所が浮かび上がった。あの数字はこ
の場所を示す暗号だが、俺はその意味を知っている。いや、覚えている。ここは俺にとって、忘
れようとしても忘れられない場所……。そんな気がする」
 ダンのその言葉に、一同は沈黙した。特にステファニーの表情は暗いものになる。記憶を失っ
たはずのダンが、おぼろげながらも覚えているという事。それはつまり、記憶が脳ではなく精神、
魂そのものに刻み込まれていう事であり、忘れたくても忘れられない記憶だという事。
 それは決して幸せな記憶ではないだろう。ダンもそう思っている。しかし、それでも彼は前に進
まなければならない。失った過去を取り戻し、未来へ進む為に。



 エクシード・フォースの面々を乗せたドミニオンは、数時間の飛行の後、目的の宙域にたどり着
いた。L1宙域。ここにはかつて『世界樹』と呼ばれた宇宙都市があり、地球軍の橋頭堡として賑
わっていた。だがコズミック・イラ70年2月22日、地球軍とザフトの激しい戦闘によって『世界樹』
は崩壊。この宙域は大量のデブリが漂う、宇宙の墓場と化していた。
「この奥だ。まっすぐ進んでくれ」
 ダンの指示に従い、ドミニオンは無数のデブリが漂う海の中に突入した。接近するデブリは出
撃したチェシャキャットやゴールドフレーム尊(ミコト)が打ち落とす。
 やがて、一行の前に巨大な岩石が現れた。どうやら廃棄された資源衛星のようだ。大きさはドミ
ニオンの四倍以上。表面にはいくつか大きな穴が開いている。
「着いたぞ」
 ダンがそう言うと同時に、映像通信が入った。ドミニオンの正面モニターに、ノーフェイスの銀
仮面が映し出される。
「お待ちしておりました。ゼノン様のご一行は、既に中で待っております。一番近くの入口からお
入りください」
 それだけ言って、通信は切れた。
「おいおい、随分と不親切だな。入口ってどこだよ?」
 フルーレがグチるが、ダンは彼を無視して、艦橋から出ようとした。
「ちょっ……待って、ダン!」
 ステファニーが後を追う。ムウとフルーレ、ミリアリアとラユルがその後を追う。持ち場を離れるの
はどうかと思ったが、エクシード・フォースの仲間として、ダンを放っておけなかったのだ。
 格納庫に来たダンは、黙ってサンライトに乗り込む。
「ダン!」
 追って来たステファニーが強引に操縦席に乗り込むが、ダンは何も言わなかった。操縦席の
ハッチを閉じる。
「ダン……」
 ステファニーは、ダンの目に自分が映っていない事を知った。ステファニーだけではない。今
のダンの眼には誰も映っていない。彼が今、見ているものは自分自身。失った記憶。その手が
かりが眠る場所。
 ムウはシュトゥルムに、フルーレは撮影用ジンに、ラユルとミリアリアはバンダースナッチに乗り
込む。ドミニオンのハッチが開き、四機のMSは出撃した。艦の外にいたチェシャキャットと尊(ミ
コト)も合流し、共に衛星の中に入る。
 衛星の中の通路は思ったよりも広く、MSでも進む事が出来た。一行はサンライトを先頭に、奥
へ奥へと進んだ。
 道を進んでいる間、誰も何も言わなかった。ダンが何も言わない以上、何も言ってはならない。
そんな気がしたのだ。
 五分ほど進むと、行き止まりにたどり着いた。壁の隅に人間用の扉があり、その前には宇宙服
を着たノーフェイスが立っていた。
 ダン達はノーマルスーツのバイザーを閉じ、MSから降りた。無重力の空をしばし漂った後、鋼
鉄の地に脚をつける。
 ノーフェイスは何も言わず、扉を開け、中に入った。ダン達もその後に続く。その後、いくつも
の扉をくぐり、四つの部屋を通過した。五つ目の部屋を通過したところで、ノーフェイスが宇宙服
のヘルメットを取り、
「宇宙服はもう必要ありません。皆さんもどうぞ」
 と言ったので、ダン達もバイザーを上げた。新鮮な空気が肺を満たす。
 部屋の重力も無重力から通常の重力になっていた。一行は二本の足で地に立ち、前に向かっ
て歩く。
「どうですか、ダン・ツルギ君。ここは貴方にとっては懐かしい場所のはず。何か思い出しました
か?」
 ノーフェイスの質問に、ダンは首を横に振る。
「残念ながら。だが、俺はここを知っている。この廊下にも見覚えがある。俺は昔、ここにいた。そ
れだけは確かだ」
「なるほど。まあ、そういう状態だとは思いました。全てを思い出していたら、とてもこの地へは足
を運べなかったでしょうからね」
「ノーフェイス、お前は俺の過去を知っているのか?」
「ええ、知ってますよ。ですが、私はその事を口にする権利は無いし、その許しも得ていない。貴
方の過去を話すべき資格を持つ人は、この宇宙でただ一人。我が主、メレア・アルストル様だけ
です」
 話をしている内に、一行は大きな部屋にたどり着いた。天井は丸いドームになっており、飾りめ
いたものは何も無い。白い壁と、いくつかの扉だけが存在する部屋。
 ダン達が部屋の中を見回していると、扉の一つが開いた。そして、五人の人間が入って来た。
その何人かは、ダン達の見覚えのある人物だった。
「ミナちゃん! 無事だったのね、良かった……」
「ステファニーさん、みんな……。心配かけてゴメンなさい」
「ルーヴェ・エクトン。裏切り者がよくも顔を出せたものですね」
「…………」
「まあまあ、そう言うなって、ギアボルトのお嬢ちゃん。こいつにだって色々と考えがあって…」
「黙りなさい、エドワード・ハレルソン。貴方もルーヴェ・エクトンと同類です。いずれ私の手で葬り
去ってあげます」
「はは、怖い怖い。気を付けましょう」
「……お久しぶりです、コートニー・ヒエロニムスさん。ここにいるという事は、貴方もゼノン・マグ
ナルドの部下だったんですね」
「あいつを知っているのか、ニコル?」
「ええ、フラガさん。彼はザフトのテストパイロットだった人で、僕も何度か会って…」
「その紹介は正確ではないな、ニコル・アマルフィ。私はザフトの軍人ではない。ヴェルヌ設計局
からの出向者だ。そしてゼノン様に仕えし三従士の一人でもある。『救世のピアニスト』ニコル・ア
マルフィ。『エンデュミオンの鷹』ムウ・ラ・フラガ。ここが戦場でないのが残念だ。君たちとは戦場
で存分に戦いたかった。まあ焦る必要は無い。いずれその時は来るだろうからな」
「フルーレさん、カメラはしまってください。ここは撮影禁止です」
「なっ! こんな特ダネを前にして、俺に写真を撮るなだと! ノーフェイスさんよお、あんた、俺
に死ねって言うのか!」
「勝手に死んでください。死体は宇宙葬にしてあげますよ」
 ごくごく一部の例外を除いて、それぞれが因縁の相手と、懐かしい友と、初めて会う強敵と対峙
する。そして、
「直接顔を合わせるのは初めてだな。自己紹介させてもらおう。初めまして、試作品。私がゼノ
ン・マグナルドだ」
「……ダン・ツルギだ。言っておくが、俺はお前の試作品などではない」
「ふっ。何も知らないというのは哀れだな。真実は常に一つ。貴様が私の試作品である事、そし
て貴様が私に敗れる事。全てはもう決まっているのだ」
「そうかな? 戦ってみなければ分からないと思うが」
「分かるさ。貴様は強いが、私の方がもっと強い。それが全てだ」
 睨み合う宿敵。三つの黄金の瞳と一つの黒い瞳が放つ光が、激しくぶつかり合う。場の空気の
密度が増し、息苦しいものになっていく。
 二人を見つめるミナとステファニーの心も苦しくなってきた。喉が渇く。息が詰まる。ダンとゼノ
ン。やはりこの二人は戦う運命にあるのか。
「ダン……」
「ゼノン…さん……」
 自分たちの名を呼ぶ女たちの声も、二人の耳には届かない。両者が衝突すると思われたその
時、
「ふうん、随分と盛り上がっているねえ。でも、僕を除け者にしないでくれよ。このパーティーの主
催者は僕なんだからさ」
 扉の一つが開き、一人の少年と、青い髪の女性が部屋に入ってきた。
 長く伸ばした白い髪に黒い服。瞳はルビーのような真紅。背は小さく、その姿はどこからどう見
ても『子供』だ。子供なのだが、何かおかしい。子供らしからぬ異質な雰囲気を感じさせる。
 子供と共にやって来た青髪の美女は、ステファニーの顔を見る。そして不適に微笑み、
「生きていてくれて嬉しいわ、ステファニー。いずれ存分に殺し合いましょう」
 と宣言した。ステファニーは彼女がここにいる事に少し驚いたが、同時に納得もした。この女と
は決着をつけなければならない。そうしなければ、この女はどこまでも自分を追いかけてくるだろ
う。
「ええ、そうね。その時が来たら戦いましょう。レヴァスト・キルナイト」
 宿敵からの返事に、レヴァストは心から嬉しそうに微笑んだ。
「挨拶はもういいかい、レヴァスト? 僕にも自己紹介させてよ」
 少年の言葉に、レヴァストは慌てて頭を下げる。
「は、はい、申し訳ありません」
「いいよ、別に。君の気持ちは分かるよ。会いたかった人に会えて、勝手に心が動く。今の僕も
同じような気持ちだからね」
 そう言って少年は、ダンとゼノンの顔を見る。そして、極上の笑顔を浮かべて、自分の名を名
乗る。
「初めまして、ダン・ツルギ。そして、エクシード・フォースの皆さん。僕の名はメレア・アルストル。
君たちがサードユニオンと呼ぶ組織の頂点に立つ大総裁であり、このゲームの主催者であり、こ
の絶望と混沌に満ちた世界を救う為に戦っている男だ。どうぞよろしく」
 そう言って頭を下げたメレアに、エクシード・フォースの面々は驚きを隠せなかった。メレアの見
た目は、どう見ても普通の少年だ。こんな子供が世界的な規模を誇る大組織のボスだなんて、
信じられない。ムウは瞬きを繰り返し、
「お、お前さんがサードユニオンのボスだっていうのか?」
 と尋ねる。動揺を隠せないようだ。
 しかし、メレアと面識のあるステファニーは冷静だった。メレアに代わって、彼女が返答する。
「信じられないみたいね。でも事実よ。この子はサードユニオンの大総裁で…」
「代々、この組織を支配してきたアルストル家の現当主。見た目は子供だが、俺たちよりはるか
に長く生きている」
 ステファニーの言葉を引き継いだのはダンだった。彼はメレアをじっと睨んでいる。その眼に込
められた力は先程ゼノンに向けたものと同じ、いや、それ以上に敵意に満ちたものだった。
 一目その顔を見た瞬間、ダンはメレアが嫌いになった。理由は無い。だが、心の底から嫌いに
なった。『子供』という仮面を被ったその顔を殴りたかった。
 そんな強烈な敵意をぶつけられているのに、メレアは微笑んでいた。虚勢ではなく、心の底か
ら喜んでいた。
「へえ。ダン、僕の事を思い出したの? 何もかも、ぜーんぶ思い出しちゃった?」
「いや。だが、何となく分かる。お前が嘘を言っていない事も、そして、子供の皮を被った悪魔だ
という事もな」
「酷いなあ。確かに僕はもう二百年近く生きているけど、悪魔呼ばわりは酷いよ」
 二百年生きた。さり気なくとんでもない事を言ったが、ダンは驚かなかった。メレアが見かけと
は違う怪物だという事は、言われなくても分かっていたからだ。
 メレアは続けて、
「それに僕が悪魔だったら、彼は大悪魔になるよ。それでもいいの?」
 と言った。ダンはメレアが誰の事を言っているのか、何となく分かった。
「彼……デューク・アルストルの事か」
 ダンがその名を口にした時、場の雰囲気が再び重いものになった。デューク・アルストル。その
名と存在には、それ程の意味があるのだ。
 ダンの言葉に、メレアは再び微笑む。
「そのとおり! 彼こそ稀代の大悪魔。天才にして悪鬼、優秀にして冷酷、美麗にして醜悪。この
世界で最高の頭脳と、最低の精神を持った男。ダン・ツルギ、君にとって誰よりも何よりも縁深き
人間。知りたいかい? 彼の事を知りたいかい? 自分の過去を知りたいかい? 知りたいよ
ね。だって君は、その為に今日まで戦ってきたのだから」
「…………」
 メレアの言うとおりだったが、ダンは頷きたくなかった。出会ってわずか数分だったが、彼はこ
の少年が嫌いになった。気に入らない。側にいるだけで気分が悪くなる。こいつの言う事には絶
対にYESとは言いたくない!
「デューク・アルストルの事や君の過去については、本当は君が優勝した時に教えるつもりだっ
たけどね。誰かさんのせいで予定を大幅に狂わされちゃったんで、予定を変更する事にしたん
だ」
 そう言ってメレアはゼノンに視線を向けた。ゼノンは不適に微笑む。
「誰かさんが世界を騒がしくしたせいで、僕も忙しくなっちゃってね。暇な時にしか君たちに会え
なくなっちゃった。そして今は割と暇なんだ。だから予定変更。教えてあげるよ、ダン・ツルギ。君
の過去をね」
 軽く言うメレア。ダンにとっては命をかけてまで欲しい過去(もの)も、この男にとっては暇潰しの
オモチャ程度でしかない。ダンは不愉快になった。
「あははははは。そんなに怖い顔で睨まないでよ。ああゼノン、君にもダンの過去を教えてあげ
るよ。君もそれを知りたいからここに来たんだろう? 教えてあげるよ。君とダン、そしてデューク・
アルストルとの因縁をね」
「…………」
 親切そうな態度をとるメレアだが、真の目的は別にある。彼は見たいのだ。真実を知ったこの
二人が動揺し、苦しむ姿を。
『ダン・ツルギは絶対に許せない罪を犯した。ゼノン・マグナルドは僕の大好きなこの世界を再び
戦火で焼いた。罪深きデューク・アルストルの遺産である君たちには、極上の苦しみを与えてや
らないと気がすまないんだよ』
 メレアはニッコリと微笑んだ後、大声で語る。
「君たちは真実を知りたがっている。だから君たちはここに来た。デューク・アルストルの秘密研
究所だったこの衛星に。だったら教えてあげるよ。我が息子デューク・アルストルの事を。そして
大いに苦しむがいい。苦しみ、傷付き、真実の重みに潰されてしまえ!」
 好き勝手な事を言うメレアだが、誰も彼を止められなかった。止めようとしなかった。ここにいる
全員が真実を知りたかったのだ。
 そしてメレアは語る。この過酷な戦いの始まりを。メレア・アルストルとデューク・アルストルの事
を、そして彼らによって深く傷付いた一人の女と子供の事を。



 さあて、まずは何から話そうか。うーん……。やっぱり、全ての始まりから話すべきだね。全ての
始まり、僕が率いる組織がいつ、どこで生まれたのか。そこから話そう。
 僕らの組織は大昔、古代ヒッタイト文明の崩壊と共に誕生したらしい。え? ヒッタイト、って何
かって? おいおい、世界史ぐらい勉強しなよ。紀元前15世紀ごろのトルコ地方で栄えていた
一大文明さ。優れた製鉄技術を誇り、古代エジプトと互角以上に渡り合った強国だよ。
 この文明は紀元前1200年ごろに滅んだんだけど、その際、製鉄技術を持つ者は二派に分か
れた。「この技術を他国に広めよう」という者たちと、「この技術は危険だから封印すべきだ」という
者にね。
 この時、技術を封印しようと考えた者たちが僕たちのご先祖様さ。彼らは地下に潜り、一つの
組織を作り上げた。この組織には、世間に認められない、あるいは世間から迫害された学者や
技術者たちが集まった。そして、表の世界とわずかな繋がりを持ちながら、自分達の研究を進め
た。他にやる事が無かったし、学問を究めようとするのは研究者のサガだからね。
 表の世界の歴史が進むに連れて、組織も大きくなっていった。古代エジプトや古代ギリシャ、イ
スラムの学者たちや、中世ヨーロッパの錬金術師ギルドなどを吸収し、その技術力を更に高め
た。記録によれば、15世紀の中ごろには、人類初の人工衛星を打ち上げたらしい。大したもの
だよねえ。
 ああ、この組織の名前については、僕も知らないんだ。『当時の名前』はね。組織の長が代わる
度に、組織の名前も変えられた。そしてその名前は、組織の長の他には、ごく一部の人間にしか
知らされなかった。自分達の存在を決して世に明かさない為だ。それでも、時にはその名が流
出しちゃったみたいだけどね。「薔薇十字団」とか「パラケルススの友」とか「アトラスの学び舎」と
か。
 と、まあここまでは良かった。組織はその技術を決して表に出す事はなく、アジアやアメリカに
まで勢力を広げながら、人類を影から見守り続けた。
 ところが、僕の先代の時代に大変な事が起きた。20世紀に入り、表の世界の文明が恐ろしい
勢いで発展してしまったんだ。そのスピードは組織の予想を遥かに超えるもので、ついに人類は
組織が「絶対の禁忌」とした神の火、つまり核爆弾まで作ってしまった。
 人類が「絶対の禁忌」にまで手を出してしまった事、それを黙って見過ごした事に責任を感じ
た先代は自殺した。そして先代の息子であり、組織で一番優秀だった僕が跡を継いだ。
 組織の長、大総裁になった僕は、表世界の文明の急速な進歩について、改めて分析した。こ
のまま文明が進歩し続ければ、人類は進歩した技術についていけなくなり、自らの手で自分を
滅ぼしかねない。そうなったら僕の理想である「全ての人間が平等で、幸福に暮らせる世界」が
実現しない。
 困った僕は更に分析し、そして結論を出した。人類の文明の異常な進歩の原因。それは『天
才』と『欲望』によるものだ、と。
 天才。それは人間の常識を超えた才能の持ち主。偉人、英雄としてその名を残している人た
ち。彼らが何かを作り出し、または発見する事によって、人類は欲望を刺激され、その文明を発
展させた。
 『天才』は道を切り開く開拓者。『欲望』は文明を加速させる燃料。どちらも素晴らしいものだけ
ど、同時に危険な存在だ。この二つをコントロールしない限り、人類に未来は無い。
 そこで僕は二つのプロジェクトを実行した。一つは、僕たちの手で『天才』を作り出す事。人工
的に『天才』と呼ばれる存在を作り出し、僕たちがそれをコントロールする。そうする事で人類の
文明そのものをコントロールし、滅亡を防ぐ事が出来る。
 もう一つの計画、グランドクロス・プロジェクトについては……いずれ話すよ。今はまだ、語るべ
き時じゃない。
 さて、それから僕たちは長い年月をかけて、ついに一人の『天才』を作り上げた。知力、体力、
共に優秀。性格も明るく、全ての人から愛され、人類を明るい未来へと導く人物。彼は僕たちが
理想とする人間そのものだった。
 ふふっ、もう分かるよね? 僕たちが誰を作ったのか。そう、彼の名はジョージ・グレン。人類最
初のコーディネイターであり、人類の歴史が始まって以来、最も優秀で、そして、最もマヌケだっ
た男だ!
 ああ、あいつは本当にマヌケだった。救いようの無いバカだった。大人しく僕たちの指示に従
っていれば良かったのに、僕たちに無断で遺伝子操作の技術を公表するわ、組織の聖地であ
る木星に勝手に行ってしまうわ、そこで厄介な物を見つけてくるわ! あまりの不出来さにブル
ーコスモスを利用して始末してやったら、ダブルGなんてポンコツコンピューターを暴走させや
がった! おかげで僕の組織は奴との戦いに集中しなくちゃならなくなった。僕たちのコントロー
ル下から離れた人類がどういう歴史を辿ったか、そんなの言うまでも無いよね。ああ、まったくあ
のバカは!
 はぁ、はぁ、はぁ……。ああ、ゴメン、ちょっと興奮しちゃった。あいつの事を考えると、どうも冷
静でいられなくなる。僕の人生で二番目の『失敗作』だからね、あいつは。クソッ! あいつには
もっと強力な精神操作をやっておくべきだった。
 話を戻そう。ジョージ・グレンの失敗で僕たちは新しい人類を作る事を諦めた。いや、僕たちが
ジョージを作ったせいで、世界は新たな混乱の時代に入ってしまった。
 でも、ある日、僕たちは気付いた。人類の中にコーディネイターをも超える力を持つ者が誕生
している事にね。
 それは全ての人間が宿す大いなる力。人が決して触れてはならない禁忌の刃。僕の友人はこ
の力をSuperior・Evolutionary・Element・Destined−factor、『SEED』と名付けた。彼は
SEEDの力は人間の認識力を高め、進化させる力だと考えていたけど、冗談じゃない! 優れ
た力を持った人間は危険なんだ。今まで生まれた多くの天才たちが、最も優れた人間であるは
ずのジョージがどんな行動をしたか、あいつだって知っているのに、どうしてあんな事を言うのか
なあ。楽観主義にも程があるよ。
 そして、僕と同じように彼らを危険視する者がいた。僕の二百年の人生でただ一人、僕の血を
受け継ぐ男。僕の一人息子であるデューク・アルストルだ。
 身贔屓するわけじゃないけど、あいつは天才だった。数学、科学、医学、物理学、生体工学…
…。あいつに出来ない事は無かった。一を聞いて十を知る男だった。僕が見てきた人間の中で
も一、二を争うほど優秀な男だった。
 あいつは僕と同じ結論に達した。もっとも、そういう結論を出した理由はちょっと違うけどね。僕
は『SEEDを持つ者』が邪魔だった。あいつらの力は強すぎる。僕の理想とする世界、全ての者
が平等に暮らせる世界に、強すぎる力は不要なんだ。
 でも、デュークはこう考えたんだ。何の努力もせず、生まれ持った素質だけで生物の限界を超
える。そんな存在は不愉快だ。この世界にいらない、とね。過激な奴だよ、まったく。あいつは努
力しない奴とか、臆病な奴が大っ嫌いだったからね。
 ともかく、僕たちは同じ結論に達した。そして、『SEEDを持つ者』を倒す為の研究を進めた。
 そして、神のイタズラか、悪魔の気まぐれか。あいつはついに生みだしたのさ。『SEEDを持つ
者』を殺せる力を持つ者をね。もっとも、それはあいつの暴走の始まりでもあったんだけど。



 ここまで話して、メレアは指をパチンッ、と鳴らした。その合図を受け、ノーフェイスが壁のスイッ
チを押す。ドーム状の部屋の照明が消え、壁と天井に無数の文字が浮かび上がった。
「これは……人の名前?」
 ステファニーの言うとおり、それは人の名前だった。夜光塗料で書かれたらしく、闇の中で光を
放っている。
 名前は天井、壁、床など、部屋中に書かれていた。その数は百や二百ではない。千の位を超
えているかもしれない。
「この名前は? それにこの部屋は一体?」
 異常な光景に驚くミナに、ゼノンが答える。
「ここは墓場だ」
「えっ!?」
 驚くミナ。ダンも口を開く。
「そう、ここは墓場。墓標の無い墓場。ここに書かれた名前は、デューク・アルストルが犯した罪
の証」
 そう呟いたダンの顔は厳しいものになっていた。耐え切れないほどの痛みを、それでも必死に
耐えている。そんな顔だ。
「ダン……」
 ステファニーはダンの肩に手を置いた。彼の心を包みたかった。彼が感じている痛みを分かち
合いたかった。
 一同がダンとゼノンの発言に驚いている中、メレアが叫ぶ。
「そう、その二人の言うとおり、ここは墓場だ。ここに書かれているのはデューク・アルストルが殺し
た人の名前。あいつの実験材料として、人生をメチャクチャにされ、命を奪われた者たちの名前
だよ。もっとも、ここに書かれているのは『名前が分かっている人間』だけ。名前さえ分からない奴
まで含めたら、あいつが殺した人間はこの倍、いや、それ以上の数だね。まったく、我が息子な
がら恐ろしい奴だよ」
 メレアの言葉に、一同は震え上がった。闇の中で光る無数の名前。それは、悪魔に命を奪わ
れた者達の嘆きの輝き。
「あ……ああ……」
 ミナは恐ろしかった。一刻も早く、この場から逃げたかった。ここは狂気の部屋だ。こんな所に
はいたくない。まともな人間は、こんな所にいてはならない。
 他の面々も同じ気持ちだった。歴戦の勇士であるムウやニコル、ギアボルトさえも顔を歪めて
いるし、冷酷非情なはずの三従士たちも不快そうな表情を浮かべている。ラユルやミリアリアは
失神寸前。フルーレもカメラに手を伸ばさない。
 楽しそうな顔をしているのはメレア・アルストルのみ。この少年はニコニコと微笑みながら、部屋
の角に行き、
「さて、皆様、お立会い。ここに書かれた名前を見てほしいんだ。ダン、君はこの名前に見覚えが
無いかな? 何か思い出さないかな? 思い出してくれると嬉しいんだけどなあ」
 と、壁に書かれた名前の一つを指差した。ダンは近づき、その名前を読む。
「!」
 その途端、彼の表情は驚愕に満ちたものになった。
 『ヤヨイ・ツルギ』
 壁に書かれたその名を読んだ瞬間、ダンの心は、失ったはずの過去へと飛んだ。絶対に聞き
たくない、でも忘れられない男の声がダンの脳に響き渡る。



「ヤヨイは死にました」
 そう言った時の男の声は冷静だった。その顔には何の感情も浮かんでいない。黒曜石のよう
に黒い瞳にも、動揺の色は見受けられない。
 あまりにも冷静な男の様子に、メレアは苦笑した。
「やれやれ。自分の奥さんが死んだのにその態度。さすがは僕の息子と言うべきかな?」
「あの女にはもう利用価値はありません。使い道の無くなった道具が死のうが生きようが、私には
関係ありませんよ」
 男、デューク・アルストルは淡々とそう言った。デュークにとっては、口にするのもバカバカしい
くらい当然の事だった。
「利用価値はまだあるだろ? 君とあの女の間に生まれた子供にアンチSEED能力が宿った。
だったら、また子供を生ませれば…」
「ご冗談を。いくら世界の為とはいえ、あんな無能な女を抱くなど、二度とゴメンです」
「無能かな? 彼女は博士号を幾つも持っているし、なかなかの美人だよ」
「いいえ、無能ですよ。私の仕掛けた暗示にあっさり引っかかり、私を愛するようになった。自ら
の心も御する事が出来ない女。これを無能と呼ばずして何と言いますか?」
「厳しいねえ。君の暗示がそれくらい強力だったとは考えないのかい?」
「いいえ。あの程度の暗示、精神を強く持てば簡単に解けました。それが解けなかったという事
は、あの女の心が弱かったという事。私の一番嫌いなタイプの女ですよ、あれは」
 デュークは妻を軽蔑していた。彼女の死に対して、彼の心には何の感情も沸いていなかった。
「でも、惜しいねえ。彼女も『SEEDを持つ者』。無能でも、実験材料として使えそうだったのにな
あ。ねえ、彼女の遺体だけでもくれないかな?」
「お断りします。あれの遺体は私の方で使わせていただきます。今、製造中の対SEED能力者
用MSに使えそうなので」
「ちぇっ、ケチ。まあいいや。ところで君の息子、つまり僕の孫の様子は?」
「いたって健康ですよ。もう少し成長したら、実験に使います」
「慎重にね。彼は世界でただ一人のアンチSEED能力者だ。この世界の為にも、喪う訳にはい
かない」
「ご安心を。アンチSEED能力の移植については、私に案があります。近日中にデータをまとめ
ておきます」
「そう、頼もしいね。任せたよ、デューク」
「はい、父上」
 メレアに会釈するデューク。だが、彼は父親の事が好きではなかった。はっきり言って嫌いだ
った。だから心の中で誓った。いつかこの男を殺そう、と。この男が持っている全てを手に入れよ
う、と。この世界を自分のモノにしよう、と。



「!……ハァ、ハァ、ハァ……」
 失われたはずの記憶が蘇り、ダンの額に汗が浮かぶ。顔色も悪く、息も荒い。闇の中でダンの
荒い息が響き渡る。その様子を見たメレアはニヤニヤ笑い、
「おやおや、この名前はダン・ツルギにはちょっと刺激が強すぎたみたいだね。ゼノン、君はどう
だい?」
 とゼノンに問いかけた。
「ふん」
 くだらない、という気持ちになったゼノンは、闇の中で光るその名を読んだ。
「ヤヨイ・ツルギ……。ダン・ツルギと同じ苗字だな。ダンの身内なのか?」
「そう。でも、それだけ?」
「? それ以外に何かあるのか?」
「何も思い出さないの? この名前を見て、心が騒がない? 動揺しない?」
「しない。その女と私に何か関係があるのか?」
 ゼノンの返答に、メレアはクックッと笑った。
「関係があると言えばある。でも、君はこの名を見ても何も感じない。思い出さない。君にとってこ
の女は、その程度の存在だという事さ。そして、君の運命もね」
「運命、だと?」
 ゼノンの顔に不快そうな表情が浮かぶ。薄暗い世界が、ゼノンの怒りと苛立ちで満たされてい
く。しかしメレアは平然として、語り始めた。
「ゼノン・マグナルド。君はダン・ツルギと違って、自分の過去を覚えている。君は数年前に謎の
軍隊によって滅ぼされた、とある国の王子様。無能な人間が嫌い。努力しない人間が嫌い。心
身ともに優れた人たちを率いて、滅ぼされた国を再興し、この世界の頂点に立つ。それが君の
夢。うん、立派な夢だねえ。でも……」
 メレアはダンの顔を見る。異常なまでに鋭い視線だった。
「ダン、君は思い出したよね? 昔、彼と同じような事を言った人がいた。彼も無能な人間や、努
力しない人間が嫌いで、この世界の頂点に立つ事を夢見ていた」
「!」
 メレアの言葉に、ダンは衝撃を受けた。そしてゼノンの顔を睨む。闇の中でも、彼の二つの瞳
は金色に光り輝いていた。まさか、こいつが……!
「そう! ゼノン・マグナルド、彼こそデューク・アルストルのもう一つの遺産。デュークの息子の細
胞を移植されて、アンチSEEDの力を受け継いだ男! 細胞の拒否反応に耐え、生存率0.00
0000001%の地獄を生き残った男! 凄いねえ。カッコいいねえ。さすがはゼノン・マグナル
ド。その強さに憧れちゃうよね。そう、彼こそ…」
「違う」
「違う。私はデューク・アルストルではない」
 ダンとゼノンは声を合わせて、メレアの言葉を否定した。
 しばしの沈黙。そして、
「ぷっ……くっ、あははははははははははは!」
 メレアは笑った。笑い続けた。どうやら笑いが止まらないらしい。
「はははははははは……。あーあ、まったく君たちはからかい甲斐が無いなあ。ゼノンもここはノ
ッてくれないと」
「ふざけるな。この私をあんな外道と一緒にするな」
 ゼノンは怒っていた。彼はデューク・アルストルという人間を良く知っていた。その能力は認め
ているし、アンチSEEDという力を与えてくれた事には感謝しているが、デュークという人間その
ものは嫌いだった。
「私は多くの人を殺した。その点では奴と同類だ。だが、私は私を信じてくれる者を手にかけるよ
うな事はしない。裏切らない。絶対にな」
 戦士の誇りを込めて、ゼノンはそう宣言した。その言葉に三従士たちは改めてゼノンに忠誠を
誓う。
 そしてゼノンの宣言を聞いたミナは、改めてゼノン・マグナルドという人物を理解した。
『ああ、そうか。この人は自分にも他人にも凄く厳しい人なんだ。だから努力しない人や、現実か
ら逃げ出そうとする人が許せない。徹底的に追い詰め、苦しめて、殺してしまう。でも、きちんと努
力している人や、自分の事を信じる人には凄く優しくなれる人』
 ミナは少し嬉しかった。確かにゼノンは善人ではない。間違いなく悪人だ。だが、悪魔ではな
い。自分の家族の命まで弄ぶデューク・アルストルのような悪魔ではない。絶対に。
 一方、メレアは不機嫌そうに頬を膨らませて、
「ふん。まあいいさ。君はもうしばらく、偽りの過去に満足してなよ」
 と、ゼノンに背を向けた。
「おいメレア、どういう意味だ、それは」
「ナイショ。いずれ分かるよ。いや、今すぐ分かるかも。デューク・アルストルに会えば、ね」
「! 奴は、生きているのか!?」
 メレアはゼノンの質問には答えず、視線を壁の一部に向けた。その視線の先には、ある人物
の名前があった。
 ダンはメレアの視線を追い、壁に書かれたその名前を目にした。その瞬間、
「!」
 硬直した。精神も肉体も固まってしまった。
 ダン・ツルギが見たのは、死人の名前。ヤヨイ・ツルギや、この部屋に書かれた多くの名前と同
じ、既に死んだ者の名前。デューク・アルストルによって殺された者の名前。
 いや、そんなはずは無い。そんなはずは無いのだ。ここにその名前が書かれているはずが無
い。絶対にあってはならない事なのだ。
「うん、そうだよ。デューク・アルストルはまだ生きている。数え切れないほどの人間を殺したあの
悪魔のような天才は、マヌケな野心家は、僕の可愛いバカ息子は、まだ生きているんだ」
 そう言ってメレアは、ダンの側に近づいた。
「思い出したかい、ダン・ツルギ? 君なら知っているよね。デューク・アルストルが今、どこにいる
のか。何をしているのか。彼は何をしている? 何を考えている? 笑っているのか、泣いている
のか、それとも……」
 ダンは答えなかった。答えられなかった。口を開いたら真実を全て思い出してしまうから。全て
を思い出したら、自分の心が壊れてしまうだろうから。
「ねえ、答えてくれよ、ダン・ツルギ。君なら答えられるはずだ。全てを思い出した君ならね」
 メレアの声はダンには聞こえなかった。彼は今、自分の心の中から湧き上がる怪物と戦ってい
た。怪物の名は『記憶』。今まで思い出せなかった事が、次々と思い出されていく。この怪物は
強い。刃が立たない。思い出したくない事まで思い出してしまう。
『やめろ、やめろ、やめてくれ!』
 ダンの叫びを無視して、彼の記憶は蘇っていく。それと同時に、今まで心の角で抱いていた疑
問にも答えが出た。
 なぜ、ダンが赤ん坊の頃に聞いたデュークとヤヨイの会話を、正確に覚えているのか。
 なぜ、デューク・アルストルが当時考えていた事を知っているのか。
 なぜ、あの男の声が自分に似ているのか。
 なぜ、自分はこの衛星の正確な場所を知っていたのか。
 その答えは実に簡単なものだった。簡単すぎて気付かなかった。気付きたくなかった。
 でも、もうダメだ。俺は彼の名を見てしまった。そして全てを思い出してしまった。真実を。地獄
を。自分の犯した罪を。
 ダン・ツルギは、自分に全てを思いださせた男の名前を見る。闇の中で、その男の名は淡く、
弱々しく輝いていた。
 『ダン・ツルギ』
 それはデューク・アルストルの息子の名前。世界で初めてアンチSEED能力を持って生まれた
人間の名前。父の実験材料にされ、体中の細胞を摘出され、わずか三歳で死んだ哀れな男の
子の名前。
 その名を目にしたまま動かないダンに、メレアは語りかける。
「どうしたの、ダン・ツルギ? ああ、そうか。君はもう『ダン・ツルギ』じゃなかったね。何もかも思
い出したら、さすがにその名は名乗れないか」
 そう言ってメレアは、今までで一番明るく、残酷な笑顔を浮かべる。
「おかえり、デューク・アルストル。自分の研究所(ふるさと)に帰った気分はどうだい? 親に逆ら
い、妻と息子を殺し、息子の細胞を自分に移植した、この世で最も罪深き男よ!」

(2005・5/27掲載)

次回予告
 信じられないが、それは真実。
 信じたくないが、それは現実。
 運命を弄(もてあそ)んだのは誰か。弄ばれたのは誰か。
 彼らの戦いは、それを決める為の儀式なのか。
 メレアは笑う。運命という糸に操られる人形たちの、滑稽な死闘を。

 次回、機動戦士ガンダムSEED鏡伝2、絶哀の破壊神、
 「罪深き記憶の中で」
 運命の糸から逃れられるのか? ヘルサターン。

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