第9章
 憎しみは海より深く

 二年前、ステファニー・ケリオンはパナマにいた。
 オペレーション・スピッドブレイクの失敗を補填すべく行なわれた、地球軍パナマ基地への攻
撃。強固な防備を固める地球軍に対し、ザフト軍の戦力はその三分の一以下。通常、基地や城
砦への攻撃には、守備軍の数倍の戦力が必要とされるのだが、スピッドブレイクの失敗によって
地上戦力の大半を失ってしまったザフト軍にその余裕は無い。勝算などほとんど無い、無謀極
まりない攻撃であった。
 それでも前線に立つ兵士たちは懸命に戦った。ザフトのために、アラスカで散った同胞たちの
ために、そして、自分自身が生き残るために。
 ステファニーも、そうして戦う兵士の一人だった。実戦は今回が初めてだったが、彼女は必死
の思いで戦っていた。彼女の操るジンは軽やかに動き、敵を次々と倒す。新兵とは思えぬ活躍
だった。
「やるじゃないか、ステフ」
 味方のジンから無線が送られてきた。声の主は、ステファニーにとって、かけがえの無い人物
だった。
「ありがとう、アレン。貴方がサポートしてくれたおかげよ」
「いや、全ては君の実力だよ。俺はただ、君の後ろについているだけさ」
 そう言いながらアレンの乗るジンは、機関銃で敵戦車を打ち抜いた。アレン機はステファニー
機から決して離れず、彼女を狙う敵をことごとく撃破している。
 アレン・クロフォード。ステファニーの幼馴染であり、彼女が世界で最も愛する男。それはアレン
も同じ気持ちだった。この戦争が終わったら、二人は結婚する事になっている。
「こらこら、何ボケーッとしてるの、お二人さん! ここは戦場のど真ん中なのよ!」
 森の中から新たなジンが姿を現した。声は女性のものだ。
「まったく、バカップルには付ける薬は無いわね。イチャつくのはベッドの中だけにしなさいよ」
 女性にしては口の悪いこのパイロットは、アレンやステファニーが所属する部隊の同僚である。
名前は、
「ライラ!」
「あら、ちょっと怒った? 二人の時間を邪魔してゴメンなさい。でも、ここは戦場なの。誰もが簡
単に死ぬ世界なのよ。結婚式を自分たちの葬式にはしたくないでしょう?」
「うっ……」
 親友ライラ・ニュートンからの言葉に、ステファニーは返す言葉が無かった。
「一本取られたな。よし、それじゃあ行くぞ、ステフ、ライラ! 卑劣な地球軍を叩き潰して、プラン
トを守るんだ!」
「OK。ステファニー、新人だからって遠慮する必要は無いわ。派手に暴れましょう!」
「了解、はあああっ!」
 過酷な戦場を、恋人と親友のフォローを受けて戦うステファニー。彼女自身の頑張りもあり、三
人は数で勝る地球軍を相手に、互角以上に戦っていた。戦車も戦闘機も、彼らの敵ではなかっ
た。
 しかし、
「! ジンじゃない、あれは、地球軍のMS!?」
 三人の前に現われた新たな敵の群れ。第13独立部隊。地球軍初の量産型MS、ストライクダ
ガーを操る精鋭部隊である。
 ストライクダガー本体の性能はジンと互角。だが、ビームライフルやビームサーベルなど破壊
力に秀でたビーム兵器を使うことが出来るため、総合的な戦闘力はジンを上回っている。パイロ
ットも厳しい訓練を積んでおり、見事な連携攻撃を行なう。
 対MS戦に慣れていないザフト軍のパイロットは、彼らに次々と倒されていた。そして、次の標
的に選ばれたのがステファニーたちだった。
「散れ!」
 アレンが指示を出すが、時、既に遅し。ステファニーたちのジンは、八機のストライクダガーに
取り囲まれてしまった。数で劣る上に逃げ道を塞がれては、なす術が無い。八機のストライクダガ
ーは一斉にビームライフルの銃口を向ける。
「…………」
 ステファニーは何も言えなかった。何かをする事も出来なかった。死の恐怖に支配され、ただ
呆然とするしかなかった。
 しかし、ライラのジンは動いた。重斬刀を抜き、
「二人とも、逃げて!」
 叫びと共に、一機のストライクダガーに飛びかかる。包囲網に穴を開けて、そこからステファニ
ーたちを逃がそうというのだ。
 だが、それはあまりにも無謀な行動だった。
 重斬刀の刃がストライクダガーに届く前に、ライラのジンは別のストライクダガーから放たれたビ
ームによって貫かれた。無慈悲なビームの光は、ライラ機のコクピットに大きな穴を開けた。
「ラ…イラ……?」
 親友のあまりに呆気ない最期に、呆然とするステファニー。だが、戦場で自分を失うという事は
死に近づくという事である。ストライクダガーたちはビームライフルの銃口をステファニーのジンに
向ける。
「させるかあっ!」
 アレンのジンが、銃の引き金を引く。ストライクダガーを一機、打ち倒すが、残り七機のストライク
ダガーは、ビームライフルの照準をアレンのジンに向けた。
「…………!」
 ステファニーもアレンも、何かを言う暇も無かった。ステファニーの目の前で、アレンのジンは七
本の光線に貫かれ、爆発した。
 だが、その強烈な爆発が、ストライクダガーたちの陣形を乱した。一瞬の隙をついて、ステファ
ニーのジンは素早く動き、包囲網を脱出した。アレンのジンが敵を一機撃墜していたため、敵の
陣形にわずかに穴が開いていたのも幸いした。
 ステファニーは逃げた。必死に逃げた。喉の渇きを押さえ、湧き上がる怒りと悲しみを堪え、た
だひたすらに逃げた。
「はあ、はあ、はあ……」
 悔しかった。憎かった。何も出来なかった自分の無力さが。大切な人の命を奪ったナチュラル
が。そして何より、こんなに呆気なく人に死を与える『この世界』が。
「私は……私は…………」
 怒りと悲しみが、少女を戦士に変える。
 この数分後、パナマに光の雨が降り注いだ。



 ハルヒノ・ファクトリーの甲板上での戦いは、更に激しさを増していた。
「はあっ!」
「ふん!」
 オルガのデュエルダガー対モーガン・シュバリエのエールパック装備105ダガー。オルガのデ
ュエルダガーは右腕を失っているが、そのハンデを感じさせぬほどの猛攻を見せている。まとっ
ていた強化装甲フォルテストラを脱ぎ去り、驚異的なスピードでモーガンを翻弄する。
「ぬう! このパイロット、やってくれる…!」
 モーガンは動揺を隠せなかった。この連中、上層部からは『泥棒まがいのチンピラ傭兵。たい
した連中ではない』だと聞かされていたが、とんでもない。今、モーガンが戦っているデュエルダ
ガーのパイロットはもちろん、数で勝るダガー部隊を相手に互角以上に戦っているジンのパイロ
ットも、戦艦などからの砲撃をことごとく相殺しているバスターダガーのパイロットも、とんでもない
力量の持ち主だ。
 ここまでの凄腕パイロットは、ユーラシアはもちろん、地球軍全体を見てもそうはいない。これほ
どのパイロットがなぜ、傭兵などをやっているのか?
「水中の部隊もやられたか。まったく、とんでもない連中だな」
 苦戦はしていたが、モーガンは楽しかった。敵は強い。でも、だからこそ倒し甲斐がある!
「お前たちは強い。だが、こちらも簡単には負けられんのだよ!」
 ダガーのビームライフルが火を吹く。
「はっ、甘いぜ!」
 オルガのデュエルダガーは軽やかにかわす。そして、反撃のビームライフル。
 まさに死闘。オルガもモーガンも、互いの力の全てを出し尽くし、敵を倒そうとする。
 この死闘を、機械仕掛けの小さな眼球が見守っていた。その姿は空の中に消えており、肉眼
でもレーダーでも捉えることは出来ない。二年前、邪神の眼として世界の全てを見ていた機械、
アルゴス・アイである。だが、今のこの機械の主は神ではない。



『私は、何をしているのかしら……?』
 ゴールデン・ゲート・ブリッジの艦橋。艦長席に座るステファニーは、心の中で呟いた。
 彼女の眼前には、天井から降りてきた巨大なモニターがある。モニターの画面は左右に分割
され、それぞれ違う映像を映し出していた。どちらも、ダンたちに気付かれぬように放ったアルゴ
ス・アイから送られている映像だ。ちなみにアルゴス・アイは、なぜかハルヒノ・ファクトリーには搭
載されていない。他の五隻には搭載されているのだが。ノーフェイスの嫌がらせだろうか?
 モニターに向かって左側の映像は、ハルヒノ・ファクトリーの甲板上を映し出していた。オルガ
が操る片腕のデュエルダガーと、ユーラシア軍のエースパイロット、モーガン・シュバリエのダガ
ーとの一騎打ち。両者、一歩も引かぬ好勝負である。
 右側の映像は、水中からのものだ。ダンのサンライト対レヴァストのアクアマーキュリー。水中は
アクアマーキュリーの独壇場だ。サンライトに勝機は無い。
『全ては貴方の計画通り、という訳ね。レヴァスト・キルナイト』



 ゲーム開始の数日前。ステファニーたち四人は、とある古城に集められた。そこでノーフェイス
からゲームの基本ルールを説明してもらい、彼が用意したそれぞれの艦に乗り込む。
 ステファニーも自分の艦に向かっていた。が、その途中でレヴァストが彼女を呼び止めた。
「私と手を組まない?」
 レヴァストはそう提案してきた。レヴァストもステファニーも同じザフト軍出身だが、面識は無かっ
た。大戦後もレヴァストはディプレクターに入り、ステファニーはザフトを辞め、世界中を放浪。ま
ったく違う人生を歩んでいたのだ。
「私のアクアマーキュリーとあなたのサンダービーナスが手を組めば、敵はいない。一緒にこの
ゲームに勝利しましょう。女同士で力を合わせて、ね?」
 レヴァストからの提案に対して、ステファニーは心の中で苦笑していた。レヴァストの魂胆は読
めていたし、彼女の案には重大な欠点がある。
 このゲームで勝ち残れるのは、ただ一人。一時的に手を組んだとしても、最後は戦う事にな
る。破滅の結末が見えている同盟など、する気は無い。
 ステファニーはそういう返事をして、やんわりと断った。だが、レヴァストは不適に微笑み、
「別にいいじゃない。あなた、このゲームで勝ち残る気なんて無いんでしょう?」
「!」
「分かるのよ。あなたのような死にたがりは、結構見てきたから」
 そう言った後、レヴァストは手を差し出した。
「あなたの望みは私が叶えてあげる。あなたは私が殺してあげるわ。だから、私に協力しなさい。
私は私の望みのために、あなたはあなたの望みのために」
「………………」
 ステファニーはレヴァストの手を握らなかった。だが、拒みもしなかった。二人の女は黙って見
つめ合い、そして、
「それで、私は何をすればいいの?」
 ステファニーの方から口を開いた。



 水中の戦いは、一方的な展開になっていた。
 縦横無尽に動き回るアクアマーキュリーと二機のディープフォビドゥンに対して、サンライトはな
す術が無かった。三機のMSが巻き起こす水流が激しい渦となり、サンライトの動きを封じ込めて
しまったのだ。
「く…うっ!」
 姿勢を保つことさえ困難な激流。渦の中に巻き込まれたサンライトは何も出来ず、水に落ちた
落ち葉のように、ただ漂うだけ。コクピットも激しく揺れて、ダンの体と精神を揺らす。少しでも力
を抜けば、意識を失ってしまいそうだ。
 アクアマーキュリーの攻撃はこれで終わりではない。頭部の連発式小型魚雷発射砲《グループ
フィッシュ》から小型魚雷、両足の六連装中型魚雷発射口から中型魚雷を発射。ディープフォビ
ドゥンたちも魚雷を放つ。動けないサンライトは避ける事が出来ず、全ての魚雷を受けてしまう。
「ぐあっ!」
 揺れるサンライト。TP装甲のため、機体が破壊されることは無いが、エネルギーは確実に消耗
する。水中ではサンライトのエネルギー源である太陽の光がほとんど届かない。しかもサンライト
はユーラシアのMS部隊との戦闘で少なからず消耗している。圧倒的に不利だ。
「どうしたの? 動きが鈍いわね。それとも、それがあんたの実力なの? だったら、ちょっと買い
被りすぎたかしら」
 あざ笑うレヴァスト。全ては彼女の計算どおりだった。
 ユーラシアの艦隊を使って、相手を消耗させたのも。
 絶対に勝てる水中戦に持ち込んだのも。
 そして、何より、
「感謝するわよ、ステファニー。あなたがこいつらの居場所を教えてくれたおかげで、最高のタイ
ミングで襲う事が出来た!」
「!?」
 国際救難チャンネルでの通信でレヴァストは叫んだ。ダンの通信機は、その叫びを捉えてしま
った。
 そう、全ては計算どおり。レヴァスト・キルナイトと、ステファニー・ケリオンの。



 死にたがり。
 ステファニー・ケリオンの事を、レヴァストはそう言った。
 そしてそれは、まさしくその通りだった。
 パナマでの戦いの後、ステファニーは変わった。危険な戦地に自ら飛び込み、多くの敵を倒し
た。
 恋人と親友を殺したナチュラルへの復讐。自分ではそう思っていたし、ナチュラルが邪悪な存
在である事を信じて疑わなかった。
 だが、現実は違っていた。この戦争を起こしたのは、コーディネイターの原点とも言うべき男、
自分たちと同じ存在だった。ナチュラルもコーディネイターも、奴の手の上で踊らされていたの
だ。
 そうと知った時、ステファニーの戦いは終わった。戦争は終わったが、ステファニーは愛する
人も、復讐すべき対象も失ってしまい、生きる目的を無くしてしまった。
 自殺も考えた。だが、それは出来ない。この命はアレンとライラが救ってくれたもの。自殺など
すれば、あの二人の死は無駄になる。だからステファニーは生き続けなければならない。死んだ
二人の分まで。
 だが、それはとても苦しい事だった。何の目的も無く、ただ生きているだけの肉の塊。それが終
戦後のステファニーだった。
 そんな彼女に声をかけたのがノーフェイスだった。ボロ布を纏い、乞食同然の姿になっていた
彼女を見つけ、こう言った。
「私と一緒に来たまえ。君が死ねる理由を与えてあげよう」
 ノーフェイスは言った。最強の戦士を、英雄を育てたまえ、と。
「世界の歴史に名を残す者。それが英雄。君はその英雄の、最強の戦士の糧となるのだ。その
者は君と出会い、戦う事によって成長し、更に強くなる。そして、君が死んだ後の世界を守るだろ
う。君の名もまた、歴史に刻まれる。それこそが君が生きた証、そして君を助けるために死んだ
者たちへの何よりの弔いとなる。違うかね?」
 未来を築く者の礎となる。
 確かに、死ぬ理由としてはこれ以上のものは無い。そう考えたステファニーは、もう少しだけ生
きてみる事にした。
 死ぬために生きる女、ステファニー・ケリオン。レヴァストと手を組んだのも、ダンたちと行動を
共にするようになったのも、彼らが自分の命を投げ出すのに相応しい者であるかどうか、見極め
るため。
『最低の女ね、私は』
 アルゴス・アイが受信したレヴァストの叫びを聞き、ステファニーはため息をついた。勝ち誇るレ
ヴァストは、ダンに対して通信を続ける。
「おかしいと思わなかった? この広い海で、どうして私たちがあなたたちを見つけることが出来
たのか。ステファニーが教えてくれたからよ。そして、水中戦なら絶対に私が勝てるとも言った。
その通りだったわね!」
 渦潮でこちらの動きを封じた上での魚雷攻撃。サンライトは手も足も出ない。サンライトがTP装
甲でなければ、初弾で破壊されていただろう。
「感謝するわよ、ステファニー。あなたと私が力を合わせれば、敵はいない! このゲーム、私た
ちの勝ちよ!」
 歓喜するレヴァスト。だが、ステファニーは全然嬉しくなかった。いや、むしろ不愉快な気分に
なっていく。
 不愉快? なぜ? 私の目的は、自分を殺すに相応しい英雄を育てる事。その為なら何でも
する。そのつもりだったのに……。



 レヴァストの全周波通信は、海上のミナたちにも伝わっていた。
「そんな……」
 信じられない、という表情で驚くミナ。一方、
「ちっ、あの金ぴか女、やっぱり裏切りやがったか」
「最悪の展開ですね」
「やれやれ。綺麗なバラには棘があるって言うけど、棘じゃなく毒針だったようだな」
 オルガ、ギアボルト、ルーヴェの三人はさほど驚いていない。昨日の敵が今日の友、仲間や雇
い主から裏切られる事も多い傭兵稼業の彼らにとっては、裏切り行為は日常的なものだ。いちい
ち驚くほどの事ではない。
 だが、ミナは違う。ついこの間まで普通の少女として暮らしてきたのだ。裏切られることも、裏切
ることも考えたことさえない。だから、彼女は叫ぶ。
「違います! こんなの、何かの間違いです! きっと敵の作戦です! 私たちを仲間割れさせ
ようと…」
「ミナさん。気持ちは分かりますが、自分も騙せない嘘を付くのは止めた方がいいです」
 動揺するミナを、ギアボルトが冷淡に制す。
「事実を見てください。この危機的状況にも関わらず、彼女は出撃しようとしない。私たちもダンさ
んも、助けるつもりが無いという事です。これは完全な裏切り行為です」
「ま、どうせいつかはこうなっただろうぜ。基本的に俺たちとあの女は敵同士だからな」
 モーガンの攻撃を捌きながら、オルガが言う。
「そうですね。それにこのゲームで勝ち残れるのは唯一人。いずれは戦う相手ですから」
 五機目のダガーを撃墜したルーヴェも頷く。
 そんな事はミナも分かっている。だが、それでも彼女には信じられなかった。信じたくなかっ
た。
「それは…そうだけど、でも、そんな事ない! ステファニーさんは、私たちを裏切ったりなんてし
ません! だって、だって……」
 明確な理由など無い。でも、ミナはステファニーを信じた。信じたかったのだ。その思いが、ミ
ナを叫ばせた。



「さあ、そろそろ死んでもらうわよ、ダン・ツルギ!」
 二機のディープフォビドゥンを下がらせ、アクアマーキュリーが最高速度で突っ込んできた。水
中用MSの常識を超えるほどのスピードだ。激流の中を漂うだけのサンライトに、この突撃をかわ
す事は不可能。
「終わりね」
 ステファニーはそう判断した。レヴァストも勝利を確信し、TP装甲さえ貫く三叉槍《クリュサオ
ル》を繰り出す。
 だが、二人の美女は気付いていなかった。《クリュサオル》の間合いは、サンライトにとっても攻
撃範囲となるという事を。
「待っていたぜ、この時を!」
 アクアマーキュリーの突撃と同時に、ダンは《サンバスク》に蓄えられていた全ての電力を開放
する。その膨大な電力はサンライトの右腕に注ぎ込まれた。その手が握っているのは、封印され
た聖剣《シャイニング・エッジ》!
「はああああああっ!」
 超高速の振りがアクアマーキュリーを襲う。気付いたレヴァストはかわそうとするが、時、既に遅
し。猛スピードで直進するアクアマーキュリーの顔と、常識を超えたスピードで振られた鞘入りの
《シャイニング・エッジ》が激突。アクアマーキュリーの巨体は吹き飛ばされた。
「うわあああああっ!」
 アクアマーキュリーは海底の岩場に叩きつけられた。もの凄い量の水泡が湧き上がり、衝突の
凄まじさを物語っている。
 まさに起死回生のカウンターだった。今までサンライトが反撃しなかったのも、激流に身を任せ
てほとんど動かなかったのも、全てはこの一瞬のため。敵の油断を誘い、力を蓄え、必殺の一撃
を放つための布石だったのだ。
「うっ、ぐ……」
 あまりの衝撃に意識を失いかけたレヴァストだったが、すぐに気を持ち直す。彼女も『独眼竜』と
呼ばれるほどのエースパイロットだ。精神力は半端なものではない。
 しかし、その彼女も驚かせるほどの報告が入った。アクアマーキュリーのコンピューターが機体
の破損を伝えていたのだ。
「そんなバカな! 水中で、このアクアマーキュリーが傷付くなんて、そんな事が!?」
 アクアマーキュリーはサンライトとは違いTP装甲ではない。だが、その装甲には特殊な金属が
使われている。サードユニオンが開発したこの金属は、水分を吸収することによって硬度を上げ
るという性質を持っている。その為、水中では鋼鉄以上に硬くなり、大型ミサイルの直撃にもビク
ともしない。水中のアクアマーキュリーを傷付ける事は不可能といってもいい、はずだった。
 だが、コンピューターはアクアマーキュリーの破損を伝えていた。破損箇所は頭部。鞘に収め
られた《シャイニング・エッジ》の一撃を受けた所だ。
「そんなバカな……。あのMSには、アクアマーキュリーの装甲を傷付けるほどのパワーがあると
いうの?」
 格下、手頃な獲物だと思っていた相手からの思わぬ反撃。レヴァストの背中に冷や汗が流れ
る。
「どうした、もう来ないのか?」
 ダンが通信を送る。
「だったら俺は行かせてもらうぞ。オルガやミナ、それにステファニーの奴を地球軍から助けてや
らないとな」
 ダンのその言葉には、レヴァストも、そして一部始終を見ていたステファニーも驚いた。
「ステファニーを助ける? お前を裏切った女を助けるですって?」
「ああ」
「はは……あはははははははは!」
 レヴァストは笑った。それは嘲りの笑いだった。
「なんてお人好し! なんて愚か! お前、まだあの女を信じているの? ステファニーはお前た
ちを裏切ったのよ。私と手を組んで、お前たちを騙して、殺そうとしたのに、それでも信じるという
の? なぜ? どうして?」
 その答えは、ステファニーも知りたかった。だから耳をすませて、ダンの言葉を待つ。
 そして、ダンとほぼ同じ瞬間、ミナも叫んだ。



 ダンは言った。
「俺はあの女を仲間として受け入れた。信じると決めた。だから信じる。それだけだ」
 その口調には、一片の迷いも無い。



 ミナは叫んだ。
「ステファニーさんは美味しいご飯を作ってくれました! 美味しい紅茶も入れてくれました! 
美味しいものを作る人に悪い人はいません! 絶対にいません!」
「……………………………」
 聞く者全てを唖然とさせる、珍妙な倫理。ちなみにこれはミナの母、シェーナが言っていた事
である。



「はっ、出会ってまだ数日の女を本気で信じているというの? あんた、ちょっとおかしいわよ!」
 レヴァストの言う事はもっともである。ステファニーもそう思った。
 そして、ミナの言葉に対しても、オルガが呆れていた。
「お前なあ……。まあ、何となく分かるけど、それでもそんな理由で他人を信じるんじゃねえよ」
 ステファニーも同じ気持ちだった。そしてやはり、少し呆れていた。
 これに対する二人の回答は、

「時間は問題じゃないだろう。長年一緒に過ごしてきた者同士でも、憎み合っている奴らはいる。
あの女は悪い奴じゃない。だから俺は信じる」
 とダンは言い、

「そんな理由でも、それでも、私は信じます! 人を疑うのは嫌な気分になるし、裏切るのはもっ
と嫌です。きっとステファニーさんだって、同じ気持ちのはずです。だから私は、ステファニーさ
んを信じます!」
 とミナは言った。

 二人の答えを聞いたステファニーは呆れた。ダンやミナにではない。自分自身にだ。
『私は……誰かに信じてもらえるような女じゃない。ただ、死に場所を求めているだけのバカな女
……』
 ステファニーは艦長席から立ち上がった。そして、走る。



 ミナのお人好しにも程がある発言に、オルガは深いため息をついた。
「ったく、とんでもないバカだな、お前は。もういい、その話は後だ! 今はこいつらを何とかする
方が先だ!」
 モーガンのダガーのビームサーベルによる攻撃をかわしながら、オルガは言った。ミナたちと
の会話中、ずっと敵の攻撃をかわし続けていた。
「先生」
 ギアボルトからオルガへ通信が入る。
「どうした?」
「バスターダガーのライフルの砲身が限界に近づいています。これ以上、敵の砲撃を相殺する
のは不可能です」
「そうか。まあ、よく持った方だな」
「はい。ミナさんの整備のおかげです」
「よし、ギアは下がれ! ルーヴェは雑魚掃除を続けろ! 俺はこいつとケリをつける!」
 オルガのデュエルダガーがビームサーベルを抜く。それを見たモーガンは微笑を浮かべる。
「ふん、逃げ回っているばかりで失望していたが、ようやく来るか。ならば!」
 モーガンのダガーもビームサーベルを手にした。
 次の一撃が最後になる。モーガンもオルガも、そう確信した。お互いに唾を飲み込んで、機会
を伺う。
 息詰まる時の中、ミナからオルガたちへ通信が送られてきた。
「オ、オルガさん、大変です! ゴールデン・ゲート・ブリッジが、ステファニーさんの艦が!」
「!?」
 オルガが少し心を乱した一瞬、
「もらった!」
 モーガンのダガーが切り込んできた。



 レヴァストの怒りは頂点に達した。
「お前たち、あのお人好しのバカを殺せ!」
 後ろに下がっていたディープフォビドゥンたちに指示を出す。レヴァストの手によってAMS(オ
ートモビルスーツ)に改造された二機は、凄まじいスピードで襲い掛かる。
「くっ!」
 TP装甲も限界に近い。この状態で強化されたディープフォビドゥンの攻撃を受けては……。

が、電力をほとんど使ってしまったサンライトは動きが鈍く、敵の攻撃を避けられない。
 唇を噛み締めるダン。その時、
「!」
「な、何ですって!? あのMSは…」
 深海の闇の中でも美しく輝くその体。それはさながら、水の中に現われた黄金の太陽。
「サンダービーナス! なぜここに!」
 レヴァストが驚いている間に、サンダービーナスは華麗なる舞を見せた。敵は二体のディープ
フォビドゥン・AMS仕様。恐れも躊躇いも知らない脅威の殺人機械だが、サンダービーナスの
敵ではない。左足の回し蹴りで、一機の頭部を破壊。続いて右足のアーマーシュナイダーで動
力部を貫き、爆発させる。間髪を空けず、近づいてきたもう一機の懐に飛び込み、腹部を手刀
で貫く。
 一切の無駄が無い、完璧な動き。それは一つの芸術だった。だが、その完璧な動きが、レヴァ
ストの怒りを更に高める。
「ど、どういう事なの、ステファニー! 私の邪魔をするなんて、どうして!」
 怒気を露にするレヴァストに対し、ステファニーは淡々と答えた。
「ごめんなさい。貴方との同盟は、ここで破棄するわ」
「な、何ですって! どうして! このゲーム、私たちが手を組めば必ず勝てるのに…」
「私の目的はゲームに勝ち残る事じゃないわ。私を殺してくれる人を育てて、そして、殺される
事。でも、それは貴方じゃない。貴方は弱過ぎるわ」
「! 私が、弱い……ですって?」
 その言葉は、女戦士のプライドを大きく傷付けたようだ。しかしステファニーは意に介さず、話
を続ける。
「貴方はダン君たちを倒すため、嫌っている義理の父親に頭を下げて、この艦隊を連れてきた。
私を始め、使えるものは全て使って、確実に敵を倒そうとする。勝利を求める戦士としては間違
っていない。でも、それは自分の力に、心に自信が無いという証でもあるのよ。だから自分以外
の力に頼り、利用しようとする。弱い事そのものは問題じゃない。でも貴方は、自分の弱さを自覚
していない。それでは絶対に強くならない。私が求める者には絶対になれない」
 ステファニーはダンのサンライトに視線を移した。
「でも、ダン君は違う。自分が弱い事を自覚している。それでも心は誰より強い。人を信じ続ける
ことは、人を疑うことより困難だわ。強い心は強い力を生む。ダン君はもっと強くなる。私よりも、
誰よりもね。そして罪深い私を殺してくれる。必ず」
「!」
 褒められたダンだが、全然嬉しくなかった。当然だ。仲間だと信じていた女性の目的が、自分
に殺してもらう事だったのだから。
 一方、レヴァストの怒りは、ついに頂点に達した。
「そう……。使い勝手のいい道具になりそうだから、気に入ってたんだけど残念だわ。自殺するこ
とも出来ない、臆病者の死にたがりの分際で、この私に逆らうって言うの?」
「ええ、そうよ。死にたいからこそ、私を殺す相手は自分で決めるわ。そしてそれは貴方じゃな
い」
 それは完全なる決別を告げる言葉であり、最後通告だった。二人の女の間に緊張が走る。
「ダン君、貴方は上に戻って、艦に乗りなさい。そろそろ上も激しくなるはずよ」
「えっ?」
 直後、凄まじい爆音と振動が、海上から響いてきた。海底の地面も揺らすほどの衝撃が、海に
響き渡る。
「ス、ステファニー! あんた、一体何をしたのよ!?」
 それはダンも訊きたかった。ステファニーはニッコリ微笑み、
「大した事じゃないわ。私の艦をユーラシアの艦隊に突っ込ませて、自爆させただけよ。今頃、
上は大混乱ね」
 と答えた。恐ろしい女だ。あらゆる意味で。
「行きなさい、ダン君。ここは私が食い止めるわ」
「で、でも…」
「心配は要らないわ。私もサンダービーナスも、貴方以外の奴に負けるつもりは無いから」
「……………」
 再びダンの心に少しだけ怒りが沸きあがる。いや、今はそんな事を気にしている場合ではな
い。上の様子も気になるし、エネルギーが尽きかけている今のサンライトは、ただの足手まとい
だ。
「分かった。でも、すぐに戻るから…」
「戻る必要は無いわ。オルガ君たちに作戦は伝えてあるから、彼の指示どおりに動いて」
 ステファニーの命令にダンは少し迷ったが、頷き、海上へと昇っていく。
 追撃のチャンスだが、レヴァストはダンを追わなかった。今の彼女が憎み、殺すべき相手はダ
ンではなく、道具の分際で自分を裏切った女だからだ。
「殺してあげるわ、ステファニー!」
「貴方には無理よ、レヴァスト」
 女たちの戦いが始まった。



 ハルヒノ・ファクトリーの甲板に戻ったダンは、信じられない光景を目にした。
 広い甲板を埋め尽くすかのごとく、大量のダガーやストライクダガーが倒れている。ざっと数え
ただけでも二十機以上。これだけの数のMSをたった三機で倒したのだ。カラミティ・トリオ、恐る
べし。
 だが、カラミティ・トリオの方も無事ではなかった。ダガーたちと似ているが、微妙に違うMSが
倒れている。オルガのデュエルダガーだ。右腕と左足が切り落とされている。
「まさか……!」
 顔を青くするダンの耳に、
「お、戻ったか、ダン。魚の餌にはならなかったようだな。やるじゃないか」
 と、通信機から聞き慣れた男の声が飛び込んできた。
「……あんたも元気そうだな。オルガ」
「何とかな。けど、デュエルはもう使えないがな」
 確かに、オルガのデュエルダガーは右腕と左足だけでなく、機体のほとんどの箇所が傷付い
ている。これを全て直すぐらいなら、新品のMSを手に入れた方が早いだろう。
「ルーヴェのジンもオシャカになっちまった。フレームそのものがボロボロなんだとよ。まあ、二機
ともかなり無理させちまったからな」
 モーガンとの戦い、油断したオルガに迫るビームサーベルの刃を、ルーヴェのジンは身を挺し
て防いだ。幸いコクピットは外れたが、ルーヴェのジンは背部のスラスターを切り落とされてしま
った。
 庇われたオルガは、怒りの反撃。凄まじい攻撃でついに『月下の狂犬』を追い詰め、とどめをさ
そうとしたその時、ユーラシア艦隊の方角から大きな爆発音が聞こえてきた。
「あの女のせいで、折角の獲物に逃げられちまった。ったく、余計な事をしやがって」
 掴みかけた勝利を逃して、不機嫌なオルガ。だが、残りの三人はそれとは正反対の意見だっ
た。
「まあまあ。ステファニーさんのおかげで、ユーラシア軍は退いてくれたんですから」
「そうですね。自分の艦を犠牲にして、私たちを助けてくれた。見事な作戦です」
「うん、そうね。ダンも助けてくれたし、やっぱりステファニーさんはいい人だったのよ!」
 と、ルーヴェもギアボルトもミナも、ステファニーを褒め称える。
 どうやら海中でのダンたちの会話は届いていなかったらしい。オルガたちはステファニーの『本
当の目的』については知らないようだ。彼女がダンを助けてくれたのは、自分を殺す者として認
めたからなのだ。
「ダン、お前もさっさと艦の中に戻れ。ミラージュコロイドはまだ使えないが、飛ぶのには問題な
い。この艦を飛ばすぞ!」
「分かった。それもステファニーさんの指示なのか?」
「ああ。あの女、『遅れたお詫びに、全てを片付けるわ』なんて自信満々に言いやがった。だから
お手並み拝見しようと思ってな」
 MS部隊はほとんど倒したとはいえ、それでも戦力はまだユーラシアの方が上だ。戦艦群がハ
ルヒノ・ファクトリーに砲門を向けている。
 ダンのサンライトが艦内に収容されたのと同時に、敵艦の砲撃が始まった。ギアボルトという『砲
台』が出撃できない以上、このままでは確実に落とされる。しかし、まだ逃げ道はある。
「エネルギーは全てドライブ機関に回せ! 一気に飛ぶぞ!」
「了解!」
 オルガの指示に、舵を取るルーヴェが答える。艦隊の砲撃をかわしながら(何発か食らった
が)、ハルヒノ・ファクトリーは海面から浮上した。



「死ね、裏切り者!」
 レヴァストの怒りの代弁者、アクアマーキュリーの攻撃。無数の小型魚雷と十二発の中型魚雷、
そして左腕の巨大な盾《トリシザース》から放たれた四発のアンカーダートがサンダービーナスを
襲う。
 しかし、サンダービーナスには当たらない。魚雷も、鋭いアンカーダートも全て、あっさりとかわ
した。サンダービーナスは水中用MSではないが、ステファニーの操縦技術と、三機の無限発
電装置《ストロングス》が生み出す膨大なパワーによって、水中を自在に動き回る。その人魚のよ
うな見事な動きが、レヴァストの機嫌を更に損ねる。
「ちっ、ちょこまかと! 私の信頼を裏切ったくせに、さっさと死になさいよ!」
「貴方が信頼していたのは、貴方にとって都合のいい、役に立つ道具としての私でしょう? そん
な風に信頼されても嬉しくないわ」
「ふん、だから、あいつらの方へ寝返ったの? 人間扱いしてくれる、あのお人好しどもに!」
「そうね。あそこまで信頼されると、答えたくなるわ。一応、これでも人間だから」
「死にたがりが、よく言う!」
「臆病者に言われたくはないわね」
「何ですって!」
「図星でしょう? 貴方が私と手を組んだのは、私と貴方が似ているからじゃなくて…」
 サンダービーナスはいきなり加速して、アクアマーキュリーに接近する。アクアマーキュリーは
手にした《クリュサオル》で突き刺そうとするが、その一撃はかわされ、サンダービーナスに懐に
飛び込まれた。サンダービーナスはアクアマーキュリーの半壊した頭部を掴み、破損した箇所
に指先を突っ込む。
「私が貴方の『天敵』だから、でしょう?」
「!」
 その通りだった。
 サンダービーナスの無限発電装置《ストロングス》に使用されている特殊金属は熱に弱いた
め、通常では長時間の戦闘には耐えられない。だが、水中では海水を取り込み、常に冷却する
ため、活動限界時間が地上より大幅に伸びる。そしてよく知られている事だが、水の中、特に海
水は電気を伝えやすい。
「どんなに強固な鎧も盾も、雷の前では無力!」
 三機の《ストロングス》がフル稼働する。わずか数秒で常識を超えるほどの電気が生み出され、
そして、
「さようなら、レヴァスト・キルナイト」
「!」
 稲妻が海中を走った。



「ひどいもんだな、こりゃあ」
 オルガに敗れながらも、何とか母艦に戻ったモーガン・シュバリエは、目の前に広がる惨状に
言葉を失った。
 MSや戦闘機、兵士たちの腕時計に至るまで、全ての機械が使い物にならなくなっていた。艦
本体も動力部やメインコンピューターが破損し、動けなくなってしまった。艦のあちこちから火が
出ている。だが、消火活動はまったく行なわれていない。スプリンクラーが機能停止している上、
乗員のほとんどが失神しているのだ。白目を向いている者もいる。
 全てはサンダービーナスの仕業だった。あの黄金のMSが放った強烈過ぎる電流は、海上に
まで及び、浮上していたハルヒノ・ファクトリー以外の全ての艦を感電させたのだ。
 『水中からの電撃により攻撃』など、まったく想定していない戦艦群は、ひとたまりも無く、全艦
機能停止。火災や負傷者の救助などで忙しく、逃げた敵艦の追撃をしている暇も無い。
 サンダービーナスが電撃を放った時、モーガンのエールダガーは水上を滑空していた。彼は
わずか数秒差で、地獄の電撃から逃れる事が出来た。その点については幸運と言えるだろう。
 だが、母艦に帰って来た彼に休息は無い。まともに動ける者はほとんどいないのだ。火災の消
火、負傷者の手当て、無事だったMSの通信機を使用しての救助要請……。感電していた方が
良かったかもしれない、と思うほどの忙しさだ。
「まったく、年寄りをこき使いやがって。そういえば、あの女はどうした?」
 この海域に来る前まで、モーガンの艦に乗っていた女。右目の辺りを青い長髪で隠した美女。
いや、確かに美人だが、どこか冷たく、他人を見下した様子があり、モーガンは好きではなかっ
た。
 艦隊司令に偉そうに指図した後、どこかへ行ってしまった。あの女はどこへ行ったのだろう
か?
「ふん。まあ、どうでもいいか。どちらにせよ、我々の負けだということに変わりはない」
 そう、まさにモーガンたちの完敗だった。数では圧倒的に勝っていたのに、結果は笑ってしま
うほどの大敗。これほどの大敗は、二年前の大戦の初期、アフリカ戦線で【砂漠の虎】バルトフェ
ルドの部隊に敗れた時以来だ。
「やれやれ。もう一度、戦術の勉強をし直すか」
 敗北はしたが、悔しくはなかった。数で劣りながらも、自分たちを完璧に負かした相手に、モー
ガンは尊敬の念さえ抱いていた。



「クソッ、クソッ、こんな、こんなバカな事が!」
 戦闘から数分後、レヴァスト・キルナイトは遠方に待機させていた自分の艦、オケアノス級輸送
戦艦『アトランティス』に帰って来た。だが、その心中は穏やかではない。悔しさのあまり、頭が沸
騰しそうだった。
 完敗だった。アクアマーキュリーはサンダービーナスの電撃を耐える事が出来ず、機能の大
半が停止してしまった。かろうじて推進系は無事だったが、これでは戦闘は無理だ。レヴァスト本
人も感電しており、操縦桿を握る手に力が入らない。
「ぐっ…」
 悔しがるレヴァストに、勝利したステファニーはこう言った。
「今まで手を組んでいた好で、一度だけ助けてあげるわ。さっさと私の前から消えなさい。手加減
してあげたから、推進系は無事なはずよ。自分のお家にぐらいなら帰れるでしょう?」
 負けた。そして、見逃された。
「あんな女に、あんな、人生を無駄に生きているクズ女に、あんな死にたがりの女に、この私が負
けた! 見逃してもらった! ぐううううううっ!」
 それは戦いの中に生き、戦いの中で死ぬ事を選んだ女、レヴァストにとって、耐え難いほどの
屈辱だった。
「ステファニー・ケリオン! 許さない、あんただけは絶対に許さない! 殺してやる、あんたは私
が絶対、必ず殺してやる!」
 無限に膨らむ憎悪と殺意を胸に、レヴァストは復讐を誓った。
 女たちの戦いは、まだ終わらない。



 激闘の海域から少し離れた所にある小島に、ハルヒノ・ファクトリーは着陸していた。ダンたち
全員、甲板に集まり、海の方を見ている。
 沈む夕日の光が、海を幻想的に彩る。自然が作り出す芸術だ。
 そして、美しく輝く波間の中から黄金の女神が現われた。サンダービーナス。ダンたちを裏切
り、でも助けてくれた女、ステファニー・ケリオンのMSだ。
 サンダービーナスは海から飛び出し、ハルヒノ・ファクトリーの広い甲板に着地した。操縦席の
扉が開き、ステファニーが降りて来た。
「…………」
 彼女は何も言わずに歩き、そして、ダンの前に立った。その青い瞳は、ダンの黒と金の瞳を見
つめている。
「私の艦、貴方たちを助けるために自爆させちゃった。私にはもう帰る所が無いの。だから、今日
からこの艦に正式に住ませてもらうわ。いいでしょう?」
 悪びれず、そう言うステファニー。
「てめえ、俺たちを裏切って、敵を呼び寄せておいて…」
 オルガが詰め寄ろうとしたその時、乾いた音が響き渡った。それは、人の頬を打つ音だった。
 打たれたのはステファニー。右の頬が赤く腫れている。そして打ったのは、
「ダ、ダン!」
 ミナが驚くほど、意外な人物だった。ダンは辛そうな表情をする。
「女を殴るのは気分が悪い。これが最初で最後だ」
 そう言ってダンは、オルガたちの方を見る。
「言いたい事は色々あるだろうけど、これで勘弁してやってくれ。こいつはもう、俺たちを裏切ら
ないはずだ」
 あっさりと、だが断言するダン。そう言われては、オルガたちも何も言えない。
「ふん。そう願いたいものだな」
 オルガはそう言って、ステファニーを睨む。
「裏切ったのは許せないが、助けてくれたので帳消しにしてやる。だが、俺はダンたちほどお人
好しじゃない。次に裏切った時は、殺すぞ」
「ええ、分かったわ」
 ステファニーは頷いた。
 これで一応、和解成立。そして、
「よし、これで終わりだ。戦いすぎて腹が減った。メシにしよう」
 ダンのこの言葉で、一同の間にあった緊張が解かれる。
「うん、そうね。今日は色々あったから、お腹ペコペコだわ。美味しいご飯が食べたーい!」
「不思議ですね。ミナさんは今回の戦闘では何もしていませんでしたが、それでもお腹が空くん
ですか?」
「ギ、ギアちゃん……」
「ギアボルトさん、容赦ないなあ」
「あいつも腹が減って、機嫌が悪いんだろう。俺たちまで悪く言われないうちに、メシを食わせた
方がいいな。行くぞ」
 食堂に急ぐオルガたちの後ろを、ダンとステファニーが並んで歩く。ダンはステファニーに近

き、
「俺はお前を殺さないぞ」
 と、小声で言った。
「お前の望みは分かった。でも、その望みは叶わない。俺はお前を殺さない。絶対にな」
「…………」
 ステファニーは何も言わなかった。仲間にはなったが、二人の心の間には、未だ分厚い壁が
存在していた。



 地球連合軍、グリーンランド基地。
 氷原の下に築かれたこの基地には、アラスカから移転した地球連合軍の最高司令部が置かれ
ており、地球防衛の要となっている。
 巨大な基地の一角、とある将校の執務室に、三人の軍人が呼び集められていた。
 地球連合軍、第八宇宙艦隊副司令、ナタル・バジルール大佐。
 カリフォルニアMSパイロット養成訓練所の所長、ムウ・ラ・フラガ中佐。
 そしてナタルの部下であり、彼女が乗る戦艦の操舵士を務めるアーノルド・ノイマン中尉。
 三人の前には、口ひげを生やした初老の男性が椅子に腰を下ろしていた。髪の毛がほとんど
無い頭と、少し出た腹、そして優しい目つき。穏やかそうな人物だが、どことなく威圧感を感じさ
せる。
 彼の名はシグマン・ウェールズ。地球連合軍の中将で、ムウたちの直属の上司である。その隣
には、ムウの妻であり、ウェールズ中将の側近を勤めるマリュー・ラミアス少将(軍では夫婦別姓)
が立っていた。
 ウェールズは、呼び集めた三人に命令を下す。
「先日、ディプレクターから、トリニティ・プロジェクトの第一段階が終了したとの報告が入った。ザ
フトの方も例の新型MSと最新戦艦が完成したそうだ。近々、パイロットたちと共に地球に降下さ
せるとの事だ」
「ほう、それはそれは。トリニティ・プロジェクトは順調に進んでいるようで。責任者である中将も一
安心ですね」
「フラガ中佐!」
 中将に対して親しげに接するムウを、マリューが嗜める。だが、ウェールズは気にした様子も無
く、
「いやいや、構わんよ。こいつとは新兵の頃からの付き合いだからな」
 と、にこやかに答える。苦笑するムウ。この人当たりのいい上司が、ムウは好きだったが、少し
だけ苦手でもあった。
「さて、こちらもそろそろ動く事にする。オーブからの報告では、TRP−MS−001・シュトゥルム
は最終テストを残すのみ。AA級六番艦・プリンシパリティの改良も近日中に完了するとの事だ。
君たち三人はオーブへ行き、ディプレクターのバルトフェルド司令の指揮下に入りたまえ。以後
は彼の指示を仰ぎ、地球圏の平和のために尽力してくれたまえ。健闘を祈る」
「ハッ!」
 三人は揃って敬礼する。マリューとウェールズ中将も、敬礼を返す。
 彼等の願いは唯一つ、この世界の永遠の平和。それを実現するための力を手に入れるため、
三人は運命の地へ向かう。

(2004・8/7掲載)

次回予告
 異なる文明が交差する町で、ルーヴェ・エクトンはある女性と再会する。
 そして、その女性もまた、懐かしき一人の少年と出会う。
 それは彼女の罪の証。救えなかったはずの命。死んだはずの子供。
 だが、彼は生きていた。その身に、想像を絶するほどの憎悪と狂気と殺意を宿して。
 少年の名は、ノイズ・ギムレット。時の流れでさえ癒せぬ怒りを胸に、復讐劇のベルを鳴
らす。

 次回、機動戦士ガンダムSEED鏡伝2、絶哀の破壊神、
 「よみがえった悪夢」
 忌まわしき過去を葬れ、ハリケーンジュピター。

第10章へ

鏡伝2目次へ戻る