第3章
 吹き荒れる魔風

 誰も知らない、とある場所。暗闇に包まれたその世界に数人の人物が立っていた。
「約束のブツは持ってきたぜ。報酬は払ってくれるんだろうな?」
 そう言って傭兵集団カラミティ・ペア、いや、先日カラミティ・トリオと改名した一団のリーダー、
オルガ・サブナックは相手を睨む。
 睨まれた方は平然としている…のかどうかも分からない。覗き穴一つ無い銀の仮面で顔そのも
のをを完全に隠しているのだ。
 仮面の男は、黙ってオルガに鞄を渡した。オルガは受け取り、中身を確認する。使い古しのア
ースダラー札がぎっしりと詰め込まれていた。
「確かに。おい、ブツを持って来い」
 報酬を確認したオルガは、控えていた仲間に通信を送る。程なくギアボルトが操縦するバスタ
ーダガーと、ルーヴェのジンが現われた。ルーヴェのジンは、先日奪い取ったダークネスの翼を
背負っており、それを地に下ろす。
「うむ。本物の《アポロン》のようだ。こちらも確かに受け取った。ご苦労だったな、オルガ・サブナ
ック君」
「なあに、仕事だからな」
 不適に微笑むオルガ。実に堂々とした態度である。
「君たちの活躍についてはクルフ・ガルドーヴァから聞いている。あの『漆黒のヴァルキュリア』を
相手に、見事な戦いぶりだったそうだな」
「三対一で勝っても、自慢にならねえよ。一番の功労者(ギアボルト)はご機嫌斜めだしな」
「? なぜだね?」
「遠くから騙し討ちするなんて卑怯すぎる。正々堂々と戦って勝たないと意味が無い、ってさ」
 それは傭兵としては、あまりに馬鹿げた考えだ。だが、ギアボルトにとって、ガーネット・バーネ
ットとはそういう拘りを抱いてしまう宿敵(あいて)だった。自分を殺した相手への憎しみと怒り。そ
れを超えるためには、ギアボルトはガーネットと戦って、勝たなければならない。騙し討ちではな
く、互いの実力を出し合い、正面からの真剣勝負。実力で勝たなければ意味が無いのだ。
「ふむ。君も部下たちも、なかなかの強者だな。実は君たちの腕を見込んで、新しい仕事をお願
いしたいのだが、やってもらえるかね?」
 仮面の男、ノーフェイスの問いに対してオルガは、
「報酬次第だな」
 と、傭兵らしく答えた。
「君の言い値で構わん」
「気前がいいな。で、仕事の内容は?」
「うむ。実は……」
 結局、オルガたちはこの仕事を引き受け、直ちに地球に降りた。
 そこで待っていたのは、更なる戦い。そして、地獄。



 その日、オーブ共和国の国際空港には厳重な警戒態勢がしかれた。いや、空港だけでない。
町中に警官が配備され、道路には多数の検問が設置された。オーブという国全体が緊張に包ま
れていた。非常に居心地が悪いが、仕方がない。これからこの国に来る人物は、何があっても守
り抜かなければならない。オーブの為にも、そして、この世界の為にも。
 午後一時、空港に一機の飛行機が降り立った。
 タラップから降りてきたその人物は長旅の疲れを見せる事無く、出迎えの人たちに笑顔を向け
た。そして、彼らの中から一歩出て来た人物と手を握る。
「オーブへようこそ。久しぶりだな、ラクス」
「ええ、カガリ様もお元気そうで何よりです」
 今、世界で最も有名な二人の少女は、久方ぶりの挨拶を交わした。



 オノゴロ島のモルゲンレーテ社の工場の一角に、スクラップと化したパーツ用の倉庫がある。
使い物にならなくなったMSのパーツなどが、倉庫の中に山のように積まれている。
 この処分に困るゴミの山も、春緋野整備工房の面々にとっては宝の山だ。社長のタケシ・ハル
ヒノの指示の下、社員たち(総数二名)は作業用のジンを使って、パーツをトラックに積み込んで
いく。
 モルゲンレーテから格安で引き取ったパーツを修理して、安値で売る。これが春緋野整備工
房の基本である。元手がほとんどかからない、堅実な商売だ。モルゲンレーテとしても、高い金を
払ってゴミを国に処分してもらうより、引き取ってくれる側が金を払ってくれる方がいい。タケシが
元モルゲンレーテの重役という繋がりもあるが、両社は理想的な共存共栄の関係にある。
 二台の作業用ジンがスクラップを運んでいる。いずれもシロウトとは思えない動きだが、特に右
肩に《一》という数字が書かれた一番機。重い荷物も難無く運び、品に傷をつける事も無い。無
駄な動きが一切無い、完璧な操縦だ。
「凄い……」
 二番機に乗るミナ・ハルヒノは、一番機の動きに見とれていた。先日までは彼女が春緋野整備
工房ナンバー1パイロットだった(といっても社員はミナとタケシと母のシャーナだけだが)のだ
が、あっさりその座を取られてしまった。だが、悔しくは無い。元々それほど拘りがある訳ではな
いし、一番機のパイロットとミナではレベルそのものが違う。例えるならば竜と蛇。象とアリ。比べ
ること自体が無意味というか無謀というか。それほどの差だった。
 一番機の操縦席には一週間前にミナたちを助けてくれた、あの少年が座っている。
 ダン・ツルギ。
 記憶を失ったこの少年が、唯一覚えていた名前。それが少年の本当の名かどうかは分からな
いが、名無しのままでは不便なので、少年はその名を名乗ることにした。
 一応、調べてみたが、オーブには『ダン・ツルギ』という名の人物はいなかった。頭のケガを病
院で見てもらった際、彼がナチュラルかコーディネイターか調べてもらったのだが、結果は『不
明』。遺伝子を操作された形跡は無いのだが、頭脳、体力、治癒能力全てにおいて、ナチュラ
ルの域を超えている。調べた医者が頭を抱えていた。
 ますます謎が深まったこの少年を、ミナの父タケシは自分の家に住まわせる事にした。記憶も
行く当ても無い子供を放り出すのは気分が悪いし、ここで会ったのも何かの縁だろう、と妻と娘に
相談。妻のシャーナも、ミナも反対しなかった。
 こうしてダンは、ハルヒノ家の居候となった。そして、
「タダ飯を食べるのは気が引ける」
と整備工房の仕事を手伝うようになった。
 ダンの仕事振りは、とても素人とは思えなかった。単純な子供のオモチャの修理から、複雑な
コンピューターの分解・組み立てなど、教えてもいないのに、ほとんど全ての仕事が出来るのだ。
また、MSの操縦に関してはプロ級の腕だった。作業用MSをまるで自分の手足の如く自在に操
り、タケシやミナたちを驚かせた。
「シロウトじゃないな。どこかで訓練を受けていたのか、あるいはプロだったのか……」
 モルゲンレーテに勤めていた頃、多くのテストパイロットたちを見てきたタケシも、ダンの操縦技
術には絶句した。これほどの技術をどこで身につけたのか?
 謎はまだある。森の奥に墜落していた、あの小型飛行機。ダンの指紋が登録されているので、
彼がこの飛行機に乗っていたのは間違いない。だが、この飛行機は一体どこから飛んできたの
か?
 ダンの飛行機は、主翼が通常の飛行機とは逆向きに付いている。上から見たら、翼がブーメラ
ンのような形状をしている。俗に『前進翼』と呼ばれる種類の翼だ。この特徴的なデザインの翼は
オーブ軍やモルゲンレーテ製の飛行機には使われておらず、ダンの飛行機がオーブ軍やモル
ゲンレーテの物ではない事を証明している。
 まったく、謎の多い少年だ。しかし、ミナは彼の事が嫌いではなかった。仕事はきちんとやって
くれるし、口数は少ないが、意外と気が利くし。笑顔を見せてくれた事は無いが、記憶喪失であ
る事を考えれば当然だ。自分は一体何処の誰なのか、不安で堪らないはず。だけどそんな様子
は顔に出さず、ミナたちの仕事を手伝ってくれる。雨の中で自分のケガを省みず自動車を押し
てくれた事といい、基本的に『いい人』、そして『強い人』なのだろう。
「? おい、どうしたんだ、ミナ。ボーッとして」
 ミナ機の動きが止まっている事に気付いたダンが、通信を送ってきた。
「う、ううん、何でもない」
 少し顔を赤らめ、ミナは仕事を再開した。
 トラックの運転席に座るタケシは、この様子を見て微笑んでいた。ダンがどこの誰かは知らない
が、悪い人間ではない。このままウチに居てくれてもいいかな、と考えていた。



 市の中心部にある五十階建ての高層ビル。オーブ随一の高さを誇るこのビルが、特別武装民
間組織・ディプレクターの本部である。常時五百人以上の職員が働いており、ナチュラルとコー
ディネイターが共存する平和な世界の実現を目指している。
 ビルの最上階にある大会議室には、緊急招集されたディプレクターの首脳陣が集まってい
た。組織代表のラクス・クライン、ナンバー2の地位にあるアンドリュー・バルトフェルドはもちろ
ん、欧州支部長のスカイ・アーヴァンら各支部の支部長も出席している。
 だが、北米支部長のキラと、プラント支部長のガーネットの姿は無い。二人の代わりに、副官で
あるダコスタとヴィシアが出席している。
 オーブ共和国臨時大統領であるカガリ・ユラ・アスハと、彼女の護衛を勤めるアスラン・ザラもゲ
ストとして席に座っていた。
 会議の議題は、最近の不穏な世界情勢について。一週間前のニューヨーク壊滅と、その後に
世界各地で起こったブルーコスモスによる連続テロ。そして、三日前の《アポロン》強奪事件。
「全ての事件が、根っ子の方で繋がっていると考えた方がいいだろうな」
 バルトフェルドのこの考えに異を唱える者はいなかった。続いて、ヴィシアが発言する。
「リ・ザフトの動きも気になります。潜入させているスパイからの報告では、上層部が妙な動きをし
ているようです」
「妙な動き、とは?」
 と、ダコスタが質問する。
「詳しい事は不明ですが、かなりの大物がスポンサーについたようです。傭兵を雇ったり、新型
MSを裏ルートで手に入れたり、プラント議会の議員と接触したりと派手に動いています。デスフ
レイム隊にも出撃準備をさせているようです」
 デスフレイム隊とはリ・ザフト最強のMS部隊である。その勇名は組織の内外に広まっており、
侮れない影響力を持っている。
 ブルーコスモスに続き、リ・ザフトまで復活させるわけにはいかない。ラクスはリ・ザフトへの調査
を続けるよう、バルトフェルドに指示を出した。バルトフェルドは頷き、
「ブルーコスモスの復活と、リ・ザフトの異変。どちらも裏で何かが動いてますね」
 と推測する。恐らくその推測は当たっているだろう。だが、その『何か』が分からない。ラクスは
神妙な面持ちで発言する。
「ブルーコスモスでもリ・ザフトでもない、第三の組織……。正体は分かりませんが、はっきりして
いる事があります。それは、その組織がわたくしたちにとって、そしてこの世界にとって、歓迎す
べき存在ではないという事です」
 ラクスの言うとおり、一連の事件の裏にその組織の暗躍があるとすれば、彼らの所業は許され
るものではない。何としてもその正体を暴き、潰さなければならない。
 頷き合う一同。カガリとアスランも同じ意見だった。
 その時、末席に座っていた男が口を開いた。
「代表のおっしゃる通りですな。そして、この世界を守るためにはディプレクターも戦力を強化し
なければなりません。及ばずながら我々も手伝いましょう。世界の平和の為に」
「ありがとうございます、ミシェイル様。エンキドゥ・カンパニーのご協力には、いつも感謝していま
す」
 ラクスが頭を下げる。ミシェイルと呼ばれた男は微笑んで、
「いえ、これは全て社長の意志です。まあ私個人としても、同じ気持ちですがね」
 と、返事をした。
 二人のやり取りを見ていたカガリは、隣に座っているアスランに小声で尋ねる。
「なあ、アスラン。あいつは一体、誰なんだ? 初めて見る顔だけど」
「ああ、カガリは会うのは初めてだったな。あの人はミシェイル・ホーガン。エンキドウ・カンパニー
の社長秘書だよ。君が欠席したこの前の定期会議から、社長代行として出席している。新人の秘
書だけど、社長の信頼は厚いようだ」
「ふーん。悪い奴じゃ無さそうだな。ちょっと胡散臭いけど」
「カガリ……」
 苦笑するアスラン。オーブの臨時大統領として、多くの大人たちと接してきたカガリは、自然と
人を見る目が養われている。どこかミステリアスな雰囲気を漂わせるミシェイルは、確かにちょっと
胡散臭い。
 それでもカガリは、丁寧な物腰で話すミシェイルに好感を持ったようだ。それはアスランやラク
ス、バルトフェルドたちも同じ気持ちだった。出会ってまだ日は浅いが、奢らず、礼節を弁えたミ
シェイルはディプレクターの面々から、高い信頼を得ていた。
 その後も会議は進められた。第三の組織に対する調査、対ブルーコスモスの戦略、リ・ザフト
への警戒態勢、そして地球軍とザフト、オーブの三勢力による合同MS開発計画の細かい取り
決めなどが決められた。
 日が落ちる頃、会議はようやく終結した。
 夕焼けの眩しい光が会議場を包み込む中、出席者たちは会議場を出て行った。バルトフェル
ドとミシェイルも出て行き、会議場にはラクスとカガリ、そしてアスランの三人だけが残った。
 旧知の間柄である三人は、少しの間、雑談を交わした。話題はこの場にいないキラとガーネッ
トについて。キラはネオストライクの新型ビークルの調整、ガーネットは半壊したダークネスの修
理と改造の為、今日の会議を欠席したのだ。
「電話で話したけど、ガーネットの奴、相当アタマに来ているみたいだったぞ。プラント支部の連
中、大変だろうな」
 カガリは苦笑混じりに言った。
「プラント支部の方たちには、わたくしの方から救援物資を送っておきますわ」
「それがいい。それにしても、オルガの奴もとんでもない事をしてくれたな。あいつ、私たちの敵
になるつもりなのか?」
 カガリが憤慨して言うが、アスランは彼女の考えを否定した。
「いや、今のあいつは傭兵だ。今回の事も、金で雇われてしただけだろう」
 ラクスも頷き、
「問題なのは、誰がオルガさんたちを雇ったか、ですわね。ブルーコスモスか、リ・ザフトか、それ
とも……」
「ブルーコスモスやリ・ザフトが雇ったのなら、ガーネットを殺してますよ。敵の狙いは《アポロン》
だったんでしょう?」
「ええ。そうだと訊いてますわ」
 ダークネスの翼に搭載された太陽電池《アポロン》は、通常の太陽電池を遥かに上回る電力を
生み出す。理論上、太陽の光があればほぼ無限の電気を作る事が可能だ。
 しかし、製作者であるアルベリッヒ博士がデータを残さなかったため、その製造工程は一切不
明。また、ソーラーセルの構造と結晶パターンが独特かつ複雑すぎるため、同じ物を作る事は
ほぼ不可能。それでもオーブやディプレクターは《アポロン》を次世代のエネルギー源として研
究し、コピーである《アポロン2》を作ったが(これはネオストライクの動力源として使用されてい
る)、オリジナルには遠く及ばない。オリジナルの《アポロン》の価値は、計り知れないものがあ
る。
 とはいえ、金目当てではないだろう。《アポロン》のデータが欲しければモルゲンレーテの研究
機関にいくらでもあるし、そちらの方が警戒は薄い。なのに敵はわざわざ傭兵を雇い、軍事基地
を襲い、ザフトとディプレクターの双方に戦闘を仕掛けてきた。両組織を完全に敵に回してでも、
《アポロン》その物が欲しかったのだ。
 問題は、手に入れた《アポロン》で連中が何をするか、だ。どうも嫌な予感がする。恐らくキラや
ガーネットも同じ心境で、だから二人とも戦力の強化を急いでいるのだろう。
「力をもって力を制するのは、決して正しいことではありません。ですが……」
 悲しげなラクスの肩に、カガリは手を置いた。
「それでも、ラクスは戦うんだろう? 私たちもだ。私たちがこの星で最後の『戦う者』になるため
に」
「カガリさん……」
 オーブ共和国の若き指導者として、多くの困難を乗り越えてきたカガリ。その顔や態度からは
威厳と強い意志を感じさせる。婚約者であるアスランは、彼女の成長を心から嬉しく思った。



 オノゴロ島、イザナギ海岸。前大戦における地球連合軍のオーブ侵攻時、激戦区の一つとな
った海岸である。
 警備のMSや戦車が配備されているものの、海岸は穏やかな雰囲気の中にあった。打ち寄せ
る波は静かで、風もそよ風。実にいい天気である。
「あーあ。こんないい天気の日は、お仕事サボッて、アスラン様とデートに行きたいなあ」
 愛機ブリッツの操縦席の中で、カノン・ジュリエッタはため息混じりに呟いた。それをイージスの
通信機から聞いた姉ルミナは呆れて言う。
「カノン、あなたまだ、アスランさんの事、諦めてなかったの? いい加減にしておかないと、カガ
リ様に殺されるわよ」
「うー」
 悔しそうに吠えるカノン。先日、カガリとアスランの婚約が発表されてから、ずっとこの調子だ。
気持ちは分からないでもないが、姉としてこんな妹を放ってはおけない。
「アスランさんの事はいい思い出にして、新しい人を見つけなさい。その方が、あなたにとっても
幸せよ」
「そんなの分かってるわよ。けど、アスラン様以上に好きになれる男なんていないわよ」
「贅沢言わないの。そりゃあ、アスランさんやサイみたいな素敵な人なんて、そうはいないけど…
…」
 さり気なく惚気る姉を無視して、カノンはまたため息を付いた。ため息を付くと幸せが逃げる。
そんな迷信を思い出す。いや、満更、迷信でもないか。
 などと考えていたその時、沖合をパトロールしていた哨戒艇から緊急通信が入る。正体不明の
潜水艦が一隻、オノゴロ島に接近している。こちらの呼びかけには応じず、一機のMSを出撃さ
せた。MSはサブフライトシステム・グゥルに乗り、島に向かっているとの事。
 ラクスたちを狙ったブルーコスモスの襲撃か? イザナギ海岸は一瞬で緊張に包まれた。ルミ
ナとカノンが所属するディプレクターのMS部隊も配置に付く。ルミナのイージス、カノンのブリッ
ツは共に前線に立つ。ちなみに二人の機体は外見は二年前と同じだが、バッテリーやOSは最
新の物に詰め替えており、総合的な性能はアップしている。
 敵機、接近。肉眼で確認するが、確かに一機だけのようだ。レーダーにも他の機影は映ってい
ない。
「何よ、あれ。たった一機で私達を相手にするつもり? ナメられたものね」
 カノンの言うとおり、これはあまりにも無謀である。イザナギ海岸に配備されている戦力はMSだ
けでも三十機以上。他にも多数の戦車やミサイル搭載車、戦闘ヘリがあるし、他の地区に配備さ
れている部隊からも応援が来るだろう。戦力差は歴然だ。
「油断しちゃダメよ、カノン。敵を侮りすぎると痛い目を見るわよ」
「平気よ、お姉ちゃん。あんな奴、私一人で片付けてやるわ!」
「カノン!」
 前に出ようとするカノンと、それを止めようとするルミナ。
 だが、どちらの願いも叶わなかった。
「………えっ!?」
「あ、え!? な、ど、どうなってるのよ、これ?」
 操縦桿を握る指が動かない。まるで凍りついたかのように腕も、足も、首も、体の全てが動かな
い。ルミナもカノンも瞬きと呼吸以外、何も出来なくなった。
 いや、こうなったのは二人だけでは無いらしい。敵が射程距離に入ったのに、戦車も、ヘリも動
かない。歩兵たちもその場に立ち尽くしており、敵に対して銃を構えようとも、逃げようともしない。
 世界が、人が、全てが静止してしまった空間。そこに敵(やつ)は降り立った。
 異形のMSだった。人の形はしているが、どこか歪なものを感じさせる。背には巨大な扇風機
(ファン)を二機、翼のように生やしており、腹部には小型の扇風機を一機、装備している。また、
その左足は赤と青、そして白に塗り分けられており、濃緑色と黄土色に塗られた本体とは別の
色、別の形状であった。
 左足以外は毒々しい色のそのMSは、全ての扇風機を回しながら、敵軍の中を堂々と歩き出し
た。ルミナもカノンも止められなかった。体が動けないのでは止めようが無い。そして思い知らさ
れた。どんな強力な武器であろうとMSであろうと、自分たちパイロットが動けなければ、ただの
鉄屑なのだ。
 謎のMSは風を巻き起こしながら、堂々と海岸を後にした。
「この程度の毒で動けなくなるとは、弱っちい連中だ。殺さないだけ、ありがたく思えよ」
 という侮蔑の言葉を残して。



 オノゴロ島に敵機襲来、の報を受けたディプレクター本部は緊急警戒態勢に入った。関係者
以外の全ての人物を本部から退去させ、地下の格納庫からMS部隊を発進させる。
 オーブ軍も出撃する。先頭はアスラン・ザラの乗る真紅のMS、ネオストライク2号機。その後を
アルル・リデェルのM1アストレイ・パープルコマンド3号機と、彼女が率いるM1アストレイ部隊、
新型のM2部隊が追う。
 本部から少し離れた所にある駐車場に、一人の男がいた。慌しくなったオーブの空を、ミシェイ
ル・ホーガンが見上げている。その顔には、つい先程ラクスたちに向けた、心和ませる優しい微
笑を浮かべていた。
「騒がしくなってきたな。だが、いくら大軍を送り込んでも無駄な事。ハリケーンジュピターの巻き
起こす魔の風の前では、全てが無力」
 ミシェイルは、迎えに来たリムジンに乗る。そして、後部座席に座ると、その顔に手をかける。顔
に亀裂が走り、皮膚が、髪が、眼球が、破片となって崩れ落ちる。そして現われたのは、穴一つ
無い銀一色の仮面。
『上手くやってくれよ、ノイズ・ギムレット。だが、くれぐれも私情と仕事を混同するなよ。まあ、保険
は用意してあるから大丈夫だとは思うが……』
 一抹の不安を抱きつつ、ノーフェイスはその場を後にした。



 春緋野整備工房のトラックには、使えそうなスクラップが山と積まれていた。ダンの活躍で、仕
事はいつもより早く終了。三人は出発前の休憩を取っていた。ミナとダンはMSを降りて、タケシ
が買ってきたジュースを飲む。
「ダン君、凄いわね。モビルスーツの操縦、あんなに上手い人、初めて見たわ」
 オレンジジュースを飲むダンに、ミナが声をかける。
「そうなのか?」
「うん。きっとダン君、プロのパイロットだったのかも。ねえ、何か思い出した?」
「……………いや。だが、モビルスーツのコクピットに座っていると、気分が落ち着く。俺はモビ
ルスーツは嫌いではないようだ」
「そう。私もモビルスーツは好きよ。戦争の道具として使われているのは嫌だけど、やっぱりカッ
コいいし」
 ミナは戦争が嫌いだった。いや、好きな人間などいないだろうが、機械を壊し、人の命を奪う
『戦争』はどうしても好きにはなれなかった。ディプレクターに対しても、あまりいい印象をもってい
ない。平和の為と言いつつ、無用な戦火を広げているだけのような気がするからだ。
「そういえばダン君の乗ってきた飛行機もカッコいいね。修理したけど、凄い技術が使われてい
るわ。きっとあれを造った人は…」
 と、そこまで言って、ミナの口が止まった。
「? どうした、ミナ」
 ダンが聞くが、ミナは返事をしない。体を震わせ、その場に立ち尽くしている。ミナだけではな
い。二人の会話を微笑ましげに見ていたタケシも様子がおかしい。
「おい、どうしたんだ、二人共!?」
 ダンはミナの肩を揺すり、タケシの背を叩くが、二人とも体を動かさない。いや、動けないのだ。
「ど、どうなっているの? こ、これ…?」
 混乱するミナ。どんなに力を入れても腕も足も動かない。
「う、ぐぅ……」
 タケシも同じだった。指一本さえ動かすことが出来ない。
「くっ! 待ってろ、すぐに医者を呼んでくる!」
 ダンは二人を残し、医務室に向かう。今、このモルゲンレーテに迫りつつある悪魔の存在に気
付く事無く。



 謎のMSハリケーンジュピターの接近に、モルゲンレーテは騒然となった。ここには最新MSを
初め、門外不出のデータや機体が数え切れないほどある。もし、それが奪われたら……!
 警備用のジンやダガーの軍団が出撃するが、いずれもハリケーンジュピターを止められなかっ
た。その姿を見たと思ったら、風が吹き、パイロットたちの体が動かなくなってしまったのだ。
 その被害はパイロットだけに留まらなかった。ハリケーンジュピターが近づくごとに、動けなくな
る人の数が増えていく。パイロットも、整備士も、研究者も、重役も、例外は無かった。
 ハリケーンジュピターがモルゲンレーテの敷地に入った時、社にいる全ての人間が動けなくな
ってしまった。ハリケーンジュピターは一滴の血も流さず、一発の銃弾も浴びる事も無く、目的を
達成しようとしていた。
「ふふん。ま、ざっとこんなもんだね」
 ハリケーンジュピターのパイロットを勤める十三歳の少年、ノイズ・ギムレットは得意気に呟い
た。彼が精製した麻痺毒の威力は絶大なものだった。風に紛れた散布したこの毒を吸い込んだ
者は、ナチュラル、コーディネイターの区別無く、丸一日は動けなくなる。
「無関係の人間を一人でも殺したらゲームの参加資格を取り上げる、なんてノーフェイスも甘い
事を言うよな。まあ俺にとっては簡単な仕事だけど。生かさず殺さず、苦しみ悶えるクズどもの姿
を見るのは気分がいいし」
 脳や心臓などの重要な機関を麻痺させず、手足の筋肉の動きのみを止める最高の麻痺毒。
調合には苦労したが、その甲斐はあった。
「さあて、それじゃあ、お仕事をしますか」
 ノイズは晴れやかな気分で、目的の物を探そうとした。
 その時、ハリケーンジュピターのレーダーが、こちらに接近するMSの影を捉えた。数は十。識
別信号はオーブ軍のものだ。
「えーと、殺しちゃいけないのは『無関係な人間』だけだよな。仕事の邪魔をする奴は殺してもい
い、ってノーフェイスも言ってたし」
 そう呟くノイズは、歪に微笑む。一人でも多くの人間を苦しめ、一人でも多くの人間を殺す。そ
れこそが彼の望みであり、戦う理由だったからだ。
 空を見ると、背中に翼を宿した赤いMSが見えた。アスラン・ザラのネオストライク2号機だ。地
上からもアルル率いるMS部隊と、ディプレクターのMS部隊が近づいてくる。
「おーおー、ゾロゾロと来たねえ。美味しそうな獲物が」
 ノイズは目を輝かせ、ハリケーンジュピターの背中のファンを回した。周囲を漂っている麻痺毒
入りのガスを風で吹き飛ばし、空気を清浄なものにする。
「ハリケーンジュピターの性能テストにもなる。じっくり遊んでやるよ!」



 医者を求めて、ダンは走る。社内のあちこちに、ミナたちと同じように動けなくなっている人々が
立ち尽くしている。目から涙を流し、助けを求める声が響き渡る。まるで地獄だ。
「ちっ、一体どうなっているんだ、これは!」
 訳が分からない。何が起こっているのか、どうしてみんな動けなくなったのか、そして、
『どうして俺は、何ともないんだ?』
 腕も足も普通に動く。どうして自分は無事なのだろうか?
 いや、今はそんな事はどうでもいい。ミナたちを助ける方が先だ。そう思い直し走るダンだった
が、その時、彼の耳に轟音が飛び込んできた。
「!? ビームライフルの銃声…?」
 聴いた記憶は無い。だが、なぜか『それ』だと分かった。
 ダンは音のした方へ走る。ミナたちの事は気になるが、今はなぜか、そちらの方へ向かわなけ
ればならない気がしたのだ。
 二度、三度と鳴り響く銃声。実弾系の武器の発射音も混ざっている。しかし、着弾した音は聞こ
えない。全ての攻撃をかわされているのか?
 その時、強烈な風がダンを襲った。
「!!!!!」
 堪える間もなく、ダンは風に吹き飛ばされた。台風並の強風はダンの体を簡単に宙に上げ、と
ある倉庫のシャッターに叩きつけた。
「ぐあっ!」
 強烈な衝撃と痛みが、ダンの体を包む。ダンの体以外にも、作業用の車両やフォークリフトな
どがシャッターに叩きつけられる。風と衝撃で脆くなったシャッターに、とどめの一撃としてMSの
ビームライフルが激突。シャッターは壊れ、倉庫の中が露になった。
「! これは……モビルスーツ?」
 倉庫の中には、一台のMSが横たわっていた。その横には、このMSの整備をしていた人たち
が、やはり動けなくなって立ち尽くしている。どうやら整備の途中だったらしく、MSのハッチは開
いている。それはまるで、自分を動かす者を、ダンを招いているかのようだった。
 外から爆発音が聞こえる。戦闘が本格的なものになってきたらしい。
 このままでは殺される。俺も、ミナも、社長も、ここにいるみんなも。
 そう思った時、ダンの足は自然と動いていた。



「ほらほら、どうした、アスラン・ザラ! それでも三英雄の一人『誇り高き翼』かよ。期待外れだね
え!」
「くっ……!」
 ノイズの嘲笑に、アスランは耐えるしかなかった。
 ハリケーンジュピターは決して強力なMSではない。パワーやスピードならばアスランのネオス
トライクの方が上だ。まともに戦えばアスランの圧勝だろう。
 だが、ハリケーンジュピターは強力な武器を持っていた。風である。ハリケーンジュピターが巻
き起こす突風によって、こちらの機体はバランスが取れず、照準を合わせる事が出来ない。攻撃
を当てる事が出来ず、怯んだところを、
「そらそら、行くぜえっ!」
 ハリケーンジュピターの腰にある武器《ホイールオブフォーチュン》が襲い掛かる。ヨーヨーのよ
うな形状をしたこの武器は、ワイヤーによって操られ、武器本体から出るビームの刃で相手を切
り裂く。
「くっ!」
 体勢を崩しながらもアスラン機は攻撃をかわした。だが、代わりにアスラン機の後ろにいたM1
アストレイが餌食になった。ビームの刃がM1のコクピットを抉り、胴体を切断する。
「アハハハハハッ! また一人死んだなあ。どうするんだ、アスラン・ザラ? もっと殺して欲しい
か、それともお前を殺してやろうか?」
 余裕を見せるノイズ。英雄と呼ばれ、人々に慕われている男を殺す。想像しただけでワクワクし
てくる。
 一方、アスランは焦っていた。既に十機もの味方機を失っている。これ以上、奴の好きにさせ
るわけにはいかない。
「アルル、俺が奴の気を引き付ける。その隙に君たちで奴の懐に飛び込んで、倒してくれ」
 アスランの提案に、アルル・リデェルの顔色が変わる。
「そんな、危険すぎます! ここは一旦退いて、体勢を立て直して…」
「そうしている間に、モルゲンレーテの人たちが殺されたらどうする? こいつは何としても倒さな
ければならない!」
「ですが、貴方に万が一の事があれば、カガリ様が!」
「大丈夫だ。俺は死ぬつもりは無い。だが、オーブの人たちを見捨てるつもりも無い。この国は俺
にとって、もう一つの故郷みたいなものだからな」
 死ぬつもりは無い。それは本気の言葉だった。だが、命を惜しんで勝てる相手でもないのも事
実。アスランは覚悟を決めた。
「来い! ビークル1、【ツムジ】!」
 アスランの声に音声センサーが反応、地の底に潜んでいたドリル戦車【ツムジ】が姿を現し、ネ
オストライクの右腕と合体した。
 この【ツムジ】の回転力ならば、敵の起こす風も突き破れる。ネオストライクの全ての動力を推進
系に回し、突貫する。万が一この攻撃が破られても、必ず敵に隙が出来る。二段構えの危険極
まりない作戦。だが、もうこれしか方法が無い。
「行くぞ!」
 ネオストライクの推進力を高めるスイッチを押す。だが、その機能は作動しなかった。代わりに
警報音が鳴り響く。機体の状態を伝えるモニターが、翼部分の異変を報せていた。
「翼が……溶けている!?」
 ネオストライクの背部にある両翼が、ドロドロに溶けていた。ネオストライクだけではない。【ツム
ジ】の巨大なドリルも、M1アストレイの翼も、ディプレクターのジンやダガーのバックパックまでも
が溶けている。
「アハハハハハッ! おいおい、どこへ行くの? 何をしようって言うのさ? どこへも逃がさない
し、何もやらせないよ、お前らにはな! このハリケーンジュピターの腐食ガスで、骨まで溶かし
てやろうか?」
 アスランたちは気付かなかったが、つい先程からハケーンジュピターの腹部にある小型ファン
《アイオロス》が静かに回っていた。風は、全てを吹き飛ばす強風だけではない。静かで、そして
恐ろしい微風もある。強力な腐食ガスを含んだ風は、ノイズの示した箇所のみに当たり、その部
分だけを溶かしたのだ。恐るべきは風を自在に操るノイズの手腕。
「さあて、それじゃあ、じっくりとなぶり殺しにしてやるぜ!」
 勝ち誇るノイズ。唯一の対抗手段を失い、アスランの顔に脂汗が浮かぶ。恐怖と絶望が人々を
支配したその時、ネオストライクのレーダーが新たなMSの接近を伝えた。
 所属は不明。新たな敵か?
 いや、そうではなかった。
 やって来たのは正式な塗装を施されていない、白一色のMS。武器さえ持っていない試作機。
ハッチも閉じられておらず、操縦者の姿が見える。アスランもアルルも、そしてノイズも、見覚えの
無い少年だった。
 だが、少年が乗っている機体の方は、アスランもアルルも、そしてノイズも知っていた。それはも
う一つのネオストライク。決して表に出る事は無いはずの、ただの予備機。
「ネオストライク3号機……。一体、誰が動かしているんだ!?」
 アスランは知らない。このMSを動かしている少年、ダン・ツルギの事を。
 そして、遥か遠くの丘の上からこの様子を見ている美女と、黄金のMSの存在を。
「あらあら、ターゲットが勝手に動き出したわ。少しだけ面白くなってきたわね。どうするのかしら、
ノイズ君は?」
 予定外のゲストの登場に、ステファニー・ケリオンは心を躍らせた。ウェーブのかかったシルバ
ーブロンドが風に靡く。白銀の髪はそれ自体が美術品のように美しいが、顔立ちも負けてはいな
い。空の様に青い瞳、高い鼻、形のいい耳、その全てが美しい。誰もが見とれる程の美女だ。
 だが、その口元に浮かぶ笑みは、冷たいものだった。よく見れば、その青い瞳には一片の感
情も込められていない。不気味だが、それでも美しい。まるで呪われた宝石のような眼だった。
 そして、冷たい微笑を浮かべる彼女の後ろには、黄金に輝く愛機サンダービーナスが静かに
佇んでいた。金と銀、それぞれ違う輝きを宿した二人の『女神』の出番は近い。

(2004・6/12掲載)

次回予告
 オーブを侵す者たちに、怒りの刃を向けるダン。
 その戦いの中で、彼は運命の出会いを果たす。
 雷を操る謎の美女、そして、忠誠ゆえに素顔を無くした銀仮面。
 二人はダンを更なる戦いへと導く。そして、ついに六番目のプレイヤー、鋼の太陽神が
降臨。壮絶なるゲームの幕が開く。

 次回、機動戦士ガンダムSEED鏡伝2、絶哀の破壊神、
 「剣(つるぎ)、目覚める時」
 勇気と恐怖を乗せて、飛べ、ハート・トゥ・ハート。

第4章へ

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