第2章
 屈辱の銃弾

 美しい花が咲き誇る園に、少年は立っていた。
 彼の隣では、愛する女性が笑っている。
 空は晴れ渡り、雲は流れ、涼しい風が頬を撫でる。
 心が安らぐ。
 でも、少年は自覚していた。
 これは夢だ、と。
 俺は、こんな素晴らしい世界にいる資格は無い。
 俺は、世界に優しくしてもらえるような男じゃない。
 俺に愛する者など…………いた? いない? いた? いない?
 分からない。思い出せない。
 少年は、隣に立つ女性の顔を見る。
 その女性には顔が無かった。
「!!!!!!」
 驚愕と共に少年は目覚めた。
 額に流れる寝汗を拭い、周囲を見回す。どうやら客間らしいが、見覚えの無い部屋だ。飾られ
ている調度品にも、自分が寝かされているベッドにも、頭に巻かれている包帯にも、まったく覚え
が無い。
 ここはどこだ?
 どうして俺はこんな所にいるんだ?
 今はいつだ?
 いや、そもそも、
「俺は……誰だ?」
 少年は懸命に自分の事を思い出そうとする。だが、何一つ思い出せない。自分の名前さえ分
からない。
 記憶喪失。
 予想外の事に戸惑う少年。その時、部屋のドアが開き、一人の少女が入って来た。
「あ……」
 ベッドから起き上がっている少年を見ると、少女の愛らしい顔に喜びの色が浮かぶ。
「気が付いたのね、よかった! 三日間も眠っていたから、心配したんだよ!」
「君は……」
 少年の頭に、一つの光景が浮かび上がる。豪雨の中で車を押している自分。その車に乗って
いた家族。その中にこの少女がいた。
 あの時の事は覚えている。でも、それ以前の事は思い出せない。
 …………いや、思い出した。ほんの少しだが、思い出した事がある。
 少年は勢いよくベッドから起き上がる。少女は驚き、
「だ、ダメよ、まだ寝てなきゃ! 頭の傷、まだ治ってないんだよ!」
 と止めようとするが、少年は無視して、部屋を出て行く。
「あ、ちょっと、待って!」
 少女は慌てて後を追う。
 春緋野整備工房の一人娘、ミナ・ハルヒノ。彼女の運命も動き出した。それは決して幸福では
ない、されど決して不幸ではない、過酷な運命。



 私は夢でも見ているのだろうか?
 それも、とびっきりの悪夢を。
 連合製の水中用MSディープフォビドゥンの操縦席に座るジェーン・ヒューストンは、眼前に広
がる『現実』を受け入れる事が出来なかった。
 だが、それも無理はない。今、彼女の目の前に映る光景は、あまりに凄惨なものだった。
 深海を漂うMSの残骸たち。グーン、ゾノ、ディープフォビドゥン……。ジェーンの仲間達が乗
っていたそれらは、いずれも水中の覇者となるべく造られた水中戦用MSである。新時代の地球
と宇宙を結ぶギガフロートを守る為、連合やザフトから集められ、ディプレクター・ギガフロート守
備隊のMSとして活躍してきた機体。それが今は、ただの鉄屑。全機、原形を留めぬまでに破壊
された。
 パイロットも生き残った者はいなかった。全員死亡。機体の爆発によって切り離された腕や足
が、無数に海の中を漂っている。それはつい先程まで、ジェーンと語り合い、笑い合っていた者
達の手足。自分の誕生日を祝ってくれた、心優しき同僚達のものだった。
 ジェーンは前大戦でザフトによって同僚を殺され、コーディネイターを嫌っていた。だが、あの
戦争の真実を知り、自分も変わらなければならないと思った。だからナチュラルとコーディネイタ
ーの共存を目指すディプレクターに入った。そして、この部隊に配属された。
 ここにいる人々はジェーンと同じ、いや、それ以上の苦しみや哀しみを背負いながら、それでも
世界の平和を願っていた。ジェーンは彼らが好きになった。そして彼らの隊長となり、このギガフ
ロートを守ってきた。ブルーコスモスもリ・ザフトも、『白鯨』と呼ばれた彼女の敵ではなかった。
 それなのに。
 ああ、それなのに。
 信じられない。信じたくない。
 でも、これは現実。
 手塩にかけて育ててきた部下が、一緒に酒を酌み交わした親友が、海の藻屑と化した事も。
 グーン二十四機、ゾノ十一機、ディープフォビドゥン十三機の大部隊が、たった一機の敵によ
って壊滅した事も。
 仲間の死も。
 もう二度と見たくなかった凄惨な光景も。
 二度と味わいたくなかった悲劇も。
 耐え切れないほどの精神の苦痛も。
 全て現実。
 この辛すぎる現実をジェーンに与えた奴は、彼女の目の前にいた。ジェーンの乗るディープフ
ォビドゥンの真正面に、堂々と姿を晒している。
 巨大なMSだった。ディープフォビドゥンよりも一回り大きいその巨体は紫と青に塗られ、手に
は三又の巨大な槍を持っている。そしてその右腕は、特にこれという装備があるわけではないの
だが、妙に目立つ。MSが全体的に紫と青に塗られている中で、なぜか右腕だけは白、青、赤
の三色で塗られている。まるで別機種のMSの腕を無理やりくっつけたような、アンバランスな腕
だった。
「この程度? 期待外れもいいところね」
 敵の機体からの通信に、ジェーンは驚いた。こちらの通信コードを知っているのか?
「私とこのアクアマーキュリーが強すぎるのか、あんた達の腕が落ちたのか、あるいはその両方な
のか。どんな理由にしても、退屈だった事に変わりはないけど」
 懸命に戦った者達を侮辱する言葉に、ジェーンは怒り、そして驚いた。相手の声に聞き覚えが
ある。いや、そんなはずはない。ジェーンの知っている人物ならば、こんな事を言うはずが…。
「あんたは少しは楽しませてくれるんでしょうね、『白鯨』ジェーン・ヒューストン? 昔より腕が上が
っている事を期待しているわよ」
「! やっぱり、あなたはレヴァストなの?」
「今頃、気が付いたの? その通りよ、ジェーン。私は『独眼竜』レヴァスト・キルナイト。短い間だ
ったとはいえ、同じ職場で働いた仲間の事を忘れるなんて寂しいわね」
 間違いない。その声、その口調、そして、言葉の中に込められている感情。全てがジェーンの
知るレヴァスト・キルナイトのものだった。自然と彼女の顔が浮かぶ。二年前のダブルGとの決戦
で右目を失った、青く長い髪の美女。
「そんな! レヴァスト、どうしてこんな事を! あなたの仲間だったみんなをどうして!?」
 ジェーンには信じられなかった。レヴァストが仲間を殺すなんて、自分を殺そうとするなんて。
 『独眼竜』と呼ばれる片目の女性パイロット、レヴァスト・キルナイト。彼女はジェーンの親友だっ
た。ジェーンにとって、初めて出来たコーディネイターの親友。一緒にいたのはほんの二ヶ月だ
ったが、彼女と共に過ごした時間はとても楽しかった。ジェーンの心の中にあったコーディネイタ
ーへの敵意や憎しみを消してくれたのもレヴァストだった。あまりの仲の良さに、同僚達から冷や
かされた事もあった。
 しかしおよそ一年前、オペレーション・ダブルレインボウの開始直前にレヴァストはディプレクタ
ーを退職。誰にも、ジェーンにさえ何も告げずに姿を消した。
 誰よりも仲間を大事にし、強く、優しい心の持ち主だったレヴァスト。年下の女性だったが、ジェ
ーンは彼女を尊敬していた。その思いは今でも変わらない。
 それなのに、それなのに、なぜ!?
「理由は特に無いわ。あえて言うなら、テストよ」
「テスト?」
「そう。このアクアマーキュリーのね!」
 その言葉が発せられると同時に、レヴァストのMSが襲い掛かってきた。巨体に似合わぬ超絶
的なスピード。その速度はディープフォビドゥンを遥かに上回っている。そして、手に持つ巨大な
槍での攻撃!
「くっ!」
 動揺しながらも、ジェーンは敵機の槍をかわした。そして距離を置き、アクアマーキュリーの体
に魚雷を打ち込む。
 魚雷は全弾、命中。しかしジェーンの心に勝利の喜びは無い。なぜなら、
「相変わらず逃げ足だけは速いわね。でも、次の一手が弱すぎる。詰めが甘いのは変わってい
ないのね」
 傷一つ無いアクアマーキュリーの中で、レヴァストはため息混じりの通信を送った。
 実は魚雷ならば、もう何十発も打ち込んでいるのだ。だが、アクアマーキュリーにはまったく効
果が無い。グーンやゾノの爪も、ディープフォビドゥンの槍も、奴に傷一つ付けることさえ出来な
かった。実弾系の攻撃を無効化するPS装甲かと考え、距離を置き、長期戦に持ち込んだのだ
が、一向にエネルギーの切れる様子は無い。そして味方は次々と撃墜され、残ったのはジェー
ン機のみ。
 まさに悪夢としか言い様のない現実。そして、
「失望したわ、ジェーン。死になさい」
 アクアマーキュリーの足にある十二門の魚雷発射口から魚雷が発射された。数は十二発。
「そう簡単に!」
 ジェーンも並のパイロットではない。ディープフォビドゥンの性能を最大限に引き出し、全ての
魚雷をかわした。
 だが、
「!」
 魚雷をかわし、一瞬の安堵をついたその時、三又の槍がディープフォビドゥンの左足を貫い
た。爆発する左足。槍は更にディープフォビドゥンの右足と両腕を貫き、これも破壊する。そし
て、何も出来なくなったディープフォビドゥンの操縦席に向かって、最後の一撃を、
「…………………?」
 死を覚悟し、目を瞑ったジェーンだったが、いつまで待っても次の一撃は来ない。恐る恐る目
を明けると、モニターからアクアマーキュリーの姿は消えていた。
「えっ……? どうして?」
 見逃してくれたのか? いや、レヴァストの攻撃は殺気に満ちていた。少なくとも槍を突き刺そう
とする寸前まで、彼女は本気でジェーンを殺すつもりだったはずだ。
 一体何が起きたのか? そしてこれから、何が始まろうとしているのか? 何も分からないまま、
ジェーン・ヒューストンは意識を失った。戦闘時の凄まじい疲労が一機に襲い掛かってきたの
だ。
 遠のく意識の中、ジェーンはかつての友の変貌を悲しみ、涙した。



 一方、レヴァスト・キルナイトは不機嫌だった。理由は通信機から聞こえてくる男の声と、その内
容。即時撤退を命令してきたこの通信のせいで、ジェーンに止めを刺すことが出来なかった。獲
物を逃した『独眼竜』の心は、怒りと苛立ちで荒れ狂っていた。
「勝手な事をしてもらっては困るな、レヴァスト・キルナイト。そのMSは君の玩具ではないのだ」
 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、通信機の向こうにいるノーフェイスは呆れたように
言ってくる。相変わらず声だけは『いい男』だ。だが、顔は銀の仮面に覆われていて分からない
ので、レヴァストはこの男が好きではなかった。隠し事をする人間は信用できない。色々と口煩
いし。
「ゲームはまだ始まっていない。開始の時が来たら、こちらから報せる。それまでは…」
「それまではじっとしていろ、と? 私を退屈で殺すつもり? 実戦形式のテストぐらいはさせてほ
しいわね」
「それならいつもやっているだろう」
「無人機はもう飽きたわ。ガルドーヴァの奴はこれから暴れるんでしょう? 私たちだけダメだな
んて、随分と勝手な話ね」
「彼には私から仕事を頼んだのだ。君のように勝手な事はしないからな」
「ふん。大体、肝心のゲームはいつ始まるのよ? 『六番目』は未完成だし、パイロットだって、私
達はまだ顔も見てないのよ」
「『六番目』も『六人目』も必ず用意する。もう少しだけ待ちたまえ。それが出来ないのなら、君に
はアクアマーキュリーを降りてもらう。それでもいいのか?」
 それは困る。それではレヴァストの望みは叶わない。
「……………ふん、分かったわよ。もう勝手な事はしない。でも、ゲームが始まったら、思いっ切
り暴れさせてもらうからね」
「その時は好きにしたまえ。ゲームのルールさえ守ってもらえれば、何をしようとこちらは構わな
い」
 その言葉を最後にノーフェイスからの通信は切られた。
 まったく、不愉快な男だ。だが、今、このMSから降ろされるわけにはいかない。レヴァストの望
みは戦う事。そして、勝利する事なのだから。
『気に入らないけど、言う事は聞いてあげるわよ、ノーフェイス。でも、私が勝ち残った時は覚悟
しておくのね』
 灰色の瞳を持つ左目が不気味に輝く。右目があれば、そちらも同じように輝いたはずだ。狩り
の邪魔をした者には相応の報いを与えてやる!



 L5宙域に浮かぶプラント群。その一つ、エルリック市にあるザフトの軍事基地の一室で、一人
の少女がため息を付いた。
 そのため息を聞いた二人の人間の顔色が変わる。上司のため息は、あまり聞きたいものでは
ない。特にこの少女の場合は。
 彼女のため息の先にあるのは、一言で言えば『地獄』。それは直接、自分達に被害が及ぶも
のではないが、間接的な被害はバカにならない。
「これで七度目だぜ。こりゃ、ちょっとヤバいんじゃないのか…?」
 茶髪に白のメッシュを入れた青年、ディス・ロイが小声で不安げに言うと、
「はい。非常に危険な状況です。隊長はタダではすみませんね」
 向かいの席に座る、長い巻き毛の金髪がよく似合う美少女、ヴァネッサ・アーデルハイトも小声
で答える。彼女もロイと同じく、不安を抱いていた。
 そんな部下達の気持ちを感じ取れないのか、少女は八度目のため息を付いた。
 この少女、シホ・ハーネンフースの一日は自分の運命を呪う事から始まる。
 と言っても、シホが陰湿な性格をしているわけではない。むしろその逆だ。前大戦時、彼女は
ザフトのエースパイロットの一人であり、その手腕を見込まれ、戦後はザフト最強の精鋭部隊に
配属された。ザフトのエリートの証である赤服が良く似合う美少女。上司からも部下からも信頼さ
れており、恋人はいないが、それ以外では申し分の無い人生を送っている。
 しかし、彼女は不幸だった。その原因は、
「おっはよー、シホちゃん! 今日もいい天気だねえ。まあ、プラントだから天気は人の都合で変
えられるけどね。天気予報は絶対に外れないし。うーん、グレイト! ハハハハハハハ!!」
 朝っぱらから異常にテンションの高い、出勤時間を二十分近くも遅れたくせに堂々と挨拶する
この男。名前はディアッカ・エルスマン。この男の部下、それも副官などになってしまった事が、
シホの不幸だった。
 取りあえず、テンションの高い隊長の頭を殴る。殴る。殴る。殴る。何も言わず殴り続ける。
「ふ、副長、もうそのくらいで!」
 と、見かねたディスが止めなければ、もう十発は殴っていただろう。ディアッカの頭には、かなり
の数のたんこぶが出来てしまった。だが、たんこぶに関してはシホはもちろん、ディスもヴァネッ
サも無視した。手当てもしなかった。余計な事をしている暇は無い。今日は忙しいのだ。
 午前中は書類の整理。シホは脱走癖のある隊長を椅子に縛りつけ、強引に仕事をさせる。
「あのさあ、シホちゃん。俺を縛っているこのロープというかワイヤー、ほどいてくれない? 逃げ
たりしないからさあ」
「ダメです」
 冷たい言葉である。でも、ディスもヴァネッサも同情はしない。こうでもしないとこの男はすぐに
逃げ出し、地球にいる恋人に連絡しようとするのだから。
「あー……。トイレに行きたくなったんだけど……」
「どうぞ」
 とシホがディアッカに差し出したのは、しびん。漢字で書くと『尿瓶』。用途は字の如し。これさえ
あれば、わざわざトイレにいく必要は無い便利なアイテム。主に病人や寝たきりの老人などが使
用する。
「おいおい、冗談だろ? いくらなんでもこれは…」
 と反論しようとしたディアッカだが、シホの眼を見て、口を閉ざした。本気の眼だ。これ以上何か
言ったら、殴り殺されるかもしれない。
「隊長、今は沈黙するのが賢明です」
 ヴァネッサの言うとおりである。しかしディアッカは聞かずにはいられなかった。
「なあ、シホ。俺、何かお前の気に触るようなことでもしたか?」
「いつもしてます」
 確かにシホの言う通りだった。ディスもヴァネッサも即座に頷く。
 ディアッカ・エルスマンという男、脱走や無断欠勤は日常茶飯事。仕事をするにしても、シホが
立てた綿密なスケジュールを無視して、自分のペースでやる。上司としては最悪に近い人物。シ
ホの頭に白髪が増えたのは、間違いなくディアッカのせいだ。
「とにかく、今日はきっちり仕事をしてください。でないと隊長の悪行の数々をミリィにバラします
よ?」
「ぐっ、卑怯な! それにお前、いつの間にあいつの事を愛称で呼ぶほどの仲に?」
 ディアッカの知らぬ間に、彼の恋人ミリアリアとシホは親友になっていた。半年ほど前、脱走し
たディアッカを探してシホが地球のディプレクター本部に通信した時、応対したのがミリアリアだ
った。それ以来の付き合いである。
「副隊長もミリアリアさんも、同じ男性に苦労させられている者同士、気が合うようです。私もミリア
リアさんの事は好きですけど」
「ヴァネッサまで!? 俺の知らない内に女の友情ネットワークが成立しているとは」
「彼女と知り合い、仲良くなる切っ掛けを作ってくださった事だけは感謝します、隊長」
 感謝しているという言葉とは裏腹に、シホの眼は冷たい光を放っている。
「観念した方がいいですよ、隊長。今日の副隊長はいつもと違いますから」
 ディスの言うとおり、今日のシホはいつもと違う。今日の彼女からは逃げられない。逃げられた
としてもその後に待っているのは、シホの鉄拳とミリィからの絶縁宣言だろう。
 ディアッカは観念して、仕事に専念する事にした。エルスマン隊設立から一年と四ヶ月、シホの
苦労が報われた瞬間だった。
 黙々と仕事を進めるディアッカ。彼は決して無能ではない。真面目にやればザフトでもトップク
ラスの能力を発揮する。シホへの恐怖からか、ディアッカは全能力を解放。結果、シホの立てた
スケジュールより三十分も早く、仕事を終わらせた。
「やればできるじゃないですか。さすがです、隊長」
 シホはニッコリと微笑んだ。何だかんだ言っても、シホはディアッカに一目置いているし、それ
なりに尊敬している。だからこそ頑張ってほしいのだ。
「これで午後の合同演習は、心置きなく行えますね」
 極上の笑顔でそう言うシホ。その笑顔を見て、ディアッカは今日のシホが一段と厳しかった理
由に気が付いた。
 今日の午後から、この基地でザフトとディプレクター・プラント支部の合同演習が行われるの
だ。当然、あの女もここに来る。
「ああ、あの『漆黒のヴァルキュリア』ガーネット・バーネットさんと手合わせできるなんて……。ザ
フトに入って、良かった!」
「はい。それは私も同じ心境です、副隊長」
 憧れの女性の姿を思い浮かべるシホとヴァネッサ。二人とも同じ女性として、彼女の強さに惹か
れているらしい。
 ガーネット・バーネット。
 キラ・ヤマト、アスラン・ザラと並ぶディプレクター三英雄の一人。前大戦で人類を滅ぼさんとし
た邪神ダブルGを倒した、最強のMSパイロット。美と強を兼ね備えた女神の化身。多くのMSパ
イロット(特に女性)から憧れと尊敬の念を集めている『漆黒のヴァルキュリア』。
『いやいや、確かに凄い奴だけど、そこまで崇めるほどの女じゃないだろ』
 ディアッカは苦笑する。実際のガーネットも優れたMSパイロットではあるが、恋する乙女の顔
も持つ普通の女だ。仕事が忙しくて、恋人のニコルとなかなか会えないことをディアッカやイザー
クたちにグチる様子は、とても『英雄』には見えない。
 まあ、わざわざイメージを壊す必要は無いだろう。ワイヤーを解かれたディアッカは、陶酔して
いるシホとヴァネッサを残して、トイレに行こうとした。
 その時、突然、地面が揺れた。
 直後に爆音。MSの格納庫の方からだ。ディアッカとシホの顔に驚きの表情が浮かぶ。
 窓を開けて、外の様子を見るディアッカ。遠くに巨大な炎が上がっている。火元は格納庫の周
辺らしい。
 ディスとヴァネッサは通信回線を開き、状況の報告を求める。しかし通信が繋がらない。どうや
ら物理的に遮断されているようだ。
 更なる爆発音。今度は武器倉庫の方だ。
「くっ! 一体、誰がこんな事を…」
「考えるのは後だ、シホ! みんな、行くぞ!」
 ディアッカは勢いよく扉を開け、部屋を出る。シホ達も後に続く。目指すは第二格納庫。そこに
収められている彼らの愛機を求めて、ザフト最強のエルスマン隊が走る。



 同時刻、エルリック市内にあるディプレクター・プラント支部。十階立ての白塗りのビルの中で
はプラントと宇宙の平和を守るため、多くの職員が働いている。
 ビルの最上階にある支部長室では、
「ふう、やっと終わった」
 午前中の仕事を終えたガーネット・バーネットが一息ついていた。机の上には彼女が片付けた
書類が山と積まれている。
「お疲れさまでした、支部長」
 副官のヴィシア・エスクードが声をかけ、お茶を運んでくれた。オーブ産の緑茶だ。苦味はある
が、一度飲むとクセになる不思議な味。前大戦でオーブに滞在した時に飲んで以来、ガーネット
はこのお茶の虜になった。以来、毎日必ず一杯は飲んでいる。
「うーん……。この一杯を飲むと、生きてて良かったー、って気がするわ。隣にニコルがいれば、
もっと良かったんだけど」
 ガーネットの恋人である『救世のピアニスト』ニコル・アマルフィは現在、長期の演奏旅行中で、
地球と宇宙を行き来する忙しい日々を送っている。毎日メールを送ったり、電話をしているので
それほど寂しくはないが、やはり直に会いたい時はある。特に、今日のように不安で堪らない時
は。
「まったく、三日前まではニコルとの新居の購入とか、結婚式の会場探しとか、平和な事を考えら
れたんだけどね」
 だが、三日前の惨劇によって、状況は一変した。
 三日前、ニューヨークを襲ったAMS(オートモビルスーツ)ズィニアの大軍。ニュース映像でそ
の光景を見た時、ガーネットの心は驚きのあまり凍りついた。戦いはまだ終わっていなかったの
だ。
 ニューヨークの事件以来、世界各地で再びテロが多発するようになった。ブルーコスモスは活
動の再開を宣言し、リ・ザフトも水面下で妙な動きをしている。それに対応すべく、ディプレクター
も動き出した。今日のザフトとの合同演習もその動きの一つだ。ザフトとディプレクターの友好関
係を深め、内外に両軍の存在と強さをアピールするのが目的だ。効果の程は不明だが、何もや
らないよりはマシだろう。
「平和になれば、好きなだけニコルさんと一緒にいられますよ。元気を出してください」
 そう言ってヴィシアが励ますが、ガーネットの心は晴れない。
「それは分かっているけどねえ……。ふう……」
 ニコルとのラブラブ新婚生活の夢を砕かれ、ため息をつくガーネット。そこへザフトから、合同
演習を行う予定の基地が謎のMSの襲撃を受けているとの緊急通信が入る。
 瞬時にガーネットの脳裏に、ある光景が浮かぶ。三日前にニュース映像で見たズィニアの軍団
と、炎に包まれるニューヨーク。
『同じ奴らの仕業!?』
 何が起きてもおかしくない、油断できない状況だとは思ってはいたが、まさか軍事基地に仕掛
けてくるとは思わなかった。ガーネットはヴィシアに全軍の出撃を命令し、自分もMS格納庫に走
った。
 本部ビルの隣にある格納庫では、整備班の迅速な行動によって、全てのMSが出撃準備を終
えていた。緊急通信が入ってから五分も経っていないのに、この手際の良さ。ガーネットは素晴
らしい部下を持てた幸運に感謝した。
 整備班の面々を労った後、ガーネットは愛機のコクピットに入る。GAT−X000・ダークネス。
前大戦でガーネットとニコルを乗せ、人類に勝利をもたらした最強のMS。戦後、トゥエルブ・シ
ステムの停止と共に複座式から単座式に改良された。トゥエルブ・システムは失われたが、背中
の羽に搭載された太陽電池《アポロン》が生み出す無限のエネルギーとガーネットの操縦技術
によって、今も不敗神話を守り抜いている。
 動き出したダークネスは、一本の槍を手に取る。刃先が十字架の形をした鋭い槍。十文字槍
《トレジャー・ウェアハウス》。前大戦でダークネスが使っていた巨大槍《ドラグレイ・キル》に代わ
り、プラントの技術者たちが作ってくれた新しい槍だ。切れ味は《ドラグレイ・キル》より劣るが、もと
もと十文字槍自体が優れた武器なので、問題は無い。
 新たな槍を手にしたダークネスは格納庫の外へ出る。太陽の光を受け、背中の翼が唸り声を
挙げる。そして、
「ガーネット・バーネット、ダークネス、出る!」
 飛び立とうとしたその時、爆発音が鳴り響いた。音のした方向を見ると、すぐ近くの倉庫から火
の手が上がっている。
「これは……まさか、こっちにも!?」
 ザフトとディプレクター、二組織の拠点を同時攻撃。敵は自分の戦力に相当の自信を持ってい
るようだ。
「ふうん、なめられたもんだね。ザフトも、私達も」
「別になめているわけじゃねえよ。ただ、叩く時は一気に叩くべきだと思ったのさ」
「!?」
 世界共通の国際救難チャンネルによる通信。そこから聞こえてきた男の声は、ガーネットがよく
知っている男の声だった。
 倉庫を焦がす炎の中から、二体のMSが現われた。ジンとダガーだ。
 いや、よく見ればどちらも普通のジンやダガーではない。ジンは追加装甲を装備した上、かな
りの改造がしてあるし、ダガーも普通のダガーではない。似ているが、よく見れば細部が違う。そ
れに、かつてデュエルが着けていた強化装甲アサルトシュラウドに酷似した装甲を身につけてい
る。
 ガーネットは機種を照合する。ジンの方はエースパイロット用に改良された高機動タイプ、俗に
ジン・ハイマニューバと呼ばれている物だ。ダガーの方はデュエルの量産型MSデュエルダガ
。それに追加装甲フォルテストラを纏った、こちらもエースパイロット用の機体だ。
 先程の通信はデュエルダガーの方から送られてきたようだ。ガーネットは二機を睨む。怒りを
込めたその視線を感じ取ったのか、デュエルダガーのパイロットは再度通信を送る。
「よお、久しぶりだな、ガーネット・バーネット。会えて嬉しいよ。お互い、生きていたようで何より
だな」
「ああ、そうだね。私も嬉しいわ。でも、再会の挨拶にしては、ちょっと派手すぎじゃない?」
「そうか? 俺たちがその気になれば、この基地に仕掛けてある爆弾を全部爆発させて、もっと
派手にする事も出来るんだぜ」
 それは『妙な事をすれば基地もろとも吹き飛ばす』という脅迫だった。この言葉によって、ガー
ネットは迂闊に動けなくなってしまった。相手の言葉がハッタリではないからだ。ガーネットは相
手の事をよく知っていた。奴は、あの男はつまらないハッタリを言うような男じゃない。
「それで、今日は一体何の用? あんた達を捕まえて刑務所にぶち込んでやる前に、理由ぐら
いなら聞いてあげるわよ。いや、答えてもらうよ、オルガ・サブナック!」
 かつて共にダブルGと戦った仲間に、ガーネットは怒りと苛立ちをぶつける。対するオルガの
答えは、
「仕事だよ」
 と、素っ気無いものだった。だが、彼らしいと言えばらしい答えだ。今の彼はフリーの傭兵、そ
れもわずか二年で世界にその名を轟かせた凄腕の傭兵コンビ、カラミティ・ペアの片割れなのだ
から。
「ふーん。で、あんた達に仕事を依頼したバカは、どこのどいつ?」
「悪いが答えられない。守秘義務ってのがあってね」
「そう。だったら、腕ずくで聞かせてもらうよ!」
 十文字槍を突き出すダークネス。デュエルダガーもビームサーベルを抜き、ジン・ハイマニュ
ーバは少し下がって、銃を構える。
「やれるもんならやってみな、ガーネット・バーネット。おっと、ディプレクターの他の奴らは手を出
すんじゃねえぞ。この基地を灰にしたくなかったらな」
「くっ……」
 オルガの言葉に、管制室のヴィシアは唇を噛み締める。基地のどこに、何個の爆弾が仕掛け
られているのか分からない以上、迂闊に動けない。ここはガーネットに何とかしてもらうしかない。
「二対一だが、機体の性能差を考えれば、これぐらいのハンデはあってもいいだろう? それと
も、やっぱ一対一がいいか?」
「いや、時間が惜しいからね。二人まとめて掛かってきな!」
 そして、かつての仲間同士による、激しい戦いが始まった。



「つ、強い……」
 オーブから譲渡されたM1アストレイ・パープルコマンド五号機に乗るシホは、恐怖に震えた。
「おいおい、冗談じゃねえぞ、こいつは……ヤバすぎるぜ」
 バスター・インフェルノのコクピットに座るディアッカは、脂汗を流した。
 二人の機体はアンテナが折れたり、肩のアーマーが破壊されたりなど、大きなダメージを受け
ている。そして二機の足元には、ディスとヴァネッサの乗るゲイツが倒れている。コクピットは無事
だが、機体の手足を全て破壊された。パイロットの二人は気絶しているのか、通信に応答しな
い。戦闘どころか通常の行動すら不能な状態だ。
 弁護するわけではないが、ディスもヴァネッサも一流のパイロットだ。特にディスはナチュラルで
ありながらコーディネイターを上回る操縦技術の持ち主で、その素早い戦法から《緑の疾風》と呼
ばれるほどの男だ。二人とも将来のザフトを代表するエースと見込まれており、それ故に精鋭エ
ルスマン隊に配属されたのだ。
 そのディスが、そして彼に勝るとも劣らない腕を持つヴァネッサが、乗機を壊され、気絶してい
る。
 二人の上司であるディアッカもシホも疲労しており、戦闘不能寸前だ。エルスマン隊の面々が
弱いのではない。敵が強すぎるのだ。
 両肩の巨大なキャノン砲を始め、多数のミサイルポッドやバズーカなど、過剰なまでに銃火器
類を装備した赤いMS。バックパックから太く逞しい尾を生やしたその姿は、恐竜や怪獣を連想
させる。その強さも、恐竜や怪獣レベルだった。たった一機のこのMSによってエルスマン隊以
外の部隊は全て倒されており、エルスマン隊も残るはディアッカとシホだけ。
「くっ!」
 シホのパープルコマンドが多目的実弾・ビーム連装ライフル《ツインヘッドスネーク》を撃つ。実
弾とビームを同時に発射できる強力な武器である。
 だが、敵MSは避けようともしない。ミサイル数発と、腹部に装備されたエネルギー砲を発射。ミ
サイルは実弾に、エネルギー砲はビームに命中、見事に相殺してしまった。
「ちっ、またかよ。何度やっても無駄ってか?」
 ディアッカの言うとおり、敵のMSはこの調子でこちらからの攻撃を全て相殺していた。完璧な
防御法だ。MSだけでなく、パイロットも半端ではない。射撃能力だけならキラやアスランをも凌ぐ
だろう。優れたMSとパイロットの組み合わせがこれほど恐ろしいものとは……。
「しぶといな。さすがは『ザフト最強の砲撃手』ディアッカ・エルスマンと、その片腕、シホ・ハーネ
ンフースと言うべきか」
「!」
「!?」
 敵からのいきなりの通信に、ディアッカもシホも驚いた。渋みのある男性の声だった。
「特にディアッカ・エルスマン。足手まといの部下達を庇いながら、私への攻撃の手も緩めない。
見事だ。オルガの言う通り、侮れない男だな」
「! オルガだと?」
 その懐かしい名前は、ディアッカを更に驚かせた。
「お前、あいつの事を知っているのか? あいつの仲間なのか?」
「いかにも。今日が初対面で、本日限りのだがな。いや、それなりの『縁』はあるのだから、赤の他
人というわけではないが」
 よく分からない事を言った後、謎の男は、
「自己紹介がまだだったな。我が名はクルフ・ガルドーヴァ。このマーズフレアと共に戦い、世界
を焼き尽くす男だ」
 と堂々と名乗った。そして、
「オルガたちの仕事が終わるまで、まだ時間があるようだ。もう少し、遊んでもらうぞ!」
 マーズフレアの銃火器類が一斉に火を吹く。
「ちっ、なめんな!」
 吠えるディアッカ。バスター・インフェルノの最強装備《ビッグ・フォア》を発射し、迎え撃つ。
 衝突する殺意。光と爆炎、轟音が世界を覆う。そして……。



「はあっ!」
 ダークネスの攻撃。十文字槍《トレジャー・ウェアハウス》の刃先がジン・ハイマニューバの喉元
に迫る。
「させるかよ!」
 オルガのデュエルダガー・フォルテストラがビームライフルを乱射。ダークネスには当たらなか
ったが、その動きを止める事は出来た。その隙にジンは逃れる。
「ふう、危ねえ、危ねえ。まいったね、こりゃ。少し甘く見すぎていたか」
 苦笑いするオルガ。
 二対一の戦闘はガーネットの方が押していた。彼女の技量は大戦時より向上していたし、ダー
クネスも強い。トゥエルブ・システムを失ったものの、鈎鎌槍以上に隙の少ない十文字槍を自在
に使いこなすダークネスの戦闘力は、オルガの予想を超えていた。
 エネルギー残量も残りわずか。太陽電池《アポロン》を持ち、半永久的に活動できるダークネス
相手に長期戦は不利だ。それは分かっていたのだが、ダークネスの超スピード攻撃をかわすた
めにはこちらも動かねばならず、当然エネルギーの消耗も激しくなる。その結果、
「これまでだね、オルガ。大人しく降参すれば、二人とも命だけは助けてあげる。どうする?」
 と降服勧告をさせる事になってしまった。
 しかし、確かにこのままではオルガたちに勝算は無い。
「………………ちっ。ここまでか」
 オルガのデュエルダガーはビームライフルを捨て、追加装甲フォルテストラを脱ぎ捨てた。ジ
ンもライフルを捨てる。それを見たガーネットは一息ついた。二年前といい今回といい、昔の仲
間と戦うのは、いつやっても疲れるし辛い。
「物分りがいいね。まあ、昔の事もあるから、警察には私の方からも言っておいてあげ…」
 その先の言葉は続かなかった。
 突如、ダークネスの背中と左翼を繋げている部分が粉々に吹き飛んだ。支えを失った翼が地
に落ちる。
「なっ……」
 ガーネットも、基地内から様子を見ていたヴィシアたちも、何が起こったのか分からなかった。
一瞬の自失。だが、それが致命的なミスとなった。
 翼が落とされてからわずか二秒後、今度はダークネスの右足が破壊された。
「うわっ!」
 倒れるダークネス。槍を支えにして立ち上がろうとするが、槍はオルガのデュエルダガーに奪
われた。オルガ機は槍の刃先をダークネスに向ける。
「対PS装甲弾の味はどうだい? あの銀仮面も、面白いオモチャを用意してくれたな」
「経済効率は最悪ですけどね。しっかりお金は取られたし。一発三千万アースダラーなんて、使
い捨ての銃弾(オモチャ)の額じゃありませんよ。まったく」
 得意気なオルガに、ジンのパイロットがため息混じりに言う。
 ガーネットは唇を噛み締めた。自分の迂闊さに腹が立つ。勝利を確信した時こそ、最も用心し
なければならないのに……!
「まだ仲間がいたとはね。ペアを名乗っているくせに三人組とはね。詐欺に近いよ」
「そう言うなよ。さっきまでは確かにペアだったんだからよ。そして今、この瞬間を持ちまして、こち
らのジンのパイロット、ルーヴェ・エクトンを見習いから正式メンバーに昇格させる。カラミティ・ペ
ア改め、カラミティ・トリオの誕生だ!」
「一年間も見習いさせて、ようやくですか。長かった……」
 落ち着いた少年の声が、ジンから発せられた。
「ふん。で、もう一人はどこの誰だい? ダークネスだけでなく、この基地のレーダーの範囲外か
ら狙撃するなんて、ただ者じゃないね」
「ああ。狙撃用に改造したバスターダガーであんたを撃ったのは俺の相棒。一度、あんたに殺
れた女だ」
「私に………殺された?」
 オルガの言葉に、ガーネットは記憶の糸を辿る。こちらの索敵範囲外からの超長距離狙撃。し
かも狙いは極めて正確。……そういえば、昔、これと同じような事が!?
「まさか、ゴールド・ゴーストの!」
「ご名答。今では俺の可愛い生徒さ。おい、ルーヴェ」
「ええ、これですね?」
 オルガの指示を受けたルーヴェのジンは、地に落ちたダークネスの左翼を掴み取った。
「おう、それだ。これでお仕事完了、と」
「! お前たちの狙いは《アポロン》だったのか!」
「ご名答。まあ正確には『俺たち』じゃなくて、『俺たちの依頼人』だけどな」
 不適に笑うオルガ。そして、
「じゃあ《アポロン》(こいつ)は貰っていくぜ。あ、そうそう。俺たちを追跡したり、妙な真似をしや
がったら、この基地に仕掛けた爆弾、全部吹き飛ばすからな。一時間後には自動的に停止する
から、それまでじっとしてな。じゃあな!」
 と言って、オルガのデュエルダガーとルーヴェのジンは、堂々と基地を後にした。残されたの
は片翼を落とされ、片足を破壊された、見るも無残なMSとそのパイロット。
「支部長、大丈夫ですか? 支部長!!」
 ヴィシアからの通信にも応えない。ガーネットの心は怒りの炎で燃えていた。
「やってくれたね、オルガ。ここまでコケにされたのは生まれて初めてだよ」
 父の遺産を奪われ、自身も敗北。完全にしてやられた。
 だが、この屈辱は必ず晴らす!
 新たな誓いを胸に、ガーネットは拳を握り締めた。《漆黒のヴァルキュリア》の闘争心に火が点
いた!



 同じ頃、ザフト基地でも雪辱に燃える男がいた。
 半壊された基地や僚機、そして機能停止寸前の自機の中で、ディアッカ・エルスマンは歯を噛
み締めた。
 必殺の《ビッグ・フォア》も敵のキャノン砲によって、見事に相殺された。エネルギーの大半を失
ったバスター・インフェルノだったが、敵は手を出そうとはしなかった。
「私の仕事は、貴様らを引きつけておく事。殺す事ではない」
 と見逃され、逃げられた事が、ディアッカの戦士としてのプライドを傷つけていた。絶対に許さ
ない。
「クルフとか言ったな。見ていろ、シホやディスたちの仇は必ず取る!」
 燃えるディアッカ。だが、
「ご立派な決意です。でも、勝手に人を殺さないでください、隊長」
 隣に立つパープルコマンドのシホから、当然のツッコミが入った。



「はあ、はあ、はあ……」
 オーブの森の中を、ミナ・ハルヒノは走っていた。三日前の雨のせいで地面はまだ泥まみれだ
が、気にして入られない。全速で走らないと、前を行く彼には追い付けない。
 ケガが治りきっていない彼を放ってはおけない。それに、彼がなぜ走っているのか、こんな所
に来たのか、妙に気になる。
 ミナは少年の後を追った。そして、ついにその場所にたどり着いた。
「……………………こ、これは……」
 絶句するミナ。少年も驚いているらしく、呆然としている。
 二人の目の前には、一機の小型飛行機があった。なぎ倒された周囲の木々や飛行機のボロ
ボロな様子からすると、どうやら墜落したらしい。機体の翼はへし折れ、あちこちから火花が出て
いる。
「……………………」
 少年が動いた。飛行機に飛び移り、コクピットに向かう。ヒビの入ったキャノピーは閉じられてい
たが、少年がキャノピーに触れると、あっさり開いた。
「指紋照合式? という事は、この飛行機は君のなの?」
 ミナが質問するが、少年は答えない。いや、答えられないのだ。
「分からない」
 コクピットの中に入り、計器を見回しながら、少年は返事をした。
「えっ?」
「覚えていない。俺には昔の記憶が無い」
 そう言った少年は、キャノピーに血が付いている事に気が付いた。座席の位置や血のついて
いる箇所などから考えると、どうやら着陸の際、ここに頭をぶつけたらしい。その衝撃で記憶を失
ったのだろうか?
 少年は次に計器類に触れる。その瞬間、
「!」
 何かが頭の中を駆け抜けたような気がした。言葉が浮かび上がり、自然に口に出す。
「ダン……」
「えっ?」
「ダン・ツルギ……」
「!? 名前を思い出したの? それが君の名前なの?」
「分からない。だが、この名前は妙に懐かしい。そして、絶対に忘れてはならない名前。そんな気
がする」
 そのとおりだった。そして、運命は激しく動き出す。

(2004・6/5掲載)

次回予告
 戦いを求める者たちの魔の手は、ついに平和の国にも伸びてきた。
 第二の故郷を守るため、愛する人を守るため、アスラン・ザラは恐るべき敵に挑む。
 そして、過去を失った少年もまた、戦う事を決意する。
 だが、彼は一体何のために戦うのか?
 誰かのため?
 自分のため?
 それとも……。

 次回、機動戦士ガンダムSEED鏡伝2、絶哀の破壊神、
 「吹き荒れる魔風」
 新たな故国を守り抜け、ネオストライク。

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特別出演キャラ紹介
 ジェーン・ヒューストン(SEED−MSVより)
 ザフトからは「白鯨」と呼ばれ、恐れられた連合の女性エースパイロット。前大戦時は24歳。鏡
伝2では26歳。
 地球出身のナチュラル。開戦前から海軍に籍を置き、水中用兵器の開発に携わっていた技術
者。
 ザフトの侵攻が始まり、グーンやゾノの部隊によって彼女が所属していた部隊が壊滅させられ
たことから、それまでの潜水艦による水中戦の概念が崩れ去ったのを痛感する。
 しかし、持ち前の気丈さとプライドの高さから、絶望するどころかザフトに対する敵愾心を燃や
し、当時開発中であったフォビドゥンを水中戦用にカスタマイズするプランに参加。試作機フォビ
ドゥン・ブルーのテストパイロットに志願する。フォビドゥン・ブルーの量産型であるディープフォビ
ドゥンが制式配備された後は、そのまま部隊の指揮を任される。
 かつての所属部隊を壊滅させたマルコ・モラシムを敵視していたが、相見える前にマルコはキ
ラの手によって葬られ、その無念が晴らされることはなかった。
(CV:冬馬由美)